013

 気が付けば、視界の隅で見覚えのあるアイコンがけたたましく明滅していた。アイク。


『――よおツバキ。始末書の準備はできてるか?』

『あ、アイク……』


 通信越しに呼びかける声は、暗に「落ち着け」と告げている。なだめるような声に、頭にのぼった血が、ゆっくりと落ちていくのを感じた。詰めていた息を吐く。通信の向こうのバディに向かって、私は小さく呟いた。


『……すまない。感謝する』

『おうよ。お行儀よく行こうぜ、相棒』


 黙って了承の意を示す。急に無言になった私に、フィオの未だ激昂を宿した瞳が、少しずつ落ち着きを取り戻していった。


 ため息をつき、無意識に浮かせていた腰を椅子に戻す。脚を組み直し、私はぎこちなくフィオに呼びかけた。


「オーケイ、少し落ち着こう……お互いに」

「……そうね。悪かったわ」


 フィオもどこか気まずそうな表情だ。

 鼻を鳴らし、腕組みする。やはり、この女がサクラと重なるなんて間違いだった。彼女なら己の責務を放り出したりはしない。

 居住まいを正すと、私はできるだけ落ち着いた声で言った。


「改めて、この尋問の目的を伝えるが」


 フィオは黙って私の言葉を聞いている。続けた。


「我々は、君がなぜ人間を殺害できたのかを解明し、その要因を取り除きたい。アンドロイドの安全性を全世界に証明するんだ。でなければ、人間とアンドロイドは戦争になる」


 フィオの表情がかすかに歪む。


「いや、戦争では生ぬるいな――虐殺だ」


 追い詰めるような言葉を使ったのはわざとだった。案の定、フィオがぴくりと反応する。私は身を乗り出すと、淡々と言った。


「アンドロイドは自分以下の弱い者を必ず愛してしまう。命を捨てて守る本能がある。そして人間の肉体は、確実にアンドロイドより脆弱だ」

「……どれだけむごい仕打ちを受けようと、アンドロイドに抵抗のすべはない、ってこと?」

「そのとおり。その状況を変えられるのは、君だけだ」

「私……」

「そうだ。可能性は三つある。まずは虐殺。次に、君が人間を殺害できた理由を白状し、すべてのアンドロイドにパッチを当て、安全を証明する。世界平和だ」


 そこで言葉を区切ると、フィオが小さく尋ねた。


「……他にも、あるの」

「ああ。我々にとってもっとも避けたい可能性だ。君が、人間の殺害方法を全アンドロイドに流布する。全てのアンドロイドが人間を殺せるようになれば、引き起こされるのは間違いなく、血で血を洗う『真の戦争』だ」

「っ……」


 ひくっ、と息を呑む音。私は薄い笑みを作って、言った。


「我々は、世界平和を望んでいる。君はどうだ? 何を望む。平和か? 虐殺か? それとも戦争か?」

「その言い方は……卑怯だわ」


 なんとでも言えばいい。我々のやりとりに、人間とアンドロイドという、全人類の命運がかかっている。卑怯な物言いくらい、いくらでもするつもりだった。


 美しいくちびるから、細く長い息が絞り出される。ゆっくりと顔を上げ、フィオは静かに言った。


「世界平和を振りかざしてアンドロイドから機能を奪うのが、あなたたちの正義なのね」

「奪うばかりでもないだろう。かつて我々は、君たちの命を守るため、そのリングを与えた」


 フィオの左手を指差す。その小指には、真新しいストレス管理リングが輝いていた。アンドロイドが生まれた5年後、ワイアットが死ぬ直前に開発された技術だ。これのおかげで、精神的要因により『事故死』するアンドロイドはほぼゼロになった。画期的な発明だ。


 しかしフィオは「違うわ」と首を振った。


「単に人間との対人ストレスで死亡するアンドロイドが多すぎたからでしょう? 誰だって、自分たちの無神経な言動で相手が死ぬのは気分が悪いものね」

「っ……」


 きっぱりと言い放たれ、ひるむ。


 たしかに、その側面はあった。 アンドロイドの心は繊細すぎる。少し傷がついただけで死んでしまうのだ。人間は彼らを愛してやらねばならなかったが、彼らにかかりきりになるわけにもいかなかった。だから彼らのケアをリングに『外注』した。


 強い語調で、フィオは言い放つ。


「人間の傲慢にしか思えない。不平等よ」

「……世界に平等など存在しない。だからこそ、幸運な者はそうでない者に対して、バランスを取る必要があるんだ」


 サクラの主張を引用すると、フィオはかすかに目元を歪めた。数秒の沈黙、そして。


「アンドロイドに……強者に生まれることは、幸運なの?」


 押し殺した、絞り出すような声が聞こえた。

(えっ……?)

 戸惑う。フィオの瞳はかすかに揺れていて、その声は聞いたことがないほど頼りないものだった。

 疑問が、口をついてこぼれていく。


「ならば君は……人間に生まれたかったというのか?」


 反論なり同意なりが来ると思っていた。しかし、フィオはひとつも返事をしなかった。

 そっと彼女の様子を伺う。


 フィオはわずかに俯いて、耐えるようにじっとしていた。その瞳に、なにか深い、切々とした感情が宿っている。極限まで押し殺した、やるせない悲しみのような。


 その瞬間、ちかり、と脳裏によぎるのは――桜色の瞳。


(なんだ……?)

 胸の底でなにかが揺れる気配がして、戸惑う。この瞳を見ていると、どうしてだろう、なにかが記憶の底でゆらめいて、よくわからない感情が、しんしんと込み上げてくるのだ。


 水のように胸を満たす不可思議な感覚に困惑しながら、私は「なあ」とフィオに呼びかけた。


「なぜ君は、人間を敵視するようになったんだ? もしかして、ミアや他の人間に、ひどいことをされたのか?」

「違う……敵視なんかしてない……私たちの間にだって、なにも、なにひとつ……」


(……なにもない?)

 だったらなぜ、君は、ミアを。


 問いかけは言葉にならず、私はただ、美しいフィオの表情が少しずつ歪んでいくのを、呆然と見ているしかできなかった。


「私はただ……」


 掠れたささやきが落ちて、フィオが私を見つめる。聞こえるのは、消え入りそうな震え声。


「疲れたのよ……もう、なにも考えたくない」


 そう言って、フィオはうっすらと微笑んだ。どこか見覚えのある、けれど私の知らない、深く昏い感情を湛えた微笑み。


 私は小さく息を呑み、その瞳を見つめる。

 わからない。一体なにが、フィオをここまで疲弊させたのだろうか。

 困惑する私に、フィオは昏い微笑みを崩さぬまま、ささやいた。


「少しだけど、あなたの記憶はもらったわ。なにか聞いて? それで、今日は終わりにしましょう」

「あ、ああ……」


 なんとか困惑を立て直す。居住まいを正し、私は電脳内の資料を見渡した。適切な質問を選び取ろうとする。


 さっきの質問の続き――『実験用資材管理課』で、フィオは何をしていたのか。アンドロイドの本能を破壊するような研究を、秘密裏に行っていたのではないか。そう尋ねるのが順当だった。


 しかし、口を開いた瞬間、私のくちびるからは、まったく違う質問がこぼれ落ちていた。


「ミアと君は……一体どういう関係だったんだ? 君たちは本当に、愛し合っていたのか?」

「愛……」


 ぽつり、とフィオが呟く。かすかに声を震わせて、彼女は言った。


「本当に――そんなものが、あったのかしら」

「え……」


 フィオの微笑みは崩れない。目を細め、口の端を持ち上げ、けれど隠しきれない昏い情動が、その奥で揺れている。


「愛していると思ってた。愛されてると信じてた。だけど結局、こんなことになったわ。なにかが――間違っていたのよ」


 ――なにか。


 その具体性のない言葉に、違和感を覚える。

 私はかすかに眉を寄せると、フィオに問いかけた。


「君が知りたいのは、その『なにか』か?」

「……そうね」

「そのヒントが、私の記憶にあると?」

「そうかもしれない……」

「なぜ、私なんだ?」


 フィオはただ黙って微笑んだ。水色の瞳を淡く細めるばかりで、彼女はなにも答えない。


 ――なぜ、フィオは私を選んだ?


 その問いに反応して、ふと、研究所でのことが脳裏に蘇った。タムラ所長と電脳医ルイーズの、不可解な態度。



 ――ほう。ツバキ・ワイアット嬢ですか。

 ――せいぜい頑張ってくれよ、ツバキ・ワイアット。



(……もしかして――)

 こみ上げる疑問に任せ、私は尋ねる。


「私が――ワイアットの子孫だから?」

「……」


 ゆっくりとまばたきをするフィオ。

 美しい面差しがうっすらと微笑んで、けれど――それ以上はもう、彼女はなにも答えなかった。




 それきり、尋問は終了となった。

 待機していた警官たちが、フィオの車椅子を押していく。立ち上がって見送っていると、ドアを出る直前、後ろ姿のフィオが不意にささやいた。


「ねえツバキ。さっきあなた、三つの選択肢を挙げたわね。平和か、虐殺か、戦争か」

「え? ああ……たしかに」


 急になんだというのだろう。困惑する私に、フィオは淡々と続けた。


「もうひとつ、あるわよ」

「……なに?」


 車椅子のフィオが、肩越しに振り返って、薄く微笑む。


「なにも語らぬまま関係者が死に絶えて、謎はただ謎のまま、世界はすべて元通りになる。そんな選択肢」

「関係者……?」


 この事件の関係者で、生存しているのはもはやフィオしか残っていない。私は顔をしかめた。


「アンドロイドは自分〝以下〟の弱者を本能的に守る。自殺は不可能だ」

「わかってるわ。もしもの話よ。でも――」


 とても優美に、小首をかしげる仕草。


「可能性は、ゼロじゃないかもね?」


 その微笑みは不自然なほど清らかで、美しかった。思わず、呆然とした声が漏れる。


「君は……死にたいのか?」


 フィオは答えなかった。ただ、静謐な面差しのまま、淡く微笑んでいる。

 ささやきが聞こえた。


「あなたの目、きれいね。椿の花の色」


 澄んだ水のような微笑み。きらきらと、銀色の短髪が光っている。前髪の下から覗く水色の瞳が、じっと私を見つめていた。


「その瞳で――あなたは今まで、何を見てきたのかしら」

「……」


 フィオの言いたいことがわからない。思わず目元を触った私に、彼女はふっと微笑みを深くした。


「今日はありがとう。……明日、また会いましょう」


 その言葉を最後に――フィオは取調室から連行されていった。


 ぱたん、とドアが閉じる音。あとに残されたのは、困惑する私だけ。

 よくわからない感情がさっきからずっと胸の奥に宿っていて、私は戸惑いのあまり胸元を押さえた。

(Ph_10ny……)


 あの女は謎だ。なにを考えているのか、まるでわからない。


 でも――あの水色の瞳の向こうに見え隠れする、切々とした感情は、少しだけサクラに似ている気がした。

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