015

「――伏せろッ‼」


 反射的に叫んでいた。


 管理人に飛びつく。痩せた身体を抱き込んで床に転がる。

 ほとんど同時に、轟音とともに窓ガラスが砕け散った。巻き上がる煙と火薬の臭い。アイクの叫び声。


「ツバキ!」

「問題ない! 向かいのビルに人影、確保させろ!」

「わかった!」


 壁に背を付けたアイクが、ちかちかっ、と目を光らせて応援を呼ぶ。ビルの屋上に見えていた人影が、踵を返して消えていった。


「たぶん迷彩だ。ズームしてもシルエットしか記録できなかった。送信しておく」

「うっわ、ガチ装備じゃねえか……よく無事だったな、俺たち」

「爆撃ひとつで逃走したあたり、本気じゃなかったんだろう。警告と見るべきだ」

「違いねえな……」


 ゆっくりと起き上がる。ぱらぱらと、背中からガラスの破片が落ちた。抱き込んでいた管理人を助け起こす。あまりにも唐突な急襲に、彼女は蒼白になって震えていた。


「な、なに、なにが……」

「おそらく、反アンドロイド団体の襲撃だ。あなたが無事でよかった。マンションの住民たちは、しばらく避難させたほうがいい」

「っ……」


 真っ青な顔が、こくこくと頷く。アイクがそっと歩み寄り、管理人に優しく語りかけた。


「あとは僕たちに任せて、念のため病院に行きましょう。警官を同行させます。大丈夫、家まで送るので安心してください」

「は、はい……っ」


 がくがくと震える管理人をなだめるアイク。やはりこういう役回りは、彼のほうが適任だ。

 私は現状を確認するため、部屋の中を見渡した。


 擲弾がひとつ、窓を割って飛び込んだようだ。威力は大したことはない。中に人がいることを確認しての襲撃ではあったが、本気で殺傷するつもりはなかったのだろう。単なるこけ脅しだ。


(だが、これが警告だった場合、どこかで『本番』が起こる可能性がある……)


 警戒を呼びかけたほうがいいだろう。もはや反アンドロイド団体の暴走は留まるところを知らない。事件以来、日ごと夜ごとに緊張は高まり、世間はもはや破裂を待つ風船のようだった。


(ん……?)

 そのとき、ふと視界の隅に違和感を覚えた。


「アイク」


 管理人をなだめていた相棒を呼ぶ。「なんだ」と振り返る彼に、私は壁を指差した。


「見ろ。そこの、写真立ての上だ」

「あ……?」


 アイクが目を細める。睦まじい結婚写真の上、白い壁には、さっきまでなかったはずの四角い『切れ目』が見て取れた。ちょうど隠し金庫くらいの大きさだ。


「おい、これって……」

「おそらく迷彩の一種だ。壁紙に認知を狂わせる仕掛けがあったんだろう。だが、今の爆撃で、塗装ごと化けの皮が剥げたと見える」


 黒手袋の指先で、窓の横を指す。規則的なパターンが並ぶ壁紙の一部が、大きく損傷していた。

 アイクがため息まじりに言う。


「まじかよ。見ただけで認知を侵食する壁紙って……」

「相手はあのPh_10nyだ。それくらいの仕掛けは朝飯前だろう。さあ、こじ開けるぞ」

「待てよ。罠かもしれねえだろ」

「なら、そこの女性は退避させておけ」

「いや、おまえがかかったらどうすんだよ!」

「構わない。仮に罠だったとして、脳と脊髄の上部さえ無事なら生きてはいける。むしろ全身義体化するいい機会だ」

「バカ、なに言ってんだ!」

「――アイク。管理人の女性を」

「ッ……ほんっと、この、バカ……‼」


 私の決意が固いと悟ったらしい。アイクは絞り出すような悪態をつくと「ちょっと待ってろ! まだ開けんなよ!」と怒鳴って部屋を出ていった。


 数分後、ものすごい渋面でアイクが戻ってきた。


「遅かったな」

「うるせえよ」


 ぶつぶつ文句を言うアイクが取り出したのは、突入用のいかついヘルメットが二つ。がぼっ、と金属のそれを被せられ、私は目を丸くした。


「わざわざ取りに行ったのか」

「当たり前だ。もし電脳外殻ごと吹っ飛ばす罠だったらどうすんだよ」

「それは……考えてなかったな」

「――バカ‼」


 ゴツッ、とメット越しに殴られる。この痛さはどうやら、本気で怒っているらしい。

 私は肩をすくめると、アイクがメットを装着していることを確認し、万能ナイフを取り出した。


 四角い切れ目、その隙間に刃先をねじ込む。ぐっ、ぐっ、と何度かひねる。簡素な物理錠だったらしい、思いの外あっさりと壁は開いた。


 ガコン、と音を立て、外開きの戸が開いていく。隠しスペースの内側は小さく、最低限の貴重品しか入らないほどのサイズだった。

 張り詰めた警戒とともに、ゆっくりと中を覗き込む。うっすらした暗闇に、ぼんやりと白いものが見える。


「……紙キレ?」

「メモだなこりゃ。珍しい、手書きだ」


 私は恐る恐る手を伸ばし、その紙をつまみ上げた。ゆっくりと手を引き、内部から紙を取り出す。なんの異変も見られない。どうやら、罠のたぐいではなかったようだ。


 ふーっ、とアイクが息をつく。私はずれかけたメットを整えると、紙片の文字に目を走らせた。

 そこにあったのは、たった一言、手書きの文字。



『どうか、ミアに長生きしてほしい』



「……っ」


 私とアイクは言葉を失う。

 高度な技術を惜しみなく用いて、大仰に隠された空間に、たったこれだけのメッセージ。願い事、と言い換えてもいいそれは、あまりにもシンプルな一言だった。


 アンドロイドと人間は、同じ時間を生きられない。

 それは誰もが理解する、当然の摂理だ。まして身体の弱いミアと世界最高のアンドロイドであるフィオならば、命の差は決定的なものになる。


 しかしフィオの筆跡と思われるメモからは、その現実に抗いたいという、痛いほどの祈りが感じられた。


 ミアは長生きできないと言われていた。電脳研究者であるフィオに、人間の身体を治療する技術はない。彼女のためにできることなど、祈りの言葉を記すくらいしかなかったのではないだろうか。


 愛する人に、長く生きていてほしい。呆れるほど単純な、けれど切なる願い事。

 見下ろしたメモの文字は、おそらくは涙の跡で、薄くにじんでいた。心臓の奥が、小さく震えている。


(……どうして)

 なぜ、こんなことになってしまったんだ。


 湧き上がる、嘆きに近い感情が止められなかった。

 これを見ればわかる。フィオは間違いなくミアを愛していた。そしてミアも、フィオのことを愛していた。それなのに、フィオはミアを殺害したのだ。それも結婚式の最中という、もっとも幸福なはずのタイミングで。


(一体……なにがあったんだ?)


 どんなに捜査を重ねても、悲劇の原因がわからない。悪意がどこにも見えてこない。二人は愛し合っていた。それは確かなはずなのに。


(フィオ、君は本当に、どうして……)


 ここまで愛した人を、殺さなければならなかったんだ。アンドロイドに備わった、絶対の本能に抗ってまで。


 哀切な感情が、静かに胸を締め付ける。私はゆっくりと息を吐くと、フィオのメモをそっと証拠保管袋に収めた。透明な袋ごし、祈るような文字列が、白い紙片にくっきりと映えていた。

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