003
真っ白い取調室の中央、ぽつんと置かれた机の前に、車椅子の女性が座っている。
その四肢はベルトで拘束され、華奢な身体はぴくりとも動くことはない。美しい面立ちをかすかに俯かせ、彼女は淡々と机の上を見つめていた。
「君の名前は?」
「……」
「ここがどこだかわかっている?」
「……」
アイクの質問に、彼女――フィオはまったく返事をしない。ただ静かな目で、下を向いているだけだ。
車椅子の上でうつむいている儚げな姿を、私は机の横に立ったまま、じっと睨みつけた。
(この女が、人類史に残る殺人事件の被疑者であり、憎むべき殺人者――
さらさらした銀色の短髪に、澄んだ水色の瞳。それを彩る長い睫毛。なめらかな白い肌は頬のあたりでやわらかな稜線を描いており、上品なくちびるがほんのりと朱に色づいている。
美貌など当たり前のアンドロイドの中でも、彼女はとりわけ美しかった。まさに人類の最高傑作の名にふさわしい容貌だ。
その静かで端正な佇まいからは、凛々しいほどの聡明さが感じられる。しかし口元や眼差しの表情には、少女のような可憐さが宿っていた。相反するふたつの要素を同居させた、どこか中性的な容貌。それは確かに、かつて何度もメディアで見たフィオの姿だった。
フィオの正面に座るアイクが、静かに尋ねる。
「まずは事実を確認しよう。一週間前、君は結婚式場で、花嫁であるミア・アンジェリコを殺害した。間違いないね?」
「……私が、ミアを……」
ぽつり、と静かな声。水色の瞳がまたたいて、美しい眉が、ほんのかすかにしかめられた。くちびるが小さくわななき、消え入りそうな声がする。
「……そうね。たぶん、そう……」
まるで他人事のような口ぶりだ。ちりっ、と苛立ちがこみ上げる。私は感情を抑えたまま、アイクと軽く視線を交わした。通信越しに、アイクからの『どう思う』の問いかけ。応える。
『意識消失と譫妄の影響だろう。自己同一性が途切れて、犯行が自分の行いであるという実感が湧いていないのかもしれない』
『なら、責め立てても意味がないな』
小さく頷く。アイクはフィオに向き直ると、表情をかすかに和らげた。
「事件当時のことは覚えているかい」
「……だいたいは」
「じゃあ、我々が知っていることを順番に話そう。君の記憶と食い違いがあったら教えてくれ」
フィオがぎこちなく頷く。今の彼女には、この程度の動作も難しいのだろう。
アイクは電脳内の聴取チーム専用ルームに事件概要の資料を広げた。一週間前、事件当日の朝から、現在判明している事実を順番にさらっていく。
それは当たり前の、幸福な婚姻の日だった。
すでに同居している二人は早起きをして、いつもより控えめな朝食を取り、式の流れを確認し合い、忘れ物がないよう家を出た。ミアが緊張による体調不良を訴えたものの、何事もなく式場に到着。ドレスに着替え、髪と化粧を整えて、胸を高鳴らせて式の開始を待った。本当に、ごく普通の、幸せな結婚にしか思えなかった。
(そんな平和な幸せを、この女は壊した――)
むらむらと、熱い憤りがこみ上げる。私は余計なことを言わないよう、フィオの表情からわずかに視線を逸らした。
一通りの確認を終え、アイクが尋ねる。
「それで、君はミアとの結婚を、どう感じていたんだ? たしか、プロポーズは君のほうからだったとか」
「……喜ばしいと思っていたわ、とても」
静かな返答に、アイクは机の上で指を組み合わせた。穏やかな表情で頷いてみせる。
「ああ、そうだろうね。では、結婚前に、ミアと喧嘩をしたことは?」
「いわゆる『結婚前の人並みな衝突』くらいなら、少しは……」
「そうか。わかるよ」
聴取チームの方針に従い、アイクはさっきからずっと、当たり障りのない問答を続けている。静かな口調と柔和な表情は、ただ相手の安心感を引き出すためのものだ。
――まずは被疑者の信頼を得て、口を軽くさせる。
尋問の方針は理解しているし、実際、それがもっとも正しいやり方なのだとは思う。だが、私自身が納得できるかどうかは別だった。
思い切り舌打ちしたいのをこらえる。苛立ちの言葉がいくつも脳裏に浮び上がった。
(ああくそっ、まだるっこしい)
フィオは歴史的な重大犯罪者だ。その彼女には、通常の被疑者が持つ権利のほとんどは適応されない。尋問と称して拷問を行ったところで、どこからも文句は出ないのだ。
二人の問答を絶え間なく電脳に刻みながら、きつくフィオを睨みつける。頼りない手術着を身にまとい、四肢を車椅子に拘束されたフィオの姿は、哀れなほど脆弱だった。
(いっそ、追い詰めるでも痛めつけるでもして発言を引き出せばいい。どうせ今の彼女には、抵抗などできないのだから)
取調官の安全を確保するため、現在フィオの身体はすべて、最低限の機能しかないダミーボディに交換されている。車椅子なのはそのためだ。自供さえ取れればいいのだ、声帯とくちびる以外は動かす必要などない。視線が動かせるだけ温情と言うものだろう。
じっと睨みつけていると、薄い水色の瞳が持ち上がって、何気なく私を見た。視線が交わったのは一瞬で、澄んだ水色はすぐに逸らされる。反省や気まずさからではなく、ただ何の関心もないだけ、という素振りだった。苛立つ。
ちら、とアイクがこちらを見上げた。私の目つきの鋭さに、咎めるような視線をよこす。私は『わかっているさ、お行儀よく、だろ?』と通信で呼びかけた。アイクが小さくため息をつく。
質問が途切れたからだろう、フィオが小さく首をかしげた。軽く私を一睨みして、アイクは気を取り直したように彼女に向き直る。改めて質問が続いた。
「君はミアを愛していたんだね?」
「ええ……そうよ」
「そうだろうね。君たちアンドロイドは、自分より弱いものを絶対に害せない。それだけではない、君たちは自分より弱いものを無条件で愛さずにはいられない、極めて善良な生命だからね」
「……善良な、生命」
ぽつり、とつぶやき。
フィオはため息のような呼気を漏らすと、ひどく物憂げに目を伏せた。銀色の長いまつげが、目元に薄い影を落とす。
吐息混じりの、消え入りそうな声がした。
「本当に、そうかしら」
「……どういうことだい?」
ぴりっ、とアイクの雰囲気が変わる。私は気持ちを引き締めて、フィオの言葉に耳を澄ませた。
水色の瞳がまばたいて、とても静かな声がする。
「アンドロイドは善良で、献身的で、慈悲深い。美しく繊細な心を持ち、他者の痛みに共感して容易に命を落としうる。自分以下の弱いものを無条件で愛し、命を捨ててまで守ろうとする……」
その通りではないか。アンドロイドとはまさにそういう生命だと、長い共生の歴史が証明している。
しかしフィオは、すっと視線を持ち上げると、淡々と言った。
「この言説が、本当に、正しいと?」
「……少なくとも僕は、人類――人間とアンドロイドを総括する知的生命体の一員として、そうであってほしいと思っているよ」
「そう……そうね。私も、そう思っていたわ」
吐息混じりの、小さな声。まるで嘆くような声音に、私の苛立ちがまたしても増加する。
(その共通認識を自分自身で壊しておいて、なんて言い草だ)
ぐっ、と手を握って憤りに耐えた。黒手袋が小さく音を立て、アイクがぴくりと反応する。通信越しにアイクの声。
『おい、はやるなよ、頼むから』
呆れ混じりに懇願された。不機嫌を隠しもせず、言い返す。
『うるさい。腹の内でなにを考えていようと、私の自由だ』
『おまえの性格上、腹の内だけで収めてくれるとは思えねえんだよ』
『……』
それは――言い返せなかった。
アイクは小さくため息をつくと、フィオの尋問に戻る。
「では、君はそれを正しくないと思うのかな。アンドロイドは善良ではなく、愛情深くもない、と」
「だって、そうでしょう」
淡々とした回答。フィオはゆっくりとまばたきをすると、とても静かな、なんの感情もない声のまま、言った。
「もし、その理想が本当なら――なぜ、こんなことになってしまったのかしら」
まるっきり、他人事のような台詞。ひとかけらの反省も見られない態度。フィオはただ死んだような表情のまま、いっそ穏やかなくらいに落ち着いていて――それが、許せなかった。
目の前で水色が細くなり、口元を歪めたフィオがかすかに微笑む。
「みんな見たでしょう? 世界最高のアンドロイドが、無抵抗な人間の耳にアンプルを突き立てて、無惨に殺した瞬間を」
いっそ自嘲的なフィオの表情は、被害者の死に対してなんの関心もない、反省も、後悔も、それどころか悲しみすらいっさい見られない、まるで水のように澄んだ瞳のままで――
(なんなんだ、その態度は……自分の家族を、誰よりも愛すべき存在を、その手でむごたらしく殺しておいて――)
「――いい加減にしろ……」
気がつけば、低いつぶやくが漏れていた。
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