011

「こんにちは、ツバキ。ご機嫌はいかがかしら」

「……無駄口を叩くような機嫌でないことは確かだ」


 ぼそりとつぶやくと、私はかたりと椅子を引き、腰を下ろした。


 真っ白い取調室。中央にぽつんと置かれた机の前に、車椅子のフィオがいる。昨日とまったく同じシチュエーション。だが昨日と違うのは、私の隣に相棒がいないことだった。


 いや、アイクだけではない。この取調室には、私とフィオ以外には誰もいなかった。二人きりの室内は妙に広く感じる。


 電脳内に資料を広げ、保護された通信を開いた。視界の隅に、別室で待機している捜査員たちのアイコンが表示される。


(ん……?)


 妙に人数が少なかった。全部で五人もいない。トラブルだろうか。尋問の開始時刻はこれでよかったはずだが。


『ボス――』


 思わず呼びかけようとした瞬間、電脳内にアイクの声が響く。


『ああ、人が少なすぎるってんだろ? これでいいんだよ』

『え?』

『昨日、あの電脳医から聞いた話をボスに報告したよな。そこでキナ臭い気配を感じた我らがボスは、聴取チームをごっそり再編成したのさ。信頼できる刑事だけで、な』

『……そういうことか』


 納得する私の耳に、『あーあ』という声が聞こえてくる。


『良かったな。信頼されてるってよ、俺たち』


 全く『良かった』ではない口調だった。「ああ面倒なことになっちまった」という心境が、ありありと伝わってくる。私は軽くため息をつくと、


『軽口はいい。始めるぞ』


 それだけを伝えて、記録をスタートさせた。

 背筋を伸ばし、目の前の女を見つめる。フィオは相変わらず車椅子の上に拘束されていて、中性的な容貌が儚げに微笑んでいた。

 小さく息を吸って、宣言する。


「では、Ph_10ny。――花嫁ミア殺害事件について、尋問を開始する」


 水色の瞳を淡く細めて、フィオは「ええ」とうなずいた。

 軽く顎を引き、私は表情を引き締める。美しい水色の瞳を、まっすぐに見つめ返した。フィオが微笑む。


「なにから始めようかしら」

「取引、と君は言ったな。私の個人的な記憶がほしいと」

「ええ。でも、いきなり尋ねるのは情緒がないかと思って」

「ふざけたことを」

「あら。私はまじめよ」


 少し困ったように苦笑すると、フィオは銀の短髪をさらりと揺らして小首をかしげた。


「個人のきわめて感情的な記憶――思い出を聞き出すのよ。心の準備は必要だわ。お互いにね」

「世間話でもしろと?」

「そうよ。ウォーミングアップとでも思えばいいわ」


 淡く朱に色づいたくちびるが穏やかな笑みの形を作って、フィオは子供をなだめるような瞳をする。むらむらと苛立ちがこみ上げるのをこらえて、私は「わかった」と呟いた。


「そうだな……では、今朝はどんな食事を?」


 何気なく尋ねる。すると、フィオがぱちぱちと目をまばたかせた。そのまま何も言おうとしない。なんだ、とばかりに軽く睨めば、フィオはどこか遠慮がちに口を開いた。


「ねえ……あなた、世間話が下手でしょう」

「……なぜわかる」


 フィオが軽くため息をつく。


「これでわからない人がいたら、そっちの方が驚きだわ。よりによって収監中の重犯罪者に、朝ごはんって……」


 呆れたようにささやくと、フィオは少しだけ眉を下げて微笑んだ。


「いえ、まあいいわ。それもきっと、あなたらしさなのね」

「……」


 なんだろう。馬鹿にされている気がする。

 私の苛立ちを感じたのか、フィオはくすりと笑って「ごめんなさい」と言った。私は黙って首を振る。


「君の言う通り、世間話は苦手なんだ。ウォーミングアップなら早く済ませてくれ」

「もう、本当に情緒がないわね。いいわ、今朝の食事ね」


 フィオは静かな微笑みを浮かべたまま、水色の瞳をふっと伏せた。


「今朝……というか、収監されてからはずっと、三食同じものばかりよ。ゼリー状の流動食。ダミーボディの筋力でも自力で食べられるように、って。味気ないわね」

「なぜ。栄養価が高くて素晴らしいと思うが」

「心が満たされないもの。身体的な補給にしかならないわ」

「では、上に精神安定プログラムの処方を要求してみよう。満たされた気分になれるはずだ」


 極めて人道的な提案だと頷く私に、フィオはなぜか苦虫を噛み潰したような顔をする。


「……だんだんあなたのことがわかってきた気がするわ」

「そうか?」

「ええ。嫌味でも意地悪でもなく、あなたはただ純粋に、本気で気を使っているつもりなのよね?」

「? 当たり前だろう」

「その……すごく誤解されるタイプよ、あなた」

「そうだろうか」


 そこまで口にして、ふと思い出した。

 たしかに、私は口下手で、気が短くて、感情的なケアや世間話が極端に苦手だ。誤解されやすいというのも頷けるし、始末書の常連なのも、そのせいだろう。


 そんな私が今まで致命的なトラブルを起こさなかったのは、ひとえにサクラがいたからだ。


 彼女はいつも優しくて、他人を慮ってばかりで、どんな相手にも誠実だった。私の尻ぬぐいばかりしていた。だから私は安心して短気を発揮できたのだ。


(でも、サクラは、もう……)


 視線が落ちる。なにもない机の上を眼差しがかすかにさまよって、私はぽつりとつぶやいた。


「世間話とは――どうなったら終わりなんだ」

「終わり?」

「次の段階に進む合図だ。どういう状況になれば、本題に入れる」

「……」


 ふっとフィオが黙り込んだ。ゆっくりと視線を上げる。透き通った水色が、やわらかい感情を宿して、静かに私を見つめていた。


「あなたが話したいと思ったら、いつでも本題に入っていいのよ」

「さっきと言っていることが違う。情緒はもういいのか」

「こういうのはケースバイケースなの」

「意味がわからない」


 フィオは穏やかに苦笑すると「わからないならそれでいいわ」とささやく。澄んだきれいな声が、そっと私の名を呼んだ。


「ねえ、ツバキ。あなたの話したいことを話して。私はただ、あなたのことを知りたいの」

「……話したい、こと……」


 抵抗があった。この女は、愛すべき家族を殺した犯罪者だ。幸せにするはずだった、守るべき相手を、その手で惨殺した女だ。絶対に許せない人物だ。


(でも――)

 なんだか、おかしな感じがする。


 目の前のフィオは、穏やかな佇まいで私を見つめている。その瞳に宿るのは慈愛のような悲哀のような、それでいて、そのどちらとも似ていない、どこかほのかな温度だった。


 違和感を覚える。私の知る花嫁ミア殺害事件と、目の前の人物が、どうにも噛み合わない気がするのだ。


 今向けられているフィオの微笑みは、一見とても優しそうに見える。なにか裏があるのかもしれないが、いくらじろじろ観察しても、フィオは静かに微笑むだけだ。不躾を咎めるそぶりすら見せない。こんな穏やかな人が、本当に無抵抗な人間を惨殺したのか。


(そもそも――なぜ、フィオはミアを殺したのだろう?)


 その疑問は『アンドロイドが人間をどうやって殺害したのか』という謎よりもずっと強く、私の興味を引き付けた。


「ツバキ?」

「あ、ああ。記憶だったな……少し待ってくれ」


 いつまでも話し出さない私に、フィオは少し微笑んだ。


「ふふ。いいのよ、ゆっくりで」


 まるで小さな子を見守るような、とてもやわらかな眼差し。その瞳に既視感を覚え、戸惑う。



『――ふふ。いいんだよ、ゆっくりで』



(え……?)

 どうしてだろう。目の前の穏やかな微笑みが、昨夜見た夢のサクラと、重なって見えた。


(サクラ……?)

 なにか深いところが、不安定に揺れるのを感じて、戸惑う。


 違う。この女はサクラじゃない。家族を殺した犯罪者だ。気を許してはいけない。これは取引だ。

 何度も自分に言い聞かせる。私はほとんどやけになって、無理やり言葉を絞り出した。


「……PTSDのため、はっきりしないのだが」

「えっ……?」


 唐突な切り出しに、フィオが目を丸くする。私は彼女の顔を見ないようにして、できるだけ淡々と口を動かした。


「警察学校の後輩に、サクラという子がいた。色々あって、私は彼女を妹として家族に迎え入れた」


 感情を揺らさないよう、機械的に話す。正面のフィオが戸惑う気配があった。無視して、続ける。


「犬もいた。シスという警察犬。私と、サクラと、シス。ふたりと一匹は家族として、平穏に暮らしていた。幸せだったと思う」


 もちろん、たまに優しすぎるサクラが泣いて帰ってきたり、私が短気のせいでトラブルを起こしたりはした。シスの躾をめぐって、あるいは生活の端々が原因で、喧嘩だってした。けれど私たちの生活は、おおむね平和で、そして間違いなく幸福だった。


「でも――ある日、シスがいなくなった」

「いなくなったって……迷子になったの?」

「いや。さらわれたんだ」


 フィオがぴくっ、と肩を震わせる。私は気が付けば詰めていた呼吸を再開して、静かに続けた。


「私たちのもとにシスが送り返されたのは、それから二週間後のことだった」

「送り返された――」


 なにかを予見してか、フィオの声がかすかに硬くなる。私はうなずくと、感情を押し殺して、淡々と声を発した。


「シスは――バラバラにされていた」

「っ……!」

「首が落とされ、耳は引きちぎられ、四肢は折れ曲がって、内臓がすべて引きずり出されていた。黒い鼻先が、ナイフで削ぎ落とされていたのを、妙にはっきり覚えている」


 ぐっ、とフィオが耐えるように口元を引き結んだ。

 私は抑えた声のまま、できるだけどこも揺らさないようにして、続きを話した。早口になるのは避けられなかった。


「私とサクラは血眼で捜査を行い、犯人たちを検挙した。連中は軽犯罪を繰り返す少年グループで、遊び半分で犯行に及んだとのことだった。裁判のすえ、余罪もあって全員が未成年刑務所に叩き込まれた。けれど数年後、出所してきた犯人のひとりによって私はレイプされ、止めに入ったサクラまで――」

「――待って!」


 控えめに、けれどきっぱりと、遮る声。


 そっと視線を上げた。澄んだ水色の瞳が、静かな痛ましさをもって、まっすぐに私を見つめている。やわらかな色をしたくちびるが、シンとした声でささやいた。


「もう、いいわ。それは事実であって、記憶じゃない」

「……もっと感情的になるべきだったか?」

「そういうことじゃないわ。私は別に、あなたを無理に暴きたいわけじゃ――」


 ふっと言葉を途切れさせたフィオ。小さく「いいえ」と呟いて、フィオの眼差しにかすかな陰りが宿る。


「でも、そうね……これは――取引、だったものね」


 細い、小さなため息。

 数秒間、じっと目を伏せていたフィオは、ゆっくりと顔を持ち上げた。押し殺した声が静かに言う。


「あなたは、感情にまつわらない、ただの事実を語った。それはまったく私の望むものではなかったけれど――それでも、あなたにとってはとても重大な事実だわ」


 一度言葉を切って、小さなため息をつくと、フィオは続けた。


「せめて私は、それに見合うものを語るべきよね」


 予想外の言葉に、思わず目を丸くする。


「いいのか? 君の望んだ回答ではないんだろう」

「もちろん、今回限りよ。だから二度とこういうことはやめて」

「こういう、とは」

「自分の痛みを、粗末に扱うことよ」


 きっぱりとした口調。まっすぐな視線。

 その強さに私はかすかにたじろいで、気が付けばくちびるから、

「……わかった」

 そう呟きが漏れていた。


 フィオはようやく眉間から力を抜く。穏やかな微笑みに戻った彼女へと、私は呼びかけた。


「私の言葉に見合うものとして、なにを語るかは、君が決めるのか」

「あなたが質問しても構わないわ。ただし、答えるか答えないかは私が決めさせてもらうけど」

「……では、そうさせてもらおう」


 気持ちを整え、椅子に座りなおす。私は電脳内に資料を広げると、上目でじっとフィオを見た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る