第2章

005

 ワイアット研究所、所長室。


 尋問後、フィオをここまで護送した私たちは、そのまま研究所の聞き込みを命じられた。国家権力を使って面談を申し込み、今は所長室のソファで所長がやってくるのを待っているところだ。


 応接室も兼ねているのだろう、所長室は広々として快適だ。要所要所に品の良い観葉植物が置かれ、上質なソファはスプリングも申し分ない。光るほどに磨かれたテーブルの上には、有名デザイナーの手によるコーヒーカップが整然と並んでいた。


 冷めかけたコーヒーをすすりながら、アイクがぶちぶちぼやく。


「ったく、聴取チームの俺たちが聞き込みなんて……あれだけかき集めた人員はどうしたんだっつーの」


 文句ばかりの隣の男を一瞥し、私は小さく鼻を鳴らした。


「ボスにも考えがあるんだろう。この事件の捜査チームは頭数こそいるものの、しょせん所轄よそから持ってきた寄せ集めだ。一枚岩じゃない。我々でなければ出来ないこともある」


 ちら、とアイクが私を横目で見る。鳶色の瞳の上で、眉がぴくりと跳ね上がった。不機嫌そうに「たとえば?」と尋ねてくる。

 私は涼しい顔をして、思いついた可能性を述べた。


「たとえば……ここで知ったことをボス以外には秘密にする、とか」

「うげ。ありえない話じゃねえのがヤだなあ……」


 あからさまに苦い顔をするアイク。彼はくちびるを尖らせて「たしかに、ここには機密が溢れてる」とつぶやいた。私はうなずく。


「なにしろ、ここは世界の電脳研究の最先端をゆく施設だ。我々国家権力が入室できるのも、受付以外じゃこの所長室のみときている」

「ほんと、とんだセキュリティだぜ。スタッフエリアに入りたけりゃ、主要7ヶ国のトップからサインをもぎとってこい、だと? そりゃ、たとえ所長室だけだとしても、信頼のおける捜査員にしか行かせられないさ」

「そういうことだ。せいぜいボスの信頼を誇りに思え」

「くっそお……だいたい、聴取チームの俺たちが護送を任された時点でおかしいと思ったんだ」


 いつまでも文句を言うアイクを放って、私は所長室を観察した。


 外部の人間が入れる唯一の場所ということで、室内はモデルルームのように美しく整えられている。部屋の奥に所長の机があるものの、書類棚やデバイスの類はいっさい見当たらない。もっと安全な別室で管理されているのだろう。おそらくここは本当に応接室としてしか使っておらず、所長としての仕事は別の場所でしているに違いない。


(だからこそ、こんなに戻ってくるのが遅いんだろうな……)

 ここに通されて、もう20分は経つ。私は小さくつぶやいた。


「これだけ待たされるということは、この研究所もかなり混乱しているのだろうな」

「あー……まあそりゃ無理もねえか」


 アイクが同情的な声を出す。無言でうなずき、同意を示した。


 ここ、ワイアット研究所は、現在フィオが収監されている場所であり、そして、逮捕される日までフィオが勤務していた場所でもあった。電脳研究者として、世界最高の環境で人類進化の最先端を切り開いていたフィオ。その彼女を突然失ったのだ、研究所の受けたダメージは計り知れない。


 捜査会議では、そんな古巣に連れてきて、同僚や友人がフィオの逃走を助けたらどうするんだ、という意見も当然出た。しかし、フィオは精神的ストレスと倫理機能の異常により、いつ死んでも、あるいは〝狂っても〟おかしくない状態だ。あのPh_10nyを管理、解析できる場所など、世界中を探してもここしかない。他の選択肢など、はなから存在していなかった。


 そのとき、ポーン、とチャイム音が鳴った。受付で聞いた声がおずおずと室内に響く。


『お待たせして申し訳ございません。所長は只今そちらに向かっております。もうしばらくお待ちいただけますか』


 私とアイクが了承すると、受付スタッフは遠慮がちに通信を切った。

 ずずっ、とコーヒーを飲み終えて、アイクが言う。


「フィオは電波遮断室に収監されたんだっけか」

「いや、今は検査室だ。無理だとは思うが、念のためもう一度電脳を洗ってみるらしい。AIによる無人電子尋問を行うと聞いた」


 護送前に小耳に挟んだ話を口にすると、彼は呆れたようにため息をついた。


「へえ。でも、捜査員に人間を使えないんなら、どうせ大した成果は出ねえだろ」

「仕方ない。フィオの電脳は広大、かつ複雑すぎるんだ。いくら人類史に残る重大事件のためとはいえ、呑み込まれる犠牲者が出るとわかって電子尋問は行えない」

「いくら生体脳を電脳外殻で包んでも、人間の脳は機能的に貧弱だからなあ……」


 くああ、と行儀悪く伸びをしながらアイクが言う。私は脚を組み直すと、やる気のないバディを軽く睨んだ。


「だからといって、アンドロイド捜査官に電子尋問なんて絶対不可能だろう。サポートでさえ、耐性がなければ無理だ」

「たしかに。犯罪者の中身なんか覗かせてみろ、あいつらのガラスのハートは一瞬で砕けちまう。あーあ、結局、俺たちが頑張るしかねえってことか」

「そういうことだ」


 諦めろとばかりに言い放つ。アイクが「ちくしょう、俺も災難だよ」とぼやいた。鳶色の目が細くなり、じとりと視線がよこされる。


「うっかりおまえと組んだせいで、俺もどんな厄介事に巻き込まれるやら……服務規定違反と国際法違反をチャラにするんだ、ボスに多少の無茶を要求されても文句は言えねえぜ」


 うっ、と内心でうめきが漏れた。恨めしげなアイクの泣き言は、私のもっとも痛いところを突いている。逃げるように視線を逸らし、私は組んだ脚の爪先をそわそわと上下させた。


「……あの件なら、フィオから自供の約束を引き出したことでチャラになったはずだが」

「『はずだが』じゃねえよ! ちったぁ反省しろ、この刑事課の爆弾魔が!」


 ぎゃん、と吠えたアイクが、私の胸元にびしりと指をつきつける。彼はさらに身を乗り出し、思い切り顔をしかめて私を怒鳴りつけた。


「所構わずドッカンドッカン爆発しやがって……だからおまえは人望がねえんだよ!」

「じ、人望……」


 弱いところを突かれた。反論できない。

 人望がないのは自覚していた。なにしろ刑事課の面々は、ごく一部のアンドロイド刑事を除いて、皆私によそよそしいのだ。数少ない友好的な面々についても、アイクいわく「あいつらは歴が長いから、おまえみたいな爆弾の相手に慣れてるだけだ」とのことである。ごもっともだ。


 アンドロイドは長命だ。魂を保持したまま身体換装を繰り返し、理論上は千年は生きるとされている。うちの刑事課にも、勤続年数50年や80年越えがゴロゴロいる。こんな私にも寛容なのは、そういうアンドロイドだけだった。


 アイクが額に手を当て、嘆くようにつぶやく。


「ほんっとおまえ、キレたら周りが見えなくなるの、なんとかしろよ」

「ぐっ……すまない」

「しかも普段は冷静ぶってるのがムカつく」

「それはその……短気を抑えるため、わざとああいう素振りを……」

「抑えられてねえんだよなあ」

「う……」


 駄目だ、なにを言っても墓穴になる。

 組んでいた脚を思わずほどいて、私は大人しく両膝を揃えた。反省して背を丸める私を見て、アイクが鼻を鳴らして笑う。すぐさま、けらけらと大きな笑い声が聞こえて、彼の手がばしんと私の背中を叩いた。


「まあ、ほら。キレるのが早いぶん、反省するのも早いのがおまえの良いところだよ。それに、おまえがフィオにキレるのは……仕方ないところもあるだろ」


 急に気遣わしげになった声に、私は黙ってくちびるを引き結んだ。無言でうなずく。アイクはとん、と私の肩を叩くと、低い声でささやいた。


「自分で迎え入れた家族を殺したんだ。おまえにとっちゃ、信じられない悪行だろうよ」

「……ああ」


 伏せたまぶた、その裏に蘇るのは――桜色の瞳だ。

 風のように軽やかな声音、春の日差しと同じ温度の、あたたかく明るい笑顔。桜色の瞳をきらきらとまたたかせ、彼女はいつも、歌うように私の名を呼んだ。ツバキ、ツバキと。


(――サクラ……)


 自分で選んで迎え入れ、絶対に守ると決意した、愛すべき大切な家族。たったひとりの、私の妹。彼女はもう、どこにもいない。


 なんとも言えない沈黙が落ちた。アイクはただ黙って、すでに空っぽのコーヒーカップを傾けている。彼が視線を合わせないのは気遣いゆえだと、私にはわかっていた。


 どこか口寂しそうなアイクを見て、私は自分のカップを、すっと彼のほうに押し出した。一口も減っていないコーヒーに、アイクがちらりとこちらを見る。


「その……飲むか」

「……ははっ、相変わらず、詫びの下手なヤツ。まあ、気持ちだけ――」

「――お待たせいたしましたッ!」


 ばん、と唐突にドアが開く。

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