第54話 渇望と破滅



(馬鹿な——。ユリウスはタヌキの獣人になっているはず)

 シャウラの中には、瞬時に警笛が鳴り響く。狼狽えていた。長い年月をかけ、じっと我慢して粛々と計画を実行してきたことが。叶うその一歩手前で——。

「王だ!」

「死んだのではないのか?」

 国民の間に動揺が広がった。魔鳥に乗っているミーミルが「死んでいないのだよ~! ここにいるお方が、正真正銘の王様なんですから~」と叫んで回る。

 ミーミルの言葉に、更に動揺は広がり、一部では「王は生きていた」と歓迎する者と「偽物に違いない」と否定する者との間で諍いが勃発した。更には、それを制止しようと騎士たちも乱入し、中庭はハチの巣をつついたような騒ぎになっていた。

 その中。ユリウスの漆黒の瞳は、シャウラをまっすぐに見据えたままだった。しかし。彼はふと表情を引き締めると、すぐに国民へ向き直り、両腕を広げた。

「私は王、ユリウス。まずはここで国民に謝罪したい。私は王という立場でありながら、長き間その席を空けてしまった。腑抜けの王と言われるのは当然のこと。皆を不安にさせたことを謝罪する。すまなかった」

 ユリウスは国民に向かい、深々と頭を下げた。王が頭を下げるなど前代未聞の出来事だ。中庭はしんと静まり返った。ユリウスはしばらくそうしていたかと思うと、顔を上げて言葉を続ける。

「私には国民を不安にさせた責任がある。そうなってしまった経緯をここで説明させてほしい。私が床に伏していた理由は、虚弱だったからではない。その原因は、ここにいるシャウラだ!」

 シャウラは舌打ちをした。この危機をどう脱するのか、脳内で思考がフル回転していた。その間にもユリウスの演説は続く。

「私はシャウラの策略にはまり、毒を盛られていた。体力は奪われ、まるで屍のような日々だった。この男は私だけでなく、王宮の貴族たち、そして国民をも裏切っていたのだ!」

「シャウラ様が?」

「どういうことなのだ?」

「でたらめだ! なにを証拠にそんなことを言うのだ!」

 シャウラはギリギリと歯を食いしばった。

「今、北部はタウルスの侵略を受けている。北部はモストロの森が邪魔をして、今まで北部の侵略を許すことはなかった。それなのに、どうして? その答えは、シャウラだ。シャウラはモストロを切り開く手伝いをし、タウルスを招き入れた。

 奴は国を売るつもりだった。私とカストルを追い出し、ランブロスを亡き者にし、王の血筋を絶やす。自分が王に成り代わるため、タウルスと手を結び、この国を乗っ取るつもりだったのだ。

 シャウラは自分がこの国の王としてタウルスに認めてもらう代わりに、資源どころか、国民をも兵士としてタウルスに提供する約束をしていた」

 中庭からは怒りの声が響く。シャウラは「勝手な事を言うな」とユリウスの演説を中断させた。

「お前たち。信じるのか? この何年もの間、お前たちを見捨てた王と、その間、この国へ尽くしてきた私と。お前たちはどちらを信じるというのだ?」

 国民たちの間には動揺が広がっていた。なにを信じたらいいのかわからない。そんな表情だ。

 フェンリルは静かに言った。

「我々が付き従うべきは王だ。シャウラではない。我々は、本来あるべき姿に戻る必要がある。正しき血筋の王を迎え入れること。前王ノウェンベルク様はシャウラに毒殺された。正しき道を歩んできた者たちは、シャウラの策略で方々に散ったが、その志はまだ生きている。この国のために命を賭する覚悟がある者たちが。まだここにいる。安心しろ。タウルスの進行は、ランブロス候が止めた。タウルスの脅威は過ぎ去ったのだ」

「そんな馬鹿な! タウルス軍は強者揃い。ランブロスの寄せ集めの軍勢など、勝てるはずもない……」

 シャウラは、はったとして口を閉ざす。

「寄せ集め? 国を守ろうと戦う者たちを愚弄するというのか」

 フェンリルの深い碧い瞳はシャウラを冷やかに見下ろしていた。

「タウルスが攻めてきているのに、こんな式典なんてやっている場合か? お前は、王都が無事だということを知っている。タウルスの軍は王都には攻め込まない。そういう条件になっているからだ。違うか。だからこうして呑気に式典など開いているのだ」

 シャウラの足元がぐらついていた。まるで地面が崩れていくような感覚だ。耳に届くのは国民たちの不満、疑念、そして非難の声。

「どういうつもりなのだ。シャウラ様は」

「我々をタウルスに売るだって?」

「王に毒を盛るだなんて。死に値する」

「処罰しろ」

「裏切り者」

 国民たちの気持ちが。自分から離れていく。シャウラは深い闇の中に落ち込んでいくような感覚に襲われた。

(うまくいくはずだった。なぜだ。なぜ。ランブロスは死ぬ予定だった。タウルスのほうが圧倒的戦力があったはずなのに——)

 フェンリルは淡々と説明した。

「エスタトス帝国との闘い。一時休戦とした。ユリウス様の力で」

「そんな馬鹿な。どうやって……。だ、だからなんだ。南部が休戦したところでなにができる? 間に合うわけがない」

「いや。間に合った。南部戦線にいた騎士たちをすべて川伝いにランブロス領に運んだ。コルヴィスたちの働きもあり、国内でお前に反感を抱く貴族たちが、みな派兵に協力してくれた。モストロの森に住まう獣人たちの功績は多大なるものだった。

 タウルス軍はお前から得た情報から、優位な戦いだと油断していたようだ。谷に集まった軍勢を我々は一気に叩いた。圧勝だ。王都の北そばまで迫っているのはタウルスの軍勢ではない。ランブロス候率いる騎士団と、そして獣人たちだ」

 フェンリルの説明に、シャウラは唖然とした。エリスは恐怖で泣いている。

「お父様、もうダメです。もうダメ」

「う、うるさい。私は。私はまだやれる。私は……!」

「いい加減に認めろ。シャウラ。タウルスの指揮官を捕虜として預かっている。お前の悪事、すぐに公になるはずだ。お前に未来はない。国賊のお前にはな」

 ユリウスはフェンリル同様、冷ややかにシャウラを見ていた。その瞳は、生まれながらの王の瞳だ。

 下級貴族の家に生まれた。頭がよかった。王立の学び舎では主席だったのだ。だがしかし、周囲からはよく思われていなかった。

「どうせ下級の出」

「卑しい子だ。自分がてっぺんでも取った気になっているのだ」

 子どもも大人も。自分を蔑む目で見ていた。シャウラは劣等感の塊だった。

 ——いつか這い上がる。いつか。あのてっぺんに上り詰める。

 そう心に決めて生きてきた。

 蹴られても。罵られても。地面にはいつくばっても。じっと、じっと我慢をして、この日を夢見てきた。

(やっとだ。やっと手が届くところまできたというのに。それが。それが。こんな。こんな若造に)

 生まれながらの王。

 シャウラが欲しくて欲しくてたまらないものを。ユリウスはすべて持って生まれてきた。シャウラの中の憎悪の炎が大きく燃え上がる。彼は懐に忍ばせておいた短剣を握りしめたかと思うと、ユリウスめがけて襲い掛かった。エリスを拘束していたフェンリルが動き出す。ウルの放った弓がシャウラの肩に痛みを与える。だが、そんな痛みなどお構いなしだ。

(遅い! おれの邪魔は誰にもさせぬ!)

「ユリウス様!!」

 シャウラの剣先がユリウスを捉える。ユリウスはそれでもシャウラを冷ややかに見つめていた。その双眸は、哀れみでもない。同情でもない。なんとも言えない色をたたえている。それが更にシャウラの心に憤怒の気持ちを生んだ。

 自らの命が危機に晒されているというのに、狼狽えもせず、命乞いもしない。孤高の存在。本当は——そんな存在に自分もなりたい。なりたかったのだ。

(クソ! 私は——!)

 その漆黒の瞳に映る自分は。まるで人間ではなかった。獣。そうだ。魔物。自分はもう。人間ではないのか——。シャウラは感情の任せ、そしてその短剣を振り下ろす。ユリウスはその場に崩れ落ちた。

 中庭にいる国民たちから悲鳴が上がった。




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