042

 すべての確認を終え、ルイーズと打ち合わせを済ませると、私は遮断装置のスイッチを入れた。


 静かに通信が落ちる。電脳内の表示に一切変化はないが、外部との通信ができないことを確認した。

 アイクの肩を叩き、視線を合わせる。目元に軽く力を込めた。ちかっ、と私の瞳がまたたく。アイクの瞳が、応えるように光った。


『アイク。これでもう、生きているのは視界間通信だけだ』

『だな。とはいえ、合図のたびに目を合わせるのはリスクがある。ハンドサインも混ぜてくぞ』

『了解』


 まばたきをして通信を切る。アイクが息を詰め、薄く扉を開いた。

 まだ外には出ないまま、ちら、と外を伺っている。


「うわ。えっげつねえライフルだな。戦車の装甲でも抜く気かよ」


 小さなぼやきに、私も同じように扉の隙間を覗いてみた。

 確かに、派手な装備だ。封鎖区域の近辺は下の警官たちに任せ、議事堂外部からの襲撃に対応するためだろう。彼らの装備は極端に遠距離用に特化していた。


「あんなもん、頭に当たったらメット貫通間違いなしだぞ」

「だが、近距離戦ならこっちが有利だ」


 ぼそりとささやけば、アイクがじとりとこちらを見る。


「……おい、ツバキ」

「なんだ」

「復唱しろ。『狙撃手に見つからないようにステージを目指す』」

「は?」

「いいから」

「狙撃手に見つからないようにステージを目指す……それがなんだ?」

「なんだじゃねえよ。なに乱戦を前提として喋ってんだ」

「あ」


 はあーっ、と深いため息。

 アイクはじろりと私を睨むと、言った。


「真実を大衆に訴えるんだろ。可能な限り危険は避けろ。俺が死ぬときは、助けるなよ。おまえだけは絶対に生き残れ」

「……わかっている」

「ならよし」


 ぽん、とメット越しに頭を叩かれる。ずきり、と胸が痛んだ。

 アイクの言うことは正しい。だが、心がついてくるかは別だ。

 私は両手をきつく握りしめると、ぐっとくちびるを噛み締めた。アイクは少し困ったように笑って、けれどそれ以上はなにも言わなかった。


 改めて屋上の配置図を確認。全員がきっちり外を向いていることを視認して、そっと扉の隙間に身を滑り込ませる。


 屋上に出た瞬間、びゅう、と春風が吹き付けた。


 広い屋上、その四辺にぎっしりと狙撃手が並んでいる。少し離れた屋上中央に、高さ10メートルほどのステージが設置されていた。ここからの距離は約15メートルほどだ。

 幸いにして、ドアとステージのちょうど中央あたりに、狙撃手たちを運んできたのだろう、大型の輸送ヘリが2台停まっていた。


 アイクがちらりと私を見る。鳶色がかすかにまたたいた。


『ヘリを遮蔽物にして進む。ついてこいよ』

『わかった』


 さっ、とアイクが周囲を見渡す。視線が外れていると確信したのだろう、親指でしゃくる動作と同時に、彼は一気に走り出した。躊躇なく後に続く。


 腰を落とし、足音を立てずに屋上を駆け抜けて、ヘリとヘリの合間に身を隠した。

 緊張で、かすかに息が詰まる。私たちは無言で視線を交わすと、じりじりとヘリの間を進んだ。

 端まで辿り着き、ふたたび外を伺おうとしたとき。


「――私に言わせれば、ワイアットなどただの詐欺師だな」


 耳に届いた野鄙な声。

 瞬間、ガッ、とアイクに肩を掴まれた。ぐいと引き戻され、彼の後ろに隠される。

 肩越しに視線を投げる鳶色が、かすかに光った。


『あの声、パウルだ』

『そういえば、屋上指揮だと言っていたな……』


 耳をそばだてれば、パウルに応えるように、もう一つの声が聞こえてくる。


「ははは。よくもまあ、ワイアットの遺志を継ぐ私の前で、そんなことを言えたものですよ」

「何を今さら。君も立派な詐欺師だろう」

「アンドロイドの守護者と言っていただきたい」


 楽しげにパウルとやりとりしているのは、確かに聞き覚えのある声だった。


『タムラ所長……』

『処刑執行の立会人って、こいつかよ。半年とはいえ、フィオはこいつの部下だったんだろ? よく笑ってられんな……』


 完全に同意だ。だが、人選としては間違っていないだろう。

 フィオの身体に〝生きた人物〟が入っていることを常にモニターできる技術を持ち、処刑に対して積極的な人物。彼以上の適任はいない。

 タムラ所長は喉を鳴らして笑うと、続けた。


「ワイアットがこしらえたのは、完璧な人間の模倣品。人間の素養から醜いものを取り除き、素晴らしい部分だけを寄せ集めて作った、完全な存在です。その理念に私は心から同意します。だからこそ――ふさわしくないものは切り捨てねばならない」

「遺志を継ぐ者、か。アンドロイドの美しさとやらを守るのが、そんなに大事とは。そのためには部下すら処刑台に送る」

「もちろんです」


 タムラ所長の即答。


「Ph_10nyは、アンドロイドの理念を汚したのです。この世でもっとも完璧な生命であるべきなのに、人間の魂を抜き出すなどという冒涜を試み、あげく殺人など……もはや彼女は、アンドロイドであるべきではありません」


 パウルが低く笑った。


「だから殺すというわけか。理想主義者は怖いな」

「ふふ、あなたの理想も大概ですよ」


 タムラ所長の返しに、パウルはますます笑う。


「やれ神秘だ生命だと言ったところで、アンドロイドなどしょせん謎が多いだけのプログラムだ。機械に人権を与えたことが間違いだった。我々は彼らの創造主、彼らは我々の模造品。同等だなどと馬鹿らしい。今回のことで、世間もそれを学ぶだろう」

「そんな言葉を語る口で、反アンドロイド派を撃ち殺す指示を出すのです。あなたのほうが、よほど恐ろしいですな」

「あいつらは下衆なテロリストだ。アンドロイドだけでなく人間まで狙った時点で、慈悲をかける余地などない」

「私が理想主義者なら、あなたはとんだ選民主義者だ」

「はは。どちらにせよ、Ph_10nyを殺したいのは同じだ」

「ですな」


(っ……)

 こみ上げる不快感をこらえ、私はそっとヘリの隙間から顔をのぞかせた。

 少し離れたテントの下で、タムラ所長とパウルが座っている。どうやらあそこが指揮官席のようだ。

 いつまでも覗いている私を見かねてか、アイクに首根っこを掴まれ、ぐいと後ろに引っ張られた。


『まだだ。もう少しタイミングを見る』

『……わかっている』


 ぎりっ、と歯を食いしばる。はなはだ不愉快だった。本当は、今すぐあいつらをぶちのめしたい。

 彼らの言葉はひどい傲慢さに満ちていた。理想化だろうが従属化だろうが、我々アンドロイドを対等な存在と見ていないという点では、どちらの理念も大差ない。

 ぐっとくちびるを噛み締めていると、とん、と軽く背を叩く感触があった。アイク。


『あと少しなんだ。こらえろよ』

『……必死で我慢してる』

『よしよし。えらいぞ』


 軽口めいた言葉に、無言でうなずく。だが、握り込んだ両手が怒りで震えるのは抑えられなかった。

 ひたひたと私を満たす感情に必死で耐え、タイミングを見計らう。耳を済ませて彼らの動向をさぐっていると、指揮官席のほうで、コトリとなにかが置かれる音がした。

 アイクがそっと外を覗く。途端、彼はひくっ、と息を呑んだ。


『あいつら、あんなもん使ったのかよ……!』

『え……?』


 私も一瞬だけ顔を出し、彼らの手元を視認する。

 見覚えのない機械がそこにあった。

(電子尋問の機器に似ている……?)

 振り返ったアイクの鳶色が、ちかりと光る。ひどく硬い声がした。


『尋問……いや、拷問用の道具だよ』

『な……ッ⁉ 国際法違反だろう!』


 驚愕する私に、アイクはひどく冷たい顔で続けた。


『世の中には建前ってもんがあんだよ。平和、平等を謳う世の裏側では、ああいう〝本音〟がまだ生きている。このご時世に処刑だなんて無法が行われるのが、その最たるものだろうが』

『そんな……』


 愕然とする私の向こうで、タムラ所長の笑い声がする。


「しかし、拍子抜けでしたな。Ph_10nyがあんなにあっさり自白するとは」

「まったくだ。おかげで、こいつを使う大義名分がなくなってしまった」

「ええ。新型の〝自白剤〟がどれだけ有効か、世界最高のアンドロイドで実験したかったんですが。残念です」


 すぐ側で、アイクがつぶやくのが聞こえた。


「……下衆が」


 吐き捨てられた肉声は、軽蔑と憤りで震えている。

 パウルが機械を手にとって、タムラ所長に手渡した。


「それならば、今のうちに済ませてしまうといい。処刑まであと3分もない。個人的な恥部でもなんでも、試しに吐かせてみてはどうかね」

「なるほど、たしかに」


 にやにやと笑うタムラ所長の手が、機械のスイッチにかかる。

 ぱちん、という音とともに、ステージの上から引きつった悲鳴が聞こえた。びくっ、と私の肩が跳ねる。


(ッ――よせ)

 思い出されるのは水色の瞳だ。

 常に礼儀正しく、やわらかな慈悲に満ち、深い愛と傷を抱えていながらも、ずっと私に誠実だった、あの瞳。


 悲鳴が続く。聞き覚えのある彼女の声。


(やめろ――)


 彼女が〝誰〟だったのか、私は知らない。

 だが、それでも。


(あの人は、私のために涙を流してくれた人なんだ――!)


 もう一度、高い悲鳴。たすけて、と言っているように聞こえた。それで――心が決まった。


「――待てツバキ‼」


 気が付けば、ヘリの隙間から飛び出していた。アイクの叫びがずっと背後に聞こえる。

 私は足音も高らかに屋上を駆け抜けると、楽しげにスイッチを押していたタムラ所長の横っ面を、思い切り殴り飛ばした。


「ぐ、がッ……⁉」


 全身を捻らせながら、タムラ所長が吹っ飛ぶ。ゴッ、と着地した身体が、ごろごろと屋上を転がっていった。狙撃手たちが驚いて振り返る。

 呆然としていたパウルが、はっ、とこちらを振り向いた。


「貴様、なにを――」

「ツバキっ‼」


 アイクの叫び。

 飛び出してくる男の顔を見た瞬間、パウルの表情が笑みに歪んだ。


「なるほど、おまえか――アイザック・ブラウン!」

「うるせえ‼」


 アイクが私を背後にかばう。パウルが侮蔑的な笑みを浮かべた。


「ということは、そこの女はQia_9X_Tsubakiか。よりによっておまえが、アンドロイドの女に惑わされるとはな。愚かしいぞ、アイザック」

「黙ってろ、永遠の二番手野郎が!」


 吐き捨てられた暴言に、ぴくっ、とパウルが頬を引きつらせる。

 視界の隅で、もたもたとタムラ所長が起き上がるのが見えた。狙撃手たちが、戸惑ったように指示を待っている。


「テロリストだ! やれ!」


 パウルが叫んだ。狙撃手たちの目に闘志が宿る。

 どっ、と四方から人の群れが押し寄せた、と思った瞬間。


「――おまえは行け‼」


 思い切り背中を突き飛ばされた。アイク。


「上だ! まだ間に合う!」

「だが君が――」

「俺は捨て置け‼」

「ッ……!」

「やるべきことがあるんだろうが――走れ‼」


 その叫びを最後に、アイクが人波に飲まれていく。

 気が付けば、弾かれたように走り出していた。突っ込んでくる人間たちを払い、投げ、蹴り飛ばし、走る。


(くそ、くそっ、くそ……ッ‼)

 頭が真っ白で、なにも考えられなかった。


 ただ無我夢中で走って、走って、ステージの鉄骨にしがみついた。身体機能のリミッターを限界まで外して、ステージをよじ登る。頬をかすめた銃弾が、厚い鉄骨をベニヤ板のように撃ち砕いた。


(あと、少し――!)

 全身に力を込め、残り数メートルを一気に跳躍する。対空の瞬間に飛んできた銃弾を、身をよじって回避する。


 そして――


「――フィオ‼」


 ダンッ、と低い音を立て、私はステージ頂上に降り立った。

 すぐ目の前に、透明壁で囲まれた遮断室が見える。その中で、頭に枷をはめられたフィオがうろたえたように立ち上がった。


「っ……あなたは……⁉」

「私だ、ツバキだ!」

「どうして、生きて……」

「そんなのは後だ! 助けに来た‼ 私と――」


 その瞬間。

 ――ひたり、と嫌な予感がした。


 全身の神経が一気に研ぎ澄まされ、時間感覚が圧縮される。

 スローモーションのようになった視界の奥、電波遮断室の向こうから、まっすぐに飛んでくる――銃弾の光。


(あ――)


 ――間に合わない。


 それは確信だった。一直線に私へと向かう光が、鉄骨すら撃ち砕く弾丸が、吸い込まれるように私の頭部に向かってくる。


 フィオが目を見開いた。頭の枷を放り捨て、壁越しに駆け寄ってくる。白い手が伸ばされて、指先が透明な壁に触れる。放射状に広がるヒビ、豪雨のようにガラス壁が崩れ落ちて、その向こうにまたたく、水色のまばゆい光――


「――ツバキ……っ‼」


 最後に聞こえたのは、ずっとフィオだと思っていた誰かの、泣き出しそうな絶叫だった。

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