012
「君の――仕事について尋ねたい」
そう言うと、フィオは意外そうに目をしばたたかせた。どうやら、事件についてや、ミアとのプライベートについて聞かれると思っていたらしい。
視界の隅のアイコンたちを、ちらりと確認する。ボスが選んだ〝信頼できる〟刑事たち。私は意を決して、尋ねた。
「半年前、左遷されたと聞いた」
フィオの目元がぴくりと動く。拘束されていてもわかる顕著な反応に、私は薄く目を細めた。
「実験用資材管理課、だったか。君は植物担当だったらしいが、どんな部署だったんだ?」
もしかしたら、その部署ではなにか〝特殊な〟研究がされていたのかもしれない。それこそ――アンドロイドに人間の殺害を、可能にするような。
フィオがわずかに沈黙を取る。控えめな声がささやいた。
「……そのままよ。植物を管理するの」
「君ほどの人物が、草花の面倒を見る?」
疑問をそのまま口にする。フィオは目元に笑みを浮かべた。
「植物の意思疎通手段を解析して、電脳通信に取り入れる研究が進んでいるの」
まるで答えになっていない。眼差しで促すと、フィオは淡々と続きを述べた。
「彼らは言語を用いない。扱う情報のゾーンが人類とはまったく違っている。それをうまく取り入れれば、通信容量の節約に繋がって――」
「それはあくまでも研究・解析の部分だろう」
すらすらと続く上滑りの言葉を遮る。笑顔のままのフィオが、かすかに息を詰めた。私は噛んで含めるように言う。
「君が行っているのは『管理』だ。研究じゃない」
「……」
「実験に使う植物のコンディションを管理する? Ph_10nyのする仕事とは思えない」
「それは――」
「ああ、それともワイアット研究所では、ただの資材管理課が研究まで請け負うと?」
「……っ」
追い込むつもりはなかったが、つい問い詰める口調になってしまった。フィオはどこか不自然な笑みを浮かべている。薄く色づいたくちびるから、小さな声がした。
「……重要な資材なの。他人には、任せられない」
「どんな」
「機密に関わることよ。殺人事件とは関係ないわ」
「関係ない?」
ぴくり、と眉が跳ねる。私はわずかに語調を強めた。
「それを判断するのは私だ。話してもらおう」
「――いいえ」
さらに強い語調でフィオが言う。水色の瞳が、すうっと動いて私を見据えた。美しい口元から、凛と張った声がする。
「この話題はここまでよ。これ以上を聞きたいなら、事実ではなく記憶を差し出すことね」
「……わかった」
きっぱりした強い口調は、この回答はあくまでフィオの温情にすぎない、と告げていた。苦い気持ちになる。
フィオは小さく微笑むと「取引を続ける?」と微笑んだ。頷く。
「個人的な記憶……プライベートな話をすればいいのか」
「そうね。できれば、今じゃなくて過去の……あなたの人間性にまつわるような、極めて私的なものがいいわ」
「私的な……」
顔をしかめる。色々と考えを巡らせて、でも、どんなエピソードならフィオが満足するのか、まるでわからなかった。
いつまでも考え込む私に、フィオがそっと微笑みかける。
「なんでもいい……って言われても、あなたは困るのよね」
「……ああ」
「なら、そうね。もし良ければ、妹さんの話を聞いてもいいかしら」
「サクラの?」
フィオの頷き。澄んだ水色の瞳が、控えめに私を見つめた。
「あなたが、不快でなければ……私は聞きたいわ」
「……嫌だと言ったら? 取引は終わりか?」
「いいえ。別の話をすればいいだけ。無理強いをする趣味はないの」
「……」
やはり、この女はよくわからない。
おそらく彼女は、サクラの身になにが起こったのか、薄々察しているのだろう。カウンセラーのような慈悲深い言動は、まさにアンドロイド的だ。しかし同時に、この女は結婚式で花嫁を惨殺した殺人犯だ、という事実がのしかかってくる。どちらが、本当の彼女なのだろう。
じっと黙り込んでいると、フィオはなにを思ったか、ふっと小さく息を吐いた。
「ごめんなさい」
「え――」
かすかな謝罪に顔を上げる。フィオはどこか困ったような顔で微笑んでいた。
「無神経だったわ。他の話をしましょう」
「あ、いや、私は別に、そういう理由で、黙ったわけでは……」
「そうなの?」
フィオが目をぱちぱちさせる。私は頷くと、顔をしかめて続けた。
「単にその……君のことを考えていて」
「私の?」
「君はとても、ええと……」
口ごもる。優しい人に見える、と言うのはためらわれた。数秒間逡巡したのち「なんでもない」と首を振る。
「サクラの話だったな。構わない。なにを言えばいい?」
フィオは「そうね……」と視線をさまよわせた。
「妹さんは、どんな人だったの?」
やわらかな問いかけに、すっと視線が落ちていく。机の上に乗せた両手、黒手袋のそれをぎゅっと握りしめて、私は小さく呟いた。
「……優しい子だった」
正面で、フィオが静かに私の言葉を待っている。落とした視線もそのままに、ぽつりと続けた。
「私と同じ警察官で、だけど私と全然違っていた。怒ることなんてほとんどなくて……被害者にも、それどころか加害者にも優しかった」
「加害者にも?」
うなずく。
「善悪は平等じゃない、とサクラは言った」
「どういうことかしら」
フィオが首を傾げる。顔を上げて、その瞳を見つめ返した。
「善を生むのは安全と生活の余裕だ。そして世界は平等ではない。私たちが平穏を享受し、善良でいる代わりに、誰かが困窮と悪辣を引き受けている。罪を犯すのはそういう人々だ」
「理屈として、間違ってはいないわね」
「ああ。だからこそ、幸運な我々は、不運だった彼らのために身を尽くし、手を差し伸べなければならない。誰ひとり、加害者にも被害者にもしないために。それがサクラの口癖だった」
「……」
フィオが黙り込み、すっと静かな瞳になる。
「フィオ……?」
数秒の沈黙ののち。淡く色付いたくちびるが、小さく動いた。
「それで――サクラさんは幸せだったのかしら」
「え?」
予想外の言葉に顔を上げる。
フィオはシンとした声で、淡々と続けた。
「強い者は、無条件で弱者に尽くさなければいけないの? 悪辣が運次第なら、善良もまた運次第でしょう。たまたま『善良』を引き当てただけのサクラさんが、身を削る理由はどこにあるの?」
「それは……」
そんなこと――考えたこともなかった。
戸惑う私をよそに、フィオはさらに言う。
「理想を掲げるのは立派なことよ。でも私には、彼女の言葉がとても不健全に思える」
「不健全」
「だって、そこにサクラさん自身の幸せは存在しないじゃない」
「だから、社会の誰もが善良でいられるようにすることが、サクラの――」
「それはただの理想であって、幸福とは違うわ」
「幸福……?」
――ただの理想ではない、サクラ自身の幸福。
その言葉を噛み締めているうちに、私の中にむらむらと苛立ちが込み上げてきた。フィオの言葉は、サクラが信じた理想を、真正面から否定するものだったからだ。
感情のまま、きっ、と水色の瞳を睨み返す。
「……そんなものに、何の意味が?」
「えっ?」
ぐっと眉間に力をこめる。私は強い口調で続けた。
「サクラは満足していた。理想に邁進することが彼女の幸せだった。個人のささいな満足など、その幸福とは比ぶべくもない」
「幸福? 強く生まれた者が聞こえが良いだけの理想に騙されて、一方的に搾取されているようにしか見えないわ」
「強くあるというのはそういうことだ。君もアンドロイドなら、もちろん理解――」
「――わかりたくないわよ‼ そんなの‼」
「なっ……⁉」
あまりにも唐突な叫びにびくりとする。
フィオの瞳には、はっきりと激情が宿っていた。ずっと穏やかな態度を貫いてきた彼女が、声を荒げるのは初めてだ。目を丸くする私へ、フィオはきつく視線をとがらせた。
「望んでアンドロイドに生まれたわけじゃないのよ。たまたま強かっただけじゃない。どうしてアンドロイドだからって、個人としての幸せを捨てて、大衆に尽くさなきゃいけないの?」
「それは、君たちはもともとそういう生命だから――」
「だから何? いくらアンドロイドが本能的に人間を愛しても、それが人を搾取していい理由にはならないじゃない。私は、納得できない」
「……っ」
見たことのない、射抜くような眼差し。
その鋭さに、思い知らされる。いくら表面上は穏やかで優しげであったとしても、この女は無抵抗な人間を惨殺したアンドロイドなのだと。
黒手袋の手を握りしめ、私はぽつりと声を絞り出した。
「それが、君が人間を……ミアを殺した理由か。プロパガンダのため、あんなパフォーマンスのような殺し方を……」
「……」
フィオがぐっと黙り込む。水色の瞳が逃げるように逸らされて、
「……さあ、どうかしらね」
小さな、消え入りそうな声がこぼれ落ちた。
(なんだと……?)
ごまかしとしか思えない言葉に、かっ、と反感が込み上げる。
気が付いた時には、だんっ、と机を殴りつけていた。握り込まれた手が、ぎちりと革の音を立てる。食いしばった歯の奥から、低い声が漏れ落ちた。
「いつまで白を切るつもりだ……⁉ いいか、君は幸運だった。類稀なる能力と恵まれた環境があった。君と違って世界には、不運にも悪辣にならざるを得なかった人がいくらでもいるというのに……言うに事欠いて『強者が搾取されている』だと? ふざけるな‼」
きっ、とフィオが顔を上げる。悲鳴じみた鋭い声。
「じゃあ、強い者にはいくら甘えてもいいっていうの⁉ それこそ思考停止じゃない‼」
「そんなことは言っていない! 詭弁を振りかざすな‼」
「詭弁ならあなただって同じよ‼」
「なにを――」
――その瞬間。
ビーッ‼ と電脳内に強烈なビープ音が響き渡った。はっ、とする。
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