040
議事堂内部は、威厳ある内装に似つかわしくない、武装した人員で溢れていた。ごついメットをかぶった出動服たちが、幾人も行き交っている。たまに見え隠れするメットのない人影は、公安の人物だろう。私とアイクはその中を、できるだけ目立たぬように奥へと抜けていった。
頭の中で、ルイーズの声が響く。
『二人とも、目的地は把握しているな』
「ああ。二階最奥、裏手の窓。あそこからなら、目立たずに三階にアプローチできる」
私の返答を受け、アイクはぼやくようにつぶやいた。
「さすがに、三階への入口を真正面から突破するのは無理だもんな。あんなガッチガチに電子錠で封鎖されてちゃ、あんたのスキルでも無理だ」
ルイーズが『いいや』と即答する。
『やってやれないことはない。ただ、15分かかるだけで』
「警備に見つかる。時間の無駄だ」
きっぱりと断言すると、アイクも「確かにな」とうなずいた。
私は視線を走らせつつ、できるだけ自然な歩調を保つ。くちびるを動かさぬまま、電脳越しにルイーズに問いかけた。
「ルイーズ。ルートはどうなっている」
『問題ない、監視カメラはリアルタイムで確認中だ。公安職員と行き合う際はすぐに伝える』
「頼むぜ、マジで……ここ、知り合いばっかなんだよ」
アイクが小さくため息を吐いた。
仮にIDの提示を求められたとして、ルイーズが相手の認知をごまかせば、身分証明はどうとでもなる。だが、彼女が電脳を操れるのは〝私と直接目を合わせた人物〟だけだった。
一方で、この議事堂にはアイクの知人が何人も詰めているという。建物内全ての『アイク個人を認識できる人物』の視線から、彼を隠し切るのは不可能だ。出会わないに越したことはない。
ルイーズが不敵に笑った。
『要は大量にいる人員の中で、公安の者にだけ遭遇しなければいいんだ。アイク氏の持ってきた配置図と監視カメラの映像をもとにルートを構築する、ちょっとしたパズルゲームだな』
「ゲームオーバーのリスクは我々の命だぞ」
『わかっている。自分なんかより他人の命がかかっている方が、よっぽど真剣になるさ。私はアンドロイドなのだからな』
「あんたの肝の据わりっぷりを見てると、たまに忘れそうになるぜ……」
アイクのぼやきに、私は無言で同意の頷きを返す。電波の向こうで、ルイーズが声を殺して笑う気配があった。
ぱっ、と電脳内の共有ルームに立体地図が広げられる。一階から三階までを俯瞰する図形の中に、公安職員の現在地が赤い点で示されていた。その点はリアルタイムに動き回っている。
「彼らの動きに規則性はない……ここから先、三階に入るまでは出たとこ勝負になるだろう。ルイーズ、君の指示だけが頼りだ」
『ああ。だが、個人の好き勝手な動きなど、私でも完全な予測は不可能だ。できる限りのサポートはするが、いざとなったら自力で切り抜けてくれ』
「わかった」「おうよ」
二人分の同意。私とアイクは目を合わせ、うなずきあった。彼は軽く俯いて前髪で目元を隠すと「行くぞ」と低くささやいた。
何度かひやりとする場面はあったが、ルイーズのおかげで、一階はなんとか抜けることができた。
公安職員と行き違うことはあったものの、一階は本部や武器置き場があったため、とにかく人の数が多かったのが幸いした。警官の集団に紛れたり、手近な部屋に身を隠したりしつつ、かろうじて一階部分を通り抜けることができたのだ。
しかし。
二階に上がった瞬間、ここから先は厄介だ、と痛感した。一階に比べて、警官の数が少なすぎるのだ。
二階は指揮官クラスや処刑執行にまつわる人員のためのスペースになっているらしく、ここにいるのはほぼ全て公安の人物だ。全体の人数は減っているので、誰かと遭遇する危険こそ減っているが、それは逆に、人に紛れられないということだ。
私とアイクは今まで以上に慎重に、誰にも出会わぬよう、細心の注意を払って移動を続けた。少しでも誰かが近付く気配があればルートを変え、耳をそばだて、神経をすり減らし、窃盗犯のように足音を殺した。
そうして、あとはこの廊下を突き当たりまで行けば目的地の窓だ、というところまできて――唐突に、ルイーズが鋭い声を上げた。
『まずい。公安一名が走ってこちらに向かっている。君たちの正面に出てくるぞ。早い!』
「……ッ⁉」
びくっ、と私たちの脚がすくむ。反射的に真横のドアを開けようとした。鍵がかかっていて開かない。次のドアも。その次も。
アイクがばっと振り返った。
「そうだ、さっき通り過ぎたトイレに逃げ込めば……」
『駄目だ。別の公安が使用中で、もう出てくる――間に合わない!』
「挟み撃ちかよ……!」
「くっ……」
くちびるを噛み締め、前後をさっと視認する。たしかに、遠くから足音が近付いてきていた。
(駄目だ、今すぐなんとかしないと――)
視認されてからでは間に合わない。焦る私の耳に、ルイーズの声が響いた。
『監視カメラの遮断は――』
「急に映像が途切れたら侵入がばれる! 偽装映像の準備もないんだぞ。切り抜けるしかない」
「切り抜けるったって、どうやって……!」
引きつったアイクの声を遮って、私は接近中の人物データを参照した。共有ルームに表示された画像に、アイクが顔を引きつらせる。
「よりによってパウルかよ……!」
「誰だ」
「ここのてっぺん張ってるクソ野郎だ。屋上指揮担当じゃねえのかよ……!」
『アイク氏が口八丁でごまかすのは』
「あいつ相手は無理だ! 俺のポジション全部外したの、あいつだぞ!」
『っ、まずいな……』
「……」
『ツバキ?』
無言でメットを脱ぐ。足音が少しずつ大きくなる。私はちら、と辺りを確認すると、がぼっ、と自分のメットをアイクに被せた。
「え、おい――」
戸惑うアイクの目元を隠すように、メットのバイザーを下ろす。
『ツバキ、来る!』
ほとんど悲鳴じみたルイーズの声、その残響が脳内から消えるか消えないかのうちに、私は――
――ダンッ、と両手でアイクの横の壁を突いた。
「ッ……⁉」
腕の中にアイクを囲い込み、ぐっと顔を近づける。びくっ、とバイザー越しの鳶色がまばたいた。
少し離れた曲がり角から、パウルと思われる人影が現れる。
それを目の端で捉えて、私はアイクの頭をガン、と殴った。勢いのあまり、アイクがガクンと下を向く。
「――いい加減にしろッ‼」
渾身の叫び声を上げれば、アイクの肩がびくんと跳ね上がった。
「貴様それでも警官か⁉ いくら新人だからって、これ以上腑抜けた真似をしてみろ、テロリストより先に私が後ろから撃ってやる‼」
そこまで叫ぶと、さらに顔を近付ける。
「しゃがみこめ」
耳元でささやけば、アイクは腰が抜けたようにへなへなとその場に崩れ落ちた。深く被ったメットが、アイクの顔を隠している。
ちょうどそのタイミングで、パウルらしき男が近付いてきた。私の怒声は聞こえていたのだろう、小走りの足音が、戸惑ったように速度をゆるめる。
視界の隅でそれを確認すると、私はガン、とアイクのすぐ横の壁を蹴り飛ばした。
「この、肉壁もできない腰抜けが‼」
パウルらしき男は、明らかに私の剣幕に引いた表情だ。素知らぬ顔で通っていいかわからないのだろう、ちらちらこちらを眺めている。
私は初めて彼に気付いた、という素振りを装い、はっとパウルに振り返った。びしり、と敬礼する。
「これは……失礼しました! お見苦しいものをお見せしましたッ‼」
「あ、いや……」
口元を引きつらせ、パウルはなんとも言えない顔をした。私の怒声に怯えたことをごまかしたいのか、曖昧な笑みを浮かべている。
ちら、と彼の視線がアイクに向けられた。
うなだれ、床にへたりこんだ彼は、身長も顔立ちもわからない、ただの哀れな新人警官に見えていることだろう。実際、彼を一瞥するパウルの視線には、薄い同情と、それ以上の侮蔑の色が見て取れた。
たしなめるような顔で、パウルが私に笑いかける。
「君。こんな現場だ、気が立つのも仕方ないが……ここは国家の議事堂だ。壁を蹴るのはいただけないな」
「はッ! 申し訳ありません!」
さらに背筋を伸ばし、敬礼を維持。
パウルはアイクに歩み寄ると、にやりと笑ってぽんと肩を叩いた。
「ま、君も災難だがね。新人は肉壁になるのも仕事のうちだ。上官の言うことを聞いて、必要とあらばちゃんと命を差し出せよ。我々、指揮官のためにもな」
「……っ……」
アイクは答えない。完全に、自失した新人警官を演じきっている。
パウルは最後にふん、と鼻を鳴らすと、やや内股でその場を走り去っていった。
その背が小さくなっていくのを見届けて、
「――おい。大丈夫か」
アイクに手を差し伸べる。
電波の向こうで、ルイーズが大きくため息をつく音が聞こえた。私も同じ気持ちだ。とっさの機転としてはうまく行ったが、さすがに肝が冷えた。
座り込んだアイクが、ずる、とメットを外す。彼は怨めしげな上目遣いで、ぎろりと私を睨み上げた。
「おまえなあ……」
「すまない。打ち合わせる暇がなかったが、合わせてくれて助かった」
「いや、そうじゃなくて……」
ぱし、と手を握られ、勢いよく彼を引き上げる。わずかによろめきつつ立ち上がったアイクは、なぜか目元をうっすら朱に染めていた。
「……妙な性癖に目覚めたら、おまえのせいだからな」
「は?」
意味がわからない。
眉を寄せる私に、アイクはごまかすように咳き込むと「なんでもねえよ」と早口でつぶやいた。
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