037

「え……?」


 思わず目を見開く。

 そんなこと、考えてもいなかった。だが言われてみれば、確かにそれがもっとも適切に思えてくる。

 私は顎に指先を押し当てて「なるほどな」とつぶやいた。


「事件発生時まで、フィオは間違いなくフィオのままだった。そのあと、どこかで誰かが、フィオと入れ替わったというわけか」


 私のつぶやきに、アイクがぱっと手を挙げる。


「や、待てよ。事件前夜のフィオが本人なのはわかるぜ。でも、おまえの記憶を改竄してから、事件発生までの間に、他人が入れ替わった可能性だってあるだろ」

「それは考えにくい。君も記録映像を見ただろう? 式の最中、フィオとミアは会話を交わしていた。笑い合うそぶりもあった。自分の花嫁が別人になっていたら、さすがにミアが気付くだろう」

「それもそうか……」


 アイクは小さくつぶやいた。鳶色の瞳が持ち上がって、その目元がかすかに歪められる。


「じゃあ、ミアを殺したのは、やっぱり……」

「フィオ本人だろうな」

「そう、かよ……」


 アイクがひどく沈痛な顔をした。気持ちはわかる。私は軽く目を伏せると、感傷を振り切るように言った。


「そして事件後、フィオは別人と入れ替わった。その人物――仮にXとしようか。Xは、私を殺害できる人物だった」

「つまり、君を最愛とする人物だったと?」


 ルイーズが言う。私は「だが」とつぶやいた。


「私は20年以上監禁されていたんだ。今さら情を交わす相手など――」


 そこで、はた、とアイクを見る。

 目があった瞬間、アイクはものすごい顔をした。


「……悪かったな。いるんだよ、ここに」


 ぱちぱち、とまばたく。私は軽く首を傾げて、尋ねた。


「もしかして……Xは君か?」

「――馬鹿‼」


 渾身の怒声。ゴン、と頭を拳で殴られた。ルイーズが思い切り吹き出す。「まあまあ」と眉を下げ、ルイーズは言った。


「20年以上も君を慕い続けたアンドロイドがいた、というのは、決してありえない話ではないだろう?」

「だからといって、それを当たろうにも心当たりがなさすぎるな……」


 人の恋慕などわからないものだ。別の線から攻めるしかないだろう。

 半月分の記憶をさらい、私は口の中で呟いた。


「フィオは事件直後に意識を失い、そのままワイアット研究所に収容された……入れ替わるとしたら、その後か……?」


 顔を上げ、ルイーズを見る。


「ルイーズ、君はなにか気付かなかったか。タムラ所長の動向を監視していたんだろう」


 ルイーズはふるふると首を振った。


「それが、奴は特に不審な動きを見せなかったんだ。本当に、ただ言われるまま、警察や公安に協力しているようにしか思えなかった」

「そうか……」


 アイクが首を傾げ、ううん、と考え込む。私も同じように首を傾げていたが、ふと、あることに思い至った。


「ちょっと待て。ひとつ疑問がある」


 私の言葉に、ルイーズが片眉を持ち上げる。まだ首をひねったまま、アイクが「なんだよ」と問うた。

 目元を引き締め、私は言う。


「フィオは明日にも処刑される。当然、中のXごと、だ」


 言うと、アイクとルイーズは「あっ」と小さな声を上げた。うなずく。


「Xはなぜ、甘んじて処刑を受け入れている?」


 投げかけた疑問に、二人はしばし考え込む仕草を見せた。数秒の沈黙が降りる。

 先に声を上げたのはアイクだった。


「逃げるアテがあるとか? ほら、処刑の際、空のボディを破壊して死んだと思わせれば――」

「それはありえないな」


 ルイーズが言う。


「当然、世間もその行為を予想、警戒している。暴動を収めるための処刑なんだ。国のほうも、フィオの身体に〝生きた誰か〟が入っていることは、死の瞬間までモニター、中継し続けるだろう」

「そう、だよなあ……」


 アイクが黙り込むと、ルイーズは「だが、他の逃走方法ならある」と言った。


「私がツバキにしたことと、同じことをすればいい。『テセウスの亡霊』を使って、処刑執行から意識消失までの数秒間で、Xの魂を別のボディに逃がすんだ」

「……それも難しいと思うぜ」


 次に異を唱えたのはアイクだった。


「今、バックグラウンドで確認したんだけどよ……ほら、おまえらも見ろよ」


 彼は顎をしゃくり、壁際のディスプレイを示す。ぱっ、と明るくなった画面では、フィオの処刑についての詳細報道が、図説付きで報道されていた。

 アイクが言う。


「フィオの処刑は、議事堂屋上に設置されたステージ、その上の電波遮断室で行われる。外部通信による脱出への対策はばっちり、ってわけだ。もちろん、中のXが本気を出せば、遮断室の透明壁くらいすぐ壊せるだろうけど……秘密裏に脱出、ってのは絶対に無理だ」

「確かに、そのようだな……」


 ますますわからなくなってきた。

 Xに脱出の方法はない。処刑は、間違いなく行われるのだ。


(いったい、なぜ――)


 そのとき。

 ディスプレイから、けたたましい緊急速報のビープ音が鳴り響いた。

 弾かれたように顔を上げる私たちの前で、キャスターが顔色を変えている。


『た、たった今、官庁を狙った大規模なテロが発生したとのことです! 現場付近の人々は最優先で身を守り、ただちに避難を――』

「なっ……」


 青ざめる私たちをよそに、次々と続報が飛び込んでくる。

 現場の映像、被害の状況、犯行声明文、情報提供の呼びかけに、混乱に便乗した反アンドロイド派の狂乱じみた暴動と、巻き込まれる無関係の市民たち――


「……ひでえ……」


 アイクがぽつりと呟いた。ルイーズが、悔しげにくちびるを噛み締めている。

 続報が届くたび、転がり落ちるように増えていく死傷者数を、私たちはただ見ていることしかできなかった。


「くそっ、こんな状況で『人間にアンドロイドを信頼してもらう』なんて、できんのかよ……」


 震え声でアイクがつぶやく。私は、その問いに返事をすることができなかった。

 画面の中では、現場の動画がモザイク付きで放映されている。あまりに被害が凄惨なため、公共の電波に映すことができないのだ。


 ――今から私は、あの中に飛び込んで、真実を訴えなければならないのか。


「ッ……」


 ぐっ、と両手を握りしめた、そのとき。


『速報が入りました! 政府は今回のテロを受け、Ph_10nyの処刑を、今から一時間後の午後三時に前倒しすると発表しました!』

「なッ――」


 そうだ、フィオのことを忘れていた。

 一様に現状を思い出したらしい、アイクとルイーズもまた、私と同じように表情をこわばらせている。

 私は眉間に力を込め、「だめだ」とつぶやいた。


「Xはすべての真相を知っている。殺させるわけにはいかない」


 腰を下ろしていたベッドから立ち上がる。私はつかつかと、成人用ボディが収納されているケースに歩み寄った。

 しかし、ケースに手をかけた私の肩は、大きな手にぐっと掴まれた。振り返る。アイク。


「待てよ。おまえ、なにしようとしてる」

「決まってる。処刑場に乗り込むんだ。Xを救出しなければ」

「危ねえだろ!」

「危険はもとより承知の上だ。むしろ目標が明らかになって、行動計画が立てやすくなった」

「でも――」


 言い募るアイクを遮って、ルイーズの凛とした声が響いた。


「私は協力する。世間に真実を訴えるのなら、Xの証言はあったほうが良い」

「ルイーズ……」


 私とルイーズは視線を交わし、静かに頷きあった。二人揃ってアイクのほうを振り返る。彼はぐっ、と息を詰めると、ぐしゃぐしゃと髪をかきむしった。


「くそッ、またこの流れかよ……!」

「アイク」


 立ち上がり、アイクへと向き直る。私はいつもよりずっと高い位置にある鳶色の瞳を、まっすぐに見つめた。


「聞いてくれ。私がXを助けるのは、世間を動かすためだけじゃない」


 静かな呼びかけに、アイクは顔をしかめて私を見つめ返す。

 視線を合わせたまま、私は小さく息を吸うと、きっぱりと言った。


「私は警官だ。無実の罪を被せられ、殺されようとしている人物を、見捨てるわけにはいかない」

「ッ――……」


 アイクの顔がみるみる歪んでいく。喉仏の奥で、ぐっと詰まったような音がした。

 彼はがくりと下を向くと、ふーっ、と長い長いため息をついた。そして鳶色のつむじから、「あぁああもう……!」と怨めしげな呻きが聞こえて、


「ふっっざけんなよてめぇ! 帰ったら、ほんと、覚えとけよ! これは貸しだからな‼」


 それはそれはふてくされた、ほとんどやけくそじみた絶叫が上がった。びしり、と指を突きつけられ、苛立ちと悔しさが綯い交ぜになった視線で睨まれる。だがその瞳に険はなく、むしろ心配と許しすら見て取れた。


 この上なく面倒見の良い相棒を見つめ返す。私は小さく笑うと「ありがとう」とささやいた。アイクがますますふてた顔になる。

 一連のやりとりを見ていたルイーズが、実に楽しげに笑った。


「じゃあ、相棒くんの了承も取れたんだ。我々も、作戦開始といこうじゃないか」


 そう言うと、彼女は促すように私を見る。私はうなずくと、アイクとルイーズの二人を見渡して、きっぱりと告げた。


「ああ、行こう。かならず――Xを救出する」

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