041
がしがしと頭を掻き、彼はふーっ、とため息をつく。鳶色の目がパウルの向かった方を見て、ちっ、と小さな舌打ちの音。
「ったく。あいつ、ここ一番ってときにトイレ行きたくなるクセ、まだ治ってねえのかよ。情けねえ奴だぜ」
『君、ずいぶんとパウル氏を嫌っているようだな』
ルイーズの問いかけに、アイクは「まあな」と肩をすくめた。
「いやさ。訓練生時代に、ちょっと『やーい永遠の二番手~!』ってからかったら、それ以来ずーっと目ェ付けられてんだよ。命がかかった現場でさえその調子だぜ? 鬱陶しいったらねえよ」
アイクは苛々した口調だ。だが、ふと疑問が浮かんだ。
目線を上げ、アイクに問いかける。
「ちなみにアイク、君の訓練生時代の成績は?」
「え? 全科目トップ」
「それは……自業自得だな」
これだけふざけた性格の男に全てのトップをさらわれた上、『永遠の二番手』呼ばわりされたのだ。むしろ〝目を付ける〟程度で済んだだけ、まだ温情があるのではないか。
呆れる私をよそに、アイクはふたたび前髪で目元を隠すと、私の頭にがぼりとメットを乗せた。
「くだらねえ昔話はいいだろ。行くぞ、第一目的地はすぐそこだ」
「ああ」
それもそうだ。
再び動き出した我々は、小走りで廊下を駆け抜けた。突き当りの角を曲がってすぐ、狙いを定めた窓に辿り着く。
外を飛ぶ監視ドローンに見つからないよう、私とアイクは壁に張り付くようにその場にしゃがみこんだ。
「ルイーズ、偽装映像の準備は」
『問題ない。ドローンの巡回ルートも確認済みだ。ただし』
ルイーズの語尾にかぶせて、アイクが苦々しげにつぶやく。
「ドローンの〝目〟をごまかせるのは10秒だけ……ってんだろ?」
『その通り。ワイアット研究所の設備を使っても、私の腕では2台を相手にするのが精一杯だ。議事堂裏手のドローンは常に3台セットで動いているが、10秒だけ、この窓を見ているドローンが2台になるタイミングがある』
「そこを狙う、ということだな」
ルイーズのうなずく気配。アイクが不安そうに周囲を見渡した。
「さっきみたいな想定外の事態がいつ起こるかわからないんだ。モタモタはしてらんねえぞ。おまえ、策があるっつったけど、ほんとに大丈夫なんだろうな」
「わかっている」
低く答えると、私は親指を振ってアイクを呼び寄せる。耳打ちでもされると思ったのか、アイクは大人しくこちらににじり寄ってきた。
「もっと近く」
「は?」
「もっとだ」
「え、なんだよ――」
「よし。ルイーズ、今だ!」
『了解』
ぱっ、と視界にタイマーが表示される。
その瞬間、私は勢いよく立ち上がった。ばしんと窓を開け放つ。片腕でアイクを抱きかかえ、もう片方の手で窓枠上部を掴み――
「舌を噛むなよ」
「ちょッ、うわ――ッ⁉」
ぐるん、と逆上がりの要領で窓の外に飛び出した。
窓枠から手を離し、空中で一回転する。頂点で重力が消え、一瞬だけやってくる浮遊感。
私は宙に浮いたまま姿勢を制御すると、
「ふッ――!」
迷いなく三階の窓を蹴り割った。
落下がはじまるのと同時に、ぱしっ、と窓枠に掴まる。片腕に力を込め、ぐん、と身体を引っ張り上げた。
そのまま、窓の内側に転がり込む。飛び散ったガラス片から守るよう、アイクを抱いたまま床に倒れ込んだ。
「ッ……っ……」
腕の中で、アイクは驚きのあまり呼吸を引きつらせている。タイマーがちょうどゼロになるのを確認すると、私はかすかに身を起こした。
「大丈夫か」
窓の外から見えないよう、壁の死角に隠れて立ち上がる。転がったままのアイクに手を差し伸べると、ばしッ、とその手を払い除けられた。目を丸くする。
「どうした」
「ッ――こういう、ことするなら、先に言え……‼」
「なぜ」
「心臓に悪い‼」
電脳の向こうで、ルイーズが思い切り吹き出すのが聞こえた。アイクがものすごい顔になる。
派手な舌打ちとともに立ち上がり、彼は捨て台詞のようにぼやいた。
「くっそ、アンドロイドだって思い出した途端に身体機能フル活用しやがって……」
「私にとってはこれが自然な挙動だが」
「うるせえ! わかってんだよ!」
アイクは胸元に手を当てると「死ぬかと思った……」とつぶやいている。
たしかに、いくら偽装映像でごまかしているとは言え、監視ドローンが飛び交う中、予告なしで三階相当の高さに飛び出したのだ。さすがに悪いことをしたかもしれない。
「その……すまない。口の中は無事か」
「頬の内側を噛んだよ、畜生が」
「それは……ご愁傷さまだな」
なんと言っていいか分からず、とりあえず思い付いた慰めを口にすれば、ばしんと背中を叩かれた。
ルイーズがくすくす笑う。
『ほら、いちゃついてないで先に進め。ここから先は早いぞ』
「了解」
「いちゃついてねえよ! ……ったく」
ぶつぶつ文句を言いつつも、アイクはさっさと走り出した。私も後に続く。
三階は本当に無人だった。ここに限っては、内部の地図すら存在しない。国家警備上の機密というのは伊達ではないようだ。
「屋上に通じる階段がどこかにあるはずだが……」
「さすがに地図がねえと手こずるな」
アイクのつぶやきに、ルイーズが地図上の一点を示した。
『屋上から見た三階への出入口はここだ。階段はその真下の近辺だろう。探してくれ』
「わかった」
指示通りの場所に向かう。辺りを見回すが、階段らしきものは見当たらない。眉を寄せ、私はルイーズに問いかけた。
「本当にここか? なにもないが」
『間違いない。天井裏に曲がりくねった隠し通路がある、なんてことはさすがに考えられないからな』
「……」
「アイク?」
アイクは顎に手を当て、天井の一点をじっと凝視している。私の呼びかけにも答えない。
と、彼は急に懐から銃を取り出した。迷いなく定められた銃口から、ビシュッ、とサイレンサーの銃声。
「よし。見ろ、ツバキ」
「え――」
言われるがまま天井を見上げると、そこには引き下ろし式の階段、その取手が見えた。ついさっきまではなかったものだ。
「どうして……」
「フィオの隠し金庫を思い出したんだよ」
銃をしまいながらアイクが言う。彼は顎をしゃくって、天井の一部分を示した。
規則的なパターンの模様が、銃弾によって途切れている。
「見た者の認知を狂わせる壁紙、か……」
「天井の模様が似てたんで、もしかしてと思ってな。アタリだ」
「はあ……よく覚えていたな」
「伊達にトップ張ってねえんだよ」
「そのようだ」
感心して言うと、アイクが「だろ」と薄く笑った。その視線が天井に向けられ、彼はすっと指を差す。
「ツバキ。あの階段、掴んで引き下ろせるか」
「天井まで約3メートルか。問題ない」
言うと、私は床を蹴って飛び上がった。隠されていた取手に手をかけ、思い切り力を込める。ロックが壊れるみしりという音とともに、階段がゴウン、と引き下ろされた。着地。
ぱちぱちと拍手をして、アイクが笑った。
「さすが」
「軽口はいい。あと少しだ、気を抜くな」
鋭く言い放てば、アイクは「おう」と答えると、目元をわずかに厳しくした。
ルイーズの声がする。
『私は運搬用ドローンの準備に入る。屋上には、外を狙う狙撃手が配置されているだろう。彼ら全員の目をごまかすのは不可能だ』
「古典的なステルス能力が試されるというわけか」
「ありがてえことに、狙撃手は全員、屋上の外側だけを警戒してる。ついでに、三階と屋上をつなぐ出入口はステージから15メートル程度だ。慎重に動けば、あいつらに見つからずステージ上部まで辿り着くことは不可能じゃない」
『ただし』
いつもより硬いルイーズの声が割って入った。
『監視ドローンと報道のドローンはずっと飛んでいる。見つからないはずはない』
「そこで物を言うのが、コレってわけだ」
アイクが取り出したのは、黒く小さな機械。ルイーズがうなずく気配がした。
『その装置は、半径300メートルの電波を完全に遮断する。ドローンどもにいくら見つかっても構わない。狙撃手たちが侵入者発見の情報を受信できなければ、それで十分だ』
「三階は完全封鎖されて、下からの増援はそうそう来られないからな。外壁や空中経由で人を送るにも時間がかかる」
私のつぶやきに、ルイーズが『その通り』と同意を示す。
手の中の装置をじっと見つめ、アイクがつぶやいた。
「こいつを起動させ、狙撃手に見つからないようステージ上を目指す。そこまで辿り着けば――俺たちの勝ちだ」
無言でうなずく。アイクは私と目を合わせると、こわばった顔で口元を引き締めた。
ルイーズの、緊張しきった声がする。
『ここから先、私の援助は最後の目眩ましだけだ。ツバキに繋いだ〝道〟も使えない。あとは君たち次第だ。がんばってくれ』
「ああ」
『――死ぬなよ』
ルイーズの声に、アイクがとん、と私の肩に手を置いた。
「俺がさせない」
「アイク……」
鳶色の瞳が、まっすぐに私を見た。
「これで最後だ。行くぜ、相棒」
きっぱりとした声に、私も彼を見つめ返す。
私は小さく息を吸って、言った。
「援護は任せる。頼んだぞ、マイバディ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます