004
アイクが「おい!」と慌てたように私を睨む。しかし、私はこみ上げる感情を抑えることができなかった。
フィオはといえば、なんの反応も見せないままだ。ただゆっくりと、その眼差しを持ち上げるだけ。水色の透明な瞳が、静かに私を見つめた。
「――私に、なにか言いたいことが?」
「……死ぬほどな」
「おいツバキ、落ち着けって」
「私は落ち着いている。落ち着いているとも」
「本当に落ち着いてる奴は二回も同じことを言わねえんだよ!」
たしなめるアイクの肩をぐいと掴み、どけ、とばかりに顎でしゃくる。ほとんど強引に彼から椅子を奪うと、私はどかりと座り込んだ。
フィオの瞳を真正面から睨みつけ、低く言う。
「『なぜこんなことになったか』だと? 自分で彼女を殺しておいて、よくもそんな物言いができるな」
「……」
フィオは応えない。ただ静かな目をして、生気の抜けたような表情で私を見つめている。それがますます腹立たしかった。
「ミアは信じていた。あの日、自分は幸福になると、心から信じていたんだ。おまえはそれを裏切った。愛してやると決めたくせに。おまえは、家族を、殺したんだ」
「……家族」
ぽつり、とフィオがつぶやく。静謐な眼差しが、ゆっくりと一度まばたきをする。水色の瞳がまっすぐに私を見て、淡い色のくちびるが、静かに開かれた。
「それがあなたの逆鱗なのね」
「なんだと……?」
身を乗り出し、睨みつける。フィオは淡々とした表情のまま、言った。
「もしかして、昔、家族にまつわる辛い出来事があったのかしら」
どこか痛ましげにすら聞こえる声に、ますます憤りがこみ上げる。いい加減にしろと思う。
ぎちっ、と革の軋む音がして、手を痛いほど握り込んでいることに気が付いた。握った拳を叩きつけたいのを堪える。
「ふざけるな……今さら善人ぶるつもりか?」
「……私はきっと、善人なんかじゃない。でも」
穏やかぶった静かな声。それが不愉快だと思う。
人殺しのくせに。家族を、一生愛すると決めて選び取った人を、無条件で守り慈しむべき存在を、むごたらしく殺したくせに。死刑なんかじゃ生ぬるい、それほどの罪を犯したくせに。
水色の瞳がまたたいて、シンとした瞳が私を見て――フィオは静かにささやいた。
「いくら私を糾弾しても――あなたの傷は楽にはならないのよ」
「――ッ……!」
反射的に立ち上がっていた。
簡素な椅子が床を弾み、倒れる。その音を気にも留めず、フィオはただ黙って私を見つめていた。
だんッ、と天板を叩く。私は地を這うように低い声を絞り出した。
「調子に乗るのもいい加減にしろ……なぜミアを手に掛けた、どうやって殺したんだ! 吐け!」
「おい、ツバキ!」
アイクが私の肩を掴む。荒々しく振り解いた。フィオが静かに、淡々とした声で言う。
「……答えられないわ」
白々しい様子にますます苛立ちが込み上げて、私は「ふざけるな」と吐き捨てた。
「おまえに被疑者の権利など存在しない。今すぐその小指のリングを剥ぎ取って、自白するまで拷問してもいいんだぞ」
「ちょっ、その発言はまず――」
「黙ってろアイク」
「いや、おい!」
「なあPh_10ny。おまえは何が大事なんだろうな。地位か? 名誉か? それとも友人か? そのひとつずつを目の前で壊してやったら、さすがに白状する気になるか……?」
「っ……」
フィオの表情がかすかにこわばる。整った相貌に顔を近づけ、銀糸の隙間から覗く耳に触れた。冷え切った白い耳朶を、くい、と強く引っ張りながら、
「なあ……おまえは、自分がどれほど痛みに耐性があると思う?」
そうささやいた瞬間。
「――いい加減にしろツバキ‼」
ばしん、と頭をはたかれた。アイク。
はっとして、フィオから手を離す。気が付けば、視界の端で、警告や違反勧告のメッセージが大量のポップアップを鳴らしていた。
がしりと肩を掴まれ、強制的に椅子に座らされる。鳶色の瞳がきつく私を睨みつけ、アイクは鋭く言った。
「拷問をちらつかせて自白を引き出すのは、極めて重大な服務規程違反だ。人道に反するとして、国際法にも牴触する」
「あ……」
「わかってんのか。おまえは今、刑事として、絶対にしちゃいけないことをしたんだぞ」
「っ……」
のぼせていた頭が一気に冷める。私は呆然とアイクを見つめ返した。
恐る恐るフィオの方を見る。その顔はかすかにこわばって、車椅子の上に留められた手は小さく震えていた。小指に光るストレス管理リングが、目まぐるしく明滅している。
私は失態と後悔をこらえて、乾いてしまったくちびるを小さく開いた。
「その……すまない……」
フィオは答えない。当たり前だ。今さらこんな謝罪など、取り繕う以外の意味を持たない。
「あー……えーっと……」
アイクが引きつった苦笑を浮かべ、後頭部を軽く掻く。賢明に無害をアピールする仕草に、私は黙って椅子から立ち上がると、数歩後ろに下がった。
「その……申し訳なかったね。とりあえず、今日はこれくらいにしておこうか」
アイクの呼びかけに、フィオが小さく頷く。私はただ、自己嫌悪でくちびるを噛むしかできなかった。
ちら、とアイクが振り返る。通信の向こうで、苦り切った彼の声が響いた。
『あとで始末書、出せよ』
無言で頷く。それしかできなかった。
(くそ、なにをやってるんだ、私は……!)
本当に馬鹿だ。こんな失態、新人でもやらかしはしないだろう。いくら家族殺しが許せないからって、人道に反した行いをしてしまうなんて。
――逆鱗。その言葉が胸に突き刺さる。その通りだ、と思った。
だが、いくら逆鱗を逆撫でされようと、刑事が脅迫を使っていい理由にはならない。情けない、と自己嫌悪が込み上げる。
「……――キ、ツバキ、おい、ツバキ・ワイアット‼」
「あ……」
――はっ、とした。
鳶色の瞳が、呆れ混じりの感情を宿して、私を見つめている。
「ほら、出るぞ。尋問は終了だ」
いつまでも落ち込んでいた私の肩を、ぽん、とアイクの手が叩いた。慌てて退室の準備をする。
そのとき。
「――ツバキ、ワイアット……?」
ぽつり、と声がした。振り返る。
そこには――車椅子の上で、水色の瞳をいっぱいに見開いたフィオが、じっと私を見つめていた。
驚きか、それとも確信か、よくわからない何らかの情を宿して、フィオの瞳が私を捉えている。いぶかしみつつ「なにか……?」と彼女に向き直ると、フィオは何度かまばたきをして、そっと尋ねてきた。
「苗字があるってことは……あなた、人間?」
思わず眉が跳ね上がる。再燃しかけた感情をぐっとこらえて、私は腕組みをした。
「真正面から種族を尋ねるとは、ずいぶんな不躾だな」
「あっ……ごめんなさい」
気まずそうなフィオと、不快感をこらえる私と、ひやひやした顔でこちらを見ているアイク。私は鼻先で小さく息を吐くと、組んだ腕を指先でとんとんと叩いて「で、人間だったらどうしたんだ」と続きを促した。
フィオはわずかに考え込むような仕草をする。水色の瞳が伏せられて、銀の短髪がさらりと揺れた。数秒の沈黙。そして、
「わたしたち――どこかで、会ったことがない?」
――ぴん、と空気が張り詰めた。
一瞬で取調室の雰囲気が変わったのがわかる。アイクの表情が引き締まり、別室で尋問を監視していた聴取チームの面々が息を呑むのが、電脳通信越しに聞こえた。
(私と――この女が……?)
心当たりがまったくない。私はただ困惑して、眉を寄せるしかできなかった。ゆるゆると首を振る。
「すまないが……記憶にない。いつの話だ?」
「それは――いえ、気のせいかもしれないわ……」
フィオが戸惑ったように表情を曇らせる。それでも、水色の瞳は私を捉えたまま離さなかった。
ただひたすらにじっと見つめられ、魂の奥まで見通すような眼差しに、思わずたじろぐ。とうとう気まずさに目をそらしかけたとき、
「ねえ……取引をしない?」
透き通った声が、シンとした取調室に響いた。
え、と目が丸くなる。アイクがすかさず「どういうことかな」と問いかけた。
フィオはまっすぐに私を見つめて、続ける。
「ツバキ・ワイアット。あなたが要求に応えてくれたら、私はそれに応じた協力をする」
こくり、と唾を飲んだ。緊張に震えそうな声で、返事をする。
「……要求は、なんだ」
「あなたの記憶」
即答だった。まったく躊躇のない口調で言い放ったフィオは、澄んだ瞳を逸らさぬまま、淡々とささやいた。
「あなたの〝個人として極めて感情的な記憶〟を話して。それに応じて、私は知っていることを話すわ」
(――私の、記憶……?)
わけがわからない。なぜフィオはそんなものを望むのだろう。
ひたすらに困惑する私を、その場にいる全員が、いや、別室で待機している刑事たちも含めて、あらゆる人物が注視している。
(私が、自分のことを話せば、事件が進展する――?)
この憎むべき犯罪者に、許されざる家族殺しに、私の極めてパーソナルな部分を開示する。そうすれば、この事件は解決に近付くというのか。
「……わたし、は――」
迷った時間は短かった。私はこくりと喉を鳴らすと、表情をきつく引き締めた。息を吸う。フィオはただ静かな目をして、私の返答を待っていた。
正直なところ、抵抗はある。嫌悪もある。それどころか、義憤も怒りも憎しみも、あらゆる忌まわしい感情が、目の前の女にはつきまとっている。
けれど、それでも。
(それで、この女を正しく裁くことができるのなら――)
「……わかった。取引に応じよう。明日から、私がおまえの取調官だ」
きっぱりと口にすると、フィオの瞳にかすかな情が宿った。その正体を掴めずに、戸惑いを押し殺して車椅子の姿を見つめ返す。
交わった視線、その水色の最奥には、どんな感情が宿っているのだろう。彼女は何を考えていて、思惑はどんなもので、本当の狙いはどこにあるのか。
なにひとつ明らかにならないまま、それでも事件は少しずつ、前へと動き出そうとしていた。
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