034
できるだけ端的に真実を告げると、ルイーズは目を見開き、アイクは青ざめた。
「なんだ、それ……じゃあ、フィオやおまえだけじゃなく、全てのアンドロイドが人を殺せるってことか……? それも、アンドロイドが誕生したときから、ずっと……?」
うなずく。アイクは思い詰めた目で「やべえよ」とつぶやいた。
「最悪のタイミングだ……こんなことが世間にバレてみろ、間違いなくアンドロイドは全員殺されるぞ」
「タイミング……我々の研究、『テセウスの亡霊』が原因の暴動か」
ルイーズの言葉に、アイクが「ああ」と同意する。
「あれがリリースされてから、アンドロイドと人間の人権は平等じゃなくなっちまった。アンドロイドは神秘を持たないただの機械で、命じゃないって考える人間が激増して……デモだのテロだの、警察や公安がどれだけ駆り出されたことか」
「その対処として、二種族融和の象徴であるフィオとミアの婚姻が世間にアピールされたんだったな」
アイクは頷き、きっと目元を引き締めた。
「けど、よりによってその会場でフィオがミアを殺しちまった。世間は今、アンドロイドの危険性に過剰なほど敏感になってる」
「そこに『アンドロイドは元来、愛する者を殺害可能だった』とは……爆弾としては最悪の部類だ」
「くそっ」とアイクが吐き捨てる。鳶色の瞳が、すがるようにルイーズを見つめた。
「なんとかできねえのか。あんた、電脳研究者だろ」
「無茶を言うな。愛と自己保存は、アンドロイドという生命のもっとも根幹に関わる部分だ。後付けでどうにかできるようなものじゃない」
「そんな……」
愕然とするアイク。考え込むルイーズ。
その二人を、私はただぼうっと見つめていた。なにか言う気にもなれなかった。虚無的な気持ちで二人を眺めている私をよそに、アイクが言う。
「けどさ。どうして今まで、類似の〝事故〟がなかったんだ」
ちら、と鳶色がこちらを見た。事故、という言葉選びに、彼の気遣いがにじんでいる。控えめな声でアイクは言った。
「こんな、その……致命的な構造的欠陥があるのに、事例がたった二件なんて」
ルイーズが「ああ」と左手を持ち上げる。小指に光るリングを、とんとん、と指先で叩く仕草。
「おそらく、こいつのおかげだろうな。相手を愛するあまり、心乱れて死んでしまう……それほどの危機を与えうる人物は、当然〝自分以上の圧倒的強者〟とみなされる。だから殺害可能。これがアンドロイドによる殺人の理屈だ。心の乱れを緩和するこのリングは、アンドロイドの命を守ると同時に、殺人を防止していたと考えられる」
「……そういえば」
ぽつり、とつぶやくと、二人の視線が私に集まった。無気力に虚空を見つめ、私はささやくように言う。
「昔、サクラを殺したとき……私は、左の小指をリングごと吹き飛ばされていた」
「……」
アイクが痛ましげに眉をひそめた。私は続ける。
「それに、フィオがミアを殺害したのは、指輪交換でリングを外したときだった……」
「……抑制装置であるリングを外して、殺害に臨んだわけか」
計画的犯行。それは最初からわかっていたことだ。私は事故で、フィオは故意に。リングという抑制を失い、私たちは愛する人を殺害したのだ。
ふーっ、と細い息を吐く。
私は俯き、うなだれて「もう、どうしようもない」とつぶやた。アイクがかすかにうろたえる。彼が肩に手を置こうとするのを振り払い、私は両手で顔を覆った。
「なぜ助けた。こんなことをして何になる。どうせ状況はもう詰んでいる」
「んなこと――」
「ない、とどうして言える? アンドロイドの真実が明らかになれば、私たちは虐殺される」
ぐっ、と息を詰め、アイクが絶句する。私は自嘲的に彼へと笑いかけた。
「仮に虐殺を避けたとしても、だ。愛されれば殺されるとわかっていて、誰がアンドロイドを愛する? 我々は愛し愛されなければ生きられない。人間に拒絶されたアンドロイドたちは、じわじわと滅んでいくだけだ。なにも変わらない」
「……ツバキ」
痛みを堪えるような顔をして、アイクが私の名を絞り出す。彼はなにか反論を口にしようとして、けれど開きかけたくちびるは力なく閉じていった。
「……くそ……っ」
それきり、アイクが黙り込む。沈痛な静寂。
そんな中、ルイーズが動いた。ちかり、と目を光らせて、壁際のディスプレイを付ける。場違いに爽やかなジングルが流れ、臨時ニュースを告げるキャスターの声がした。
「見ろ」
ゆるゆると視線を投げかける。『速報』と書かれたテロップには、真っ赤な文字で『Ph_10ny、明日にも公開処刑』とあった。
「フィオが……処刑?」
ぽつり、とつぶやく私に、ルイーズは頷く。青い瞳が痛みをこらえるように細まって、彼女は押し殺した声で言った。
「……Ph_10nyは、ワイアットと同じことをするつもりだ」
「どういう意味だ」
問いかけに、ルイーズがますます痛ましい顔になる。
「ワイアットは、アンドロイドの真実を当然知っていたはずだ」
「知ってたって、まさか、意図して欠陥を仕込ん――」
「違う」
アイクの語尾に被せ、ルイーズは即答した。
「あの人はそんなことはしない。おそらくは……アンドロイドという命が生まれた後、この真実に気付いてしまったんだろう。だから慌ててリングを開発した」
「なるほど。理屈としちゃ間違ってねえが……」
「そしてリングができた直後、彼は自殺した。真実を秘密にするために」
「……アンドロイドのために、命を捨てたのか」
「彼はそういう人だった。私たちを心から愛していた」
「っ……」
アイクが黙り込む。
ルイーズは顔を上げ、私のことをじっと見た。
「君を殺す直前、フィオが君の中に打ち込んだものがあるだろう。悪いが、意識消失中にそいつを解析させてもらった」
「……」
返事をしない私から、ルイーズはふいと視線を外す。押し殺した声が、静かに言った。
「フィオが仕込んだのは『ニセの脆弱性』だった。アンドロイドが人を殺せたのは、ある個体に特有のバグのせいだ、と装うためのダミープログラム」
「……ああ、なるほど……」
水色の空間に響いた、あの声を思い出す。『謎はすべて謎のまま、世界は元通りになる』。フィオはそれを実効するつもりなのだ。
ルイーズが真剣な顔で言う。
「フィオは排除可能なダミーの脆弱性を公表して、君を殺し、自分自身も死ぬことで、すべての真実を隠蔽するつもりだ」
「でもそんなの、問題の先送りにしかならねえじゃねえか……!」
アイクの声に、彼女は顔をしかめて言った。
「だが、他になにができる? 解決策はないんだ。アンドロイドに殺人が可能という事実は変えられない」
「っ……」
ぎりっ、とアイクが歯を食いしばる。ルイーズが悔しげに顔をしかめる。
二人の様子を見つめ、私は小さくつぶやいた。
「それならば――私も死ぬべきだ」
「なっ……ツバキ⁉」
「そうだろう? フィオもワイアットも、秘密を守るために命を捨てた。世間を騙すために証拠を消した。それなのに、私が生きていては意味がない」
「だからって――」
反論するアイクをまっすぐ見つめる。私は、心の底から、思ったことを告げた。
「どうして助けた? 君がこんなことをしなければ、すべてはうまくいったのに」
「ッ……」
アイクが歯を食いしばる。痛みに耐えるような目をして、彼はぐっと両手を握りしめた。絞り出すような声で言う。
「そんなこと、言うな……」
「なぜ。本当のことだろう」
「だって、生きてさえいれば、いずれ、きっと……」
「いずれ? そんな保証がどこにある。それに、生きていたところで、一体なんになるんだ」
「なんに、って――」
「サクラも、シスももういない。私にはなにも残っていない。こんな世界で生きていても――なんにもならないんだ」
「そんな……」
ぐっ、とアイクが息を詰めた。彼は口を開き、必死な目でなにかを言おうとして、けれどなにも言えずに口を閉じた。
しん、と倉庫が静まり返る。
長く重い沈黙を、破ったのはルイーズだった。
「……少し、考えをまとめてくる」
疲れた声でそれだけ言うと、彼女はふいと身を翻し、倉庫を出ていった。
雑多な倉庫の中に、痛いほどの沈黙が降りる。私は小さくため息をつくと、うなだれているアイクをちらりと見やった。
「アイク」
「……なんだよ」
「君はもう、帰れ」
「――は?」
愕然と、アイクが顔を持ち上げる。見開かれた鳶色の目に向かって、私はきっぱりと告げた。
「君の立場で、私を助けていいはずがない。今なら戻れる。なにもなかったことにして、公安に帰れ」
「ッ……」
アイクの顔がみるみる赤くなる。激昂もあらわに、彼はぎりっ、と歯を食いしばった。悔しげな声が絞り出される。
「ふっざけんな……! 俺が一体、どんな気持ちで……ッ」
「どんな、って――」
困惑を持て余し、アイクをなだめようとして――はっとする。
私を睨みつける鳶色の瞳。その目の中に見えるのは、かつてサクラやフィオの瞳に見たものと、まったく同じものだった。
眼差しの奥、そのいちばん底の方で、切々としたものが揺れていて、昏い切なさを必死でこらえている。そんな、私の知らない感情が――……
(そうだ、たしか……)
ゆっくりと、理解が認識に追いついてくる。
サクラも、フィオも、同じ目をしていた。そしてたった今、アイクもまた、同じ瞳で私を見つめている。
フィオはミアを愛していた。サクラは私に恋していた。『わからないの?』とフィオは言い、当たり前のようにあの瞳の正体を言い当てた。まるで、誰にでもわかることだとでも言うように。
(あ……)
その正体にようやく思い至り、愕然とする。
これは――愛する相手への思慕と、それを拒絶された絶望だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます