026


 アンドロイドは愛をデザインされて生まれてくる。


 弱きものと己を慈しみ、守るための、絶対的な本能。愛すること、守ることは、私たちにとってごく自然な営みであり、至上の幸福だった。それを不満に思ったことは一度もなかった。


 そう、あの日までは。



「――ツバキはなにもわかってない‼ 私が、私がどれだけ、ずっと我慢してるか‼」

「だからそれを言えって言ってるんだ! 沈黙を守るくせに理解だけはしてほしいなんて、子供みたいな理不尽に応えてやる義理はない!」


 だん、とテーブルを叩く私に、サクラは激しく首を振った。にじんだ涙が飛び散って、きらきらと光を放つ。


「わかってる、わかってるよ! ツバキは正しい! いつだってそう! いつもいつも、間違ってるのは私……私が、私だけが、こんな、ずっと……っ」


 サクラが声を詰まらせて、ぐっ、とくちびるを噛んだ。見たことがない情を宿して、彼女は私を睨みつける。


「さ、サクラ……?」


 戸惑いのあまり、頼りない声が出た。

 かすかな期待をにじませ、サクラが私の目を見つめる。けれどその瞳は、すぐに失望と痛みに染まっていった。


 桜色の瞳の奥で、なにかが揺れている。深くて、切なくて、哀しいような、だけどもっと違う何か。一緒に過ごせば過ごすほど、少しずつ色を増していく、私の知らない深い感情。


 サクラが激しく頭を振った。悲鳴にも似た声。


「もうやだ、もうやだ、これ以上、正しくなんかなれない……‼」

「おい、落ち着けって――」

「ツバキ――ごめん」


 どん、と胸を突き飛ばされる。

 よろめいた背中が壁にぶつかった。両肩に手がかかる。ふわり、と口元に呼気。


 そして――くちびるが、そっと押し付けられた。


「え……? い、今のは……」


 愕然とする。現実に理解が追いつかない。

 サクラは私をじっと見つめ、歪んだ笑みを浮かべると、


「――そういうことだよ」


 それだけを呟いて、逃げるように走り去っていった。玄関ドアが閉まる音が、やけに遠く響きわたる。

 それきり、なにも聞こえなくなった。


(嘘だろう……サクラが、私を……?)


 へなへなと座り込む。

 サクラが、私を好き。そんなこと、考えたこともなかった。完全に想定の外、絶対にありえないことだったのだ。それがサクラにとってどれだけ残酷な認識なのかは、さすがに私でもわかる。


 とにかく、サクラを探しに行かないと。わかっていながら、腰が抜けて立ち上がれない。私は馬鹿みたいに目を見開いて、ただその場に座り込んでいた。共に過ごした今までの記憶が、ぐるぐると頭の中を回った。



 シスを失ったあの傷から、5年。

 教育係の私と、捜査用アンドロイドの後継機であるサクラ。遺された二人の生活は、少しずつ軋んでいった。


 悲しみから逃げるように、サクラはどんどん自分の理想にのめり込むようになった。他人に肩入れするあまり、自らを省みないことが増えた。心も身体も傷付くことが増えた。


 心配する私を、彼女はやわらかな笑顔で拒絶した。大丈夫、まだ平気、だって私は幸運だったのだから。そう繰り返すサクラの表情はこわばっていた。言い聞かせていることは明白だった。


 君は幸運でも強靭でもない。私たちは理不尽に家族を奪われ、傷付けられたのだ。我々には回復の時間が必要だ。そう語る私を聞き入れず、彼女はひたすら理想に邁進し続けた。


 私も疲弊していたのだと思う。正論ばかりを口にして、サクラに寄り添うことができなかった。彼女の真実に気付けなかった。


 シスを埋葬したとき、サクラがこぼした言葉が、今になって蘇る。



『ずっとこのままでいられれば幸せだと思ってた。でも、それだけじゃダメだって思い知った。どうせいつか壊れるなら、って思う私がいる。間違ってしまいそうな自分がいる。どうしたらいいかわからない』



 そのときは、サクラが復讐という間違った心に苦しんでいるのだとばかり思っていた。でも、そうじゃなかった。


 ――どうせいつか壊れるなら、間違ってしまいたい。


 サクラが理想にのめりこんだのは、悲しみから逃げるためじゃない。募る恋慕を抑えきれず、全てを壊す間違いを犯しかねない自分から、逃げるためだったのだ。


 今までの生活のすべてが走馬灯のように蘇る。あのときも、あのときも、彼女はずっと私に恋していた。叶わないと知りながら耐えていたのだ。


 彼女の痛みが、感情が、初めて実感を伴って迫ってくる。ひどい罪悪感が私の胸を乱した。


(私は、なにも知らないで、ずっと……)


 サクラを傷付けながら、何年も呑気に暮らしていたというのか。彼女が私に恋するなどありえないと、心から信じて。


 サクラの涙と、悲痛な叫びが蘇る。


 あの子は間違えたくなかったのに。壊したくはなかったのに。

 私が彼女を追い詰めた。素知らぬ顔で傷付けた。彼女はずっと、私の仕打ちに耐え続けていたのだ。

 飛び出したサクラを、追いかけるべきだと思った。だけど身体が動かなかった。


 だって、追いかけて、それで一体、何を言えばいい? 彼女のために、私に何ができるというんだ? 嘘の台詞も本当の言葉も、結局はサクラを傷付けるだけではないか? 私はどうすればいい?


(わからない……なにも、わからない……)


 迷い、悩み、戸惑って、どうしても動けなくて――私はただ、情けなく座っているしかできなかった。ひとりきりの家は少しずつ冷えていって、呆然とした夜が来た。


 いつまでそうしていたかわからない。ふとチャイムの音が聞こえて、私は我に返った。


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