第6章

036

 しばらくして、ルイーズが戻ってきた。外の空気を吸ってきたらしい、豊かな金髪からはかすかに風の香りがする。


「やあ。私と違って君のほうは、少しはマシな顔になったようだな」


 かすかに眉を下げ、ルイーズは苦く微笑んだ。疲れ切った表情に、私はベッドに腰掛けたまま、そっと問いかける。


「ルイーズ。君の考えはまとまったのか?」

「……いや、なにも」

「そうか……」


 わずかに考え込むと、私は顔を上げて「少しいいだろうか」とつぶやいた。ルイーズとアイクの視線が集まる。私は小さく息を吸うと、居住まいを正して、はっきりと言った。


「私は、世間に真実を訴えたい」


 アイクとルイーズが息を呑む。口元を引き締めて、私は続けた。


「なにもわからないまま愛する人を殺してしまう、私のようなアンドロイドをこれ以上出したくない」

「しかし」とルイーズが眉をひそめる。

「この状況で真実を公表するのか? そんなことをすれば、君もフィオもろとも殺されるぞ」

「いや。むしろ、これしか状況を収める手段はないんだ」


 私の言葉に、アイクが「どういうことだよ」と問う。

 鳶色の瞳を見返して、私は言った。


「良く考えてみろ。すでに一部の国ではアンドロイドの虐殺が始まっている。だが、アンドロイドは正当防衛ならば他者を殺害できるんだ。ならばなぜ、彼らは無抵抗に殺されている?」

「それは……あれ、なんでだ?」


 アイクが首を傾げる。一方で、ルイーズはなるほど、という顔をした。


「誰かを殺すくらいなら、殺されたほうがマシだから、か」

「そういうことだ」

「え……え?」


 疑問符を浮かべているアイクに、ルイーズが言う。


「アンドロイドでない君には、わからないかもしれんな。自分か、相手か、どちらかしか生き残れないとしたら、迷いなく相手を生かすほうを選ぶ。それが我々の行動原理だ」


 あっさりした物言いに、アイクは虚を突かれたように黙り込んだ。「その通りだ」と私はさらに続ける。


「以前、錯乱したルイーズが私に怪我をさせたとき、彼女は青ざめ、震え、ひどいショックを受けていた。私たちにとって、他者を傷付けるというのは、それほど忌避すべきことなんだ」


 アイクは目をぱちぱちさせ、私とルイーズを見比べた。


「でも、記録じゃおまえ、躊躇なく犯罪者をぶん殴ってたって……」

「ッ……そ、それは、個体差というか……私はその、アンドロイドの中でも、どうにも気が短くてだな……」


 語尾がもごもごと小さくなっていく。アイクとルイーズの視線が冷たい。思わず「だ、だが!」と声が大きくなった。


「もちろん、命のかかった局面では! どんな外道であろうと! この身を挺してだな――」

「あー……後継機の妹が苦労したってのも、わかる気がするわ」

「アイク氏が『爆弾魔』と称したのも当然だな」

「ぐッ……」


 反論できない。私はこほん、と咳き込むと「話が逸れた。戻すぞ」と呟いた。


「とにかく。現状、アンドロイドが正当防衛を駆使して他者を殺害した事例はひとつもない。そうだろう?」


 ルイーズが頷く。目元を引き締め、私は続けた。


「それなのに、迫害は止まらない。つまり、人間たちにとって、アンドロイドが実際に危険かどうかなど、もはや関係ないんだ」


 アイクがようやく納得したような顔をする。


「あー、なるほど……アンドロイドは危険〝かもしれない〟。その疑念だけで、虐殺に走る理由としちゃ十分ってことか。クソ、まったく人間らしい行動原理だぜ」


 私は深く頷いた。


「人間が、アンドロイドを信用できなくなった。それこそが、問題の本質なんだ」

「つまり――まずは世論を動かす必要がある、と?」


 ルイーズの言葉に、私はふたたび頷く。


「その場合、真実を隠すのは得策ではない。もし仮に、全てを隠したまま世論を抑えられたとして、その後で真実がばれたらどうなる?」

「隠蔽による反動で、今よりひでえ状況になるのは明らかだな……」

「そうだ。ならば、真実を明らかにした上で、世間に理解を問うたほうがずっといい」

「そういうことかよ……」


 アイクががしがしと頭を掻きむしった。鳶色の目が、悔しげに私を見る。


「でもよ。真実を暴露する役割を、なにもおまえがやるこたねえだろ?」

「なにを言う。私はアンドロイドの殺人にまつわる当事者だ。私の口から真実を伝えるのが、もっとも効果的だろう」

「いや、そういうんじゃなくてだな……!」

「?」


 首を傾げる私に、ルイーズが小さく笑った。


「ツバキ。彼は君を心配しているのさ」

「え?」


 アイクがチッ、と派手に舌打ちする。ルイーズはどこかやわらかな瞳で私たちを見ると、静かに言った。


「大衆に真実を伝えるということは、全ての矢面に立つということだ。暗殺や虐殺の被害に遭うかもしれない。彼はただ、君を失いたくないんだよ」

「え……」


 ぽかん、とアイクを見る。アイクは悔しげに目元を歪めて、吐き捨てるように言った。


「ほんっとおまえ、馬鹿、向こう見ず、考えなし」

「あ、え、いや……すまない」


 反射的に謝ると、はあーっ、と地を這うように深いため息が聞こえた。もう一度、今度は小さく舌打ちの音。アイクは完全にそっぽを向いてしまった。

 どうしたものか、と困惑する私に、ルイーズがくすりと笑った。


「まあ、君のナイトは放っておくとして。ツバキ、君の主張は全面的に正しい。私は君に協力する」

「そうか……感謝する」


 ルイーズは静かに微笑むと、気にするなとでも言いたげに首を振る。そして青い瞳の笑みを崩さぬまま、ちらり、とアイクの方を見た。つられてアイクのほうを見る。


 アイクは腕組みをして、不機嫌そうに押し黙っていた。あからさまな拒絶の空気に、私はおずおずと問いかける。


「その……君はどうする?」

「……」


 アイクは答えない。ただじっと、無言を貫いている。


「アイク……」

「……くそッ。そんな顔すんな」


 はあーっ、と息を吐く音とともに、鳶色の瞳が怨めしげに私を見た。


「言わなくても、わかってんだろうが。……相棒をサポートするのが、俺の役割だ」

「アイク……!」


 苦々しい口調、けれどその裏側には、私への情がはっきりと滲んでいる。じわり、とあたたかいものが込み上げた。

 勝手に眉が下がっていく。胸を満たす感情にまかせて、私はアイクに笑いかけた。


「ありがとう。頼りにしてるよ、マイバディ」

「そりゃどうも」


 アイクがわざとらしい顰め面をする。わかりやすい照れ隠しに、私は小さく吹き出した。途端、ばしん、と背中を叩かれる。とはいえ、私が少女のボディだからだろう、力加減はいつもより幾分か控えめだった。

 まだくちびるを尖らせたまま、アイクが言う。


「で、だ。真実を訴えるとは言ったが、なにをどうすりゃいいんだ」

「問題はそこだな……」


 額を突き合わせ、私とアイクは考え込んだ。ふと、ルイーズが「それならば」と声を上げる。


「とりあえず、状況を整理してみよう。特にツバキは、現状をまだわかっていないだろうから」


 他にできることもない。私はうなずいた。

 ルイーズが言う。


「君が〝殺されて〟から、まだ一日しか経っていない。君の意識が消失しているあいだ、私は君の全身管理のついでに、電脳を分析させてもらっていた。一方で、アイク氏は君の成人用ボディの調達に一日を費やしていた。そこのケースに入っているやつだな。あとで『テセウスの亡霊』で移行するといい。世間の状況はほぼ変わらず。動きといえば、フィオの処刑が決まったことくらいだ」

「そうか……そういえば、ここはどこなんだ?」


 問いかけると、ルイーズがにやりと笑った。


「ワイアット研究所の関連施設、その第六倉庫だ」

「ワイアット研究所の……⁉」


 驚く私に、ルイーズはますます楽しそうに笑う。


「ふふ、灯台下暗しと言うだろう? どうせこの倉庫は私しか使っていない。それにワイアット研究所のスタッフと公安職員の両名が自然に出入りできる施設となると、他に思いつかなくてね」

「それにしたって、すごい度胸だな……」


 唖然とする。アイクが「ほんとにな」とため息まじりに言った。


「俺なんか、この近くを通るだけでも緊張するってのに。ルイーズなんか、そこのドアの前に立ってさ、平気で他のスタッフと世間話とかするんだぜ」

「ふふっ、アイク氏は小心者だな」

「うるせえよ」


 くすくすと笑うルイーズ。アイクが「ったく、いいから続けろって」と促した。

 ルイーズはうなずき、ふたたび私のほうを向く。


「現状、君の存在を知っているのは、私とそこの彼だけだ。公には、君はすでに死んだことになっている。フィオによって電脳を砕かれて、な」

「……待てよ? それって、なんかおかしくねえか?」


 ふと、アイクがなにかを思い付いたように声を上げた。

 眉根を寄せ、「なにがだ」と問いかける。アイクは顔をしかめて呟いた。


「いや、だってよ。おまえの話によれば『アンドロイドは最愛の人物のみを殺害可能』なんだろ? なら、なんでフィオはおまえを殺せたんだよ」

「あ……」


 そういえば、たしかに。

 ルイーズも同じ疑問を抱いたのか、眉をひそめて考え込んだ。


「確かに……妙だな。フィオが君に心変わりした、という可能性もゼロではないが――」

「それはさすがにないだろう。間違いなく、フィオは今もミアを愛している」

「なら、なんで……まさか、本当にアンドロイドの本能を超えて殺人を可能にする方法があったのか?」


 アイクがさっと顔色を変える。私は「いや」と首を振った。


「そうだった場合、別の謎が生まれてしまう」

「謎?」


 うなずく。


「フィオは事件前夜、記憶改竄のために私と接触している。その上で、事件後に『Qia_9X_Tsubakiの命をよこせ』と要求しているんだ。もしフィオがいつでも殺人を行えたのなら、事件前夜に私を殺せばいい。だが彼女はそれをしなかった。ということは『最愛の人物以外は殺せない』という縛りは、フィオに対しても有効だったと思われる」


 アイクが首をひねり、顔をしかめた。


「でもよお、それじゃ話が繋がらねえぞ。事件前夜、フィオはおまえを殺せなかった。でも一方で、事件後、フィオは確かにおまえを殺してる。矛盾してるじゃねえか」


 たしかに、そうなのだ。


「……考えられるケースが、ひとつだけある」


 ぽつり、と小さなつぶやきが聞こえた。

 考え込んでいた私とアイクは、声の主、ルイーズを注視する。彼女は青い瞳を伏せたまま、ひどく真剣な声で言った。


、というケースだ」

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