第31話 嫉妬と陰謀
あの日。フェンリルは非番で騎士寮の自室で読書をしていた。すると、そこに顔を出したのは、騎士団長であるオリエンスだった。彼は、フェンリルに狩りへの同行を命じた。
数日前、ノウェンベルクが逝去した。王宮は喪に服しながらも、次期王の戴冠式の準備で大忙しだ。
ノウェンベルクの死後、フェンリルはなんの前触れもなく王宮警護部隊を外された。その理由を上官に問うても、「騎士団編成の一環だ。理由はない」の一点張りだった。
ユリウスは王に即位しなければならない立場になった。悲嘆に暮れている場合ではない。彼の心中はいかばかりか、と心配をしている矢先だったというのに。ユリウスに会うことも憚られる立場に追いやられていたのだ。
ユリウスに会える——。フェンリルは逸る気持ちを押し込めて、急いで支度をすると、愛馬と共に指示された場所に向かった。
ユリウスに会いたい。少しでも彼の心を慰められたら……。しかし、フェンリルの心には疑念が湧いていた。オリエンスは「人手がないだけだ」と言っていたが、ユリウスのそばから外された自分が、召集されることが不可解だったのだ。
胸の中に渦巻く歓喜と不安。それを押し込めて、フェンリルは集合場所へと到着した。さっそくオリエンスから「カストル王子の護衛をするように」と言い渡される。
(そんなものか)
フェンリルはため息を吐き、そっとユリウスを盗み見た。彼の蒼白な肌色は、ますます色を失っている。少々痩せたようで、漆黒の双眸は、妙に大きく見えた。
フェンリルが見つめていると、ふと視線が合った。言葉など届かないくらい遠い場所にいるというのに。ユリウスの瞳が潤む。堪えきれぬ思いがあるのではないか。フェンリルはすぐにでも愛馬を駆り、彼の元に飛んでいきたいと思った。そうして、あの細い肩を抱きたい。
(お支えしたい。お傍で。ユリウス様……)
視線が絡み合い、ユリウスがもの言いたげに唇を開いたとき。フェンリルの名を呼ぶ声が聞こえた。
「フェンリル。今日はよろしく頼むぞ」
はったとして振り返ると、そこにはカストルがいた。彼は白馬にまたがり、フェンリルの頭上から彼を見下ろしていた。
「カストル様」
フェンリルは頭を下げる。
「そうかしこまるな。いつも兄さんの面倒ばかりみてきたんだから。たまには、僕のこともみて欲しいな」
フェンリルは黙って再び頭を下げた。
「さて、僕たちは出発だ。兄さんには負けないからね!」
カストルはさっさと手綱を引くと、森の中へと入っていく。彼の後ろには、マントを目深にかぶった男が付き従っていた。フェンリルも愛馬に乗り込むと、カストルの後を追いかけた。背後ではユリウスたちも移動を開始した音が聞こえていた。
(今日は狩りには向かない天候だが……)
空は厚い雲で覆われ、今にも雨が降り出しそうだ。風は西から東に吹き、森の中充満している湿った空気が重々しく感じられた。
フェンリルは眼前を走るカストルの背中を追いかけていく。しかし。ふと、見失った。そうだ。突然のことだった。
「カストル様!」
フェンリルは開けたその場所で馬を止めた。見失うわけがなかった。まるで、なにかの魔法にかかってしまったかのように感じられた。フェンリルは困惑し、周囲を見渡しながらカストルの名を何度か呼んだ。
風が木々を揺らし、葉音が不気味に響く。その音の中に紛れ、カストルの声が聞こえた。
「僕はお前が嫌いだ。フェンリル」
「カストル様?」
フェンリルは手綱を引いて、落ち着かない愛馬を鎮めようとする。
「お前は兄さんのことを独り占めにする」
「カストル様、どこにいらっしゃるのですか?」
「兄さんはお前のことばかり見ている。さっきもそうだ。僕のことをちっとも見ない。父様が死んで、僕たち兄弟は協力して、この国を治めていく必要があるというのに。兄さんは、その相手である僕をちっとも見ない」
フェンリルはカストルの姿を見定めようと周囲に気配を向けるが、一向に見つからない。
(この声はどこから聞こえる?)
「兄さんは、久しぶりに見たお前を、さも大事な宝物でも愛でるかのように見ていたじゃないか! 面白くない! 面白くない! 面白くない! お前のような身分も低い卑しい一介の騎士が、王になる兄さんの心を独り占めするなんて! 絶対に許せない!!」
カストルの声はしだいに大きくなり、そして、周囲の空気が大きく揺れた。
「お前にはここで死んでもらう」
(——これが理由か!)
突然の召集。それは、フェンリルを亡き者にしようとするカストルの陰謀。オリエンスは、シャウラの息がかかる騎士団長だ。カストルとシャウラ、そしてオリエンス。ユリウスが王に即位する前に、邪魔者は消す算段だったということだ。
(罠だったのか)
フェンリルは腰に下がった剣を抜き、周囲を警戒した。カストルが姿を消したということは、魔法の力が働いていることが理解できる。マントの男は魔法使いだったのだろう。
(防ぎきれるのか)
フェンリルは歯をギリギリと噛みしめ、神経を研ぎ澄ませた。
(この命、惜しくはない。けれど、ユリウス様のために使いたい。こんなところで、頭の狂った王子にくれてやるものか)
そう思った瞬間。
「フェンリル!」
森から飛び出してきた馬がフェンリルの脇を駆け抜け、その馬を駆っていた男が、フェンリルの元に身を投げ出してきた。その瞬間、フェンリルの眼前には、紫色の黒魔法の炎が迫っていた。
あっという間の出来事だった。フェンリルは、久しぶりに目にしたユリウスに心奪われ、いつもの冷静さに欠けていた。なんとか態勢を立て直し、目の前に飛び出してきた影を引き寄せたが、判断が遅くれたのだ。
その禍々しい炎は、人影の一部を焼いて消え去った。
フェンリルは、腕の中にいる人影——ユリウスを見下ろした。彼の左肩からは、黒い煙が上がっていた。
「ユリウス様!?」
「……フェンリル。無事か……っ?」
「無事……です。けれど。ユリウス様が……!」
「よい。お前が無事なら。よいのだ」
ユリウスは痛みに顔を顰める。
「よくありません! あなたは……あなたは、大馬鹿だ!」
フェンリルはユリウスの傷を見る。纏っている鎧も溶け落ち、あらわになった陶磁器のような素肌は、真っ黒に爛れていた。
「一体、誰が……こんなことを……?」
ユリウスの問いに、フェンリルは口を閉ざす。カストルと、付き添っている男の仕業。わかっている。わかっているのだが。ここで本当のことを言うのは得策ではない。フェンリルはそう判断をし、「わかりません」と首を横に振った。
「これは、一体! フェンリル! お前は兄さんになにをしたのだ!?」
二人の元にカストルが姿を現した。ユリウスは「フェンリルのせいではない、さわぐな」と答えるが、カストルは引かない。
「お前は騎士として恥ずかしくはないのか? こんなに近くにいて、戴冠式を控える大事な兄さんに怪我を負わせるなんて!」
そこにオリエンスたちも駆けつけた。彼は、フェンリルからユリウスを奪い取ると、きっと睨みつけた。
「カストル様のおっしゃる通りだ。お前は騎士として恥ずべきだ。謹慎とする。連れていけ!」
「待て。フェンリルは悪くなのだ。私が……」
ユリウスの言葉に、フェンリルを拘束しようとやってきた騎士たちは動きを止め、互いに顔を見合わせた。しかし、カストルがそれをばっさりと切り捨てる。
「兄さんは朦朧としている。耳を貸す必要はない。さっさと連行しろ」
「は」
フェンリルは両腕を掴まれると、騎士たちに連行された。
(なにもできなかった。なにも。私はいつも、あなたに守られてばかりだ——)
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