002
電脳内に散らばった書類を視界の隅にざっとまとめると、私はアイクと共に廊下に出た。
春先の明るい日差しが差し込んで、警察署内の廊下はうっすらと光を帯びている。窓の外に視線を投げかければ、盛りを迎えた桜並木から、薄紅の花びらがちらちらこぼれていた。
(桜……きれいだな)
つい一週間前、陰惨な事件が起こったばかりだというのに。春の景色の美しさは平常通りで、まるで不釣り合いに見える。なにも知らない桜の花は、ただひたすらに美しい。
その色合いに、ふと胸の底から記憶が蘇った。
思い出されるのは――桜色の瞳。
(あれから、もう何年……いや)
かすかに目を伏せ、思考を振り切る。今は尋問が最優先、昔を懐かしんでいる場合ではない。私は意識して桜並木から目をそらすと、感傷を振り切って歩みを早めた。
アイクと並んでオフィスに向かう。急に速度を上げた私をちらりと一瞥して、後頭部で手を組んだアイクが話しかけてきた。
「しっかし、おかしな事件だよな。アンドロイドってのは、自分より弱い生き物を絶対殺せないようにできてるんだろ?」
「正確には『自分以下の弱い生き物を殺せない』だな。他害の禁止と自己保存を、ひとつの命令で処理しているんだ」
「ふうん。まあどっちにせよ、相手があのPh_10nyなら関係ねえさ」
うなずく。それほどまでに、今回の被疑者は特殊だった。
人類史上初の殺人アンドロイドだから、というだけではない。
アイクがつぶやく。
「この世のあらゆる生物は、フィオよりずっと弱いだろ。それなのに、フィオはどうやって、ただの人間である花嫁ミアを殺したんだろうな」
「それを聞き出すのが我々の仕事だ。いいかアイク、尋問前に妙な先入観を持つなよ」
「へいへい」
ぶらぶらと歩くアイク。まったく、こんなふざけた男がなぜ、
ぶつぶつ考えていると、
「おい、見ろよツバキ」
とん、と肘で脇腹をつつかれた。アイクの指差す先を見る。
窓の外、桜並木の向こうから、プラカードを持った大勢の集団が現れた。白い板を何枚も振り回し、大声でスローガンを叫んでいる。
デモ隊の掲げるプラカードには『Ph_10nyを引き渡せ!』『殺人アンドロイドに死の裁きを!』『アンドロイドは単なる電卓!』などと書いてあった。攻撃的な文言に、思わず眉をひそめる。
「アンドロイド差別団体……前世紀の遺物だったはずなのに。ここ一年くらい、ずいぶん活気づいているようだ」
「だな。近頃は過激な連中も増えてきて、俺もずいぶんな人数を逮捕したっけ」
アイクが小さくため息をついた。
「一年前っていやあ、あれだな。アンドロイドの魂がやっとデータ化できるようになった頃だろ?」
「ああ。実在こそ確定していたが、長らく観測できていなかったアンドロイドの魂を、ようやく科学が捉えたんだ。その技術をもとに魂をデータ化するソフトウェア『テセウスの亡霊』が開発され、有線ケーブルで一日がかりだったボディ交換が一瞬で終わるようになった。世紀の大発見、のはずだったんだが……」
「代わりに、ああいう連中も増えた、と」
猛々しいスローガンを唱えるデモ隊を見下ろし、アイクがくしゃりと顔をしかめる。
「ほんっと、フィオは余計なことをしてくれたよ。魂がただのデータになっちまったせいで、今やアンドロイドの人権はグラグラだ。そんなご時世に、あんな事件を起こすなんて。種族間戦争でも起こったらどうしてくれるんだ」
壁にもたれかかり、腕を組むアイク。鳶色の瞳が窓の下を見下ろして、横顔の口元から、ため息混じりの声がした。
「俺たち人間とアンドロイドが戦争になったところで、どっちが勝つかなんて目に見えてんのにな……」
ひでえ話だ、と小さなぼやき。その声に、私は自分の奥の方から、むらむらと苛立ちがこみ上げるのを感じた。
「……くッだらない」
「ツバキ?」
ぎり、と歯を食いしばる。黒手袋の両手を握りしめて、私は感情のままに吐き捨てた。
「どいつもこいつも、アンドロイドが人間を殺した、一体なぜだ、どうやって、そればっかりだ。そんなこと、私にはどうだっていい」
「いやだって、戦争になるかもしれねえんだぞ?」
「世界平和は政治家の仕事だろう。我々は警察官だ」
「そりゃそうだけどよ……」
窓の外を見下ろす。プラカードを突き上げ、刺々しい文言を叫ぶ人間たち。一方で、私の隣を通り過ぎる、アンドロイドが人間を殺した方法を解明したがる刑事たち。
(どいつもこいつも、見当違いばっかりだ。バカバカしい)
食いしばった歯がぎりりと鳴る。喉の奥から、うなるような低い声が絞り出された。
「あの女は、結婚式場で、自らの花嫁を惨殺した。自分で選んで迎え入れた、新しい家族を殺したんだ。私は、それが、許せない」
「ツバキ……」
控えめな声かけに、顔を上げる。肩越しに振り向けば、アイクがどこか気遣わしげに私を見つめていた。鳶色の眼球、そのなめらかな表面に、燃えるような赤色の目をした私と、窓の外でちらちらと舞う桜の花びらが、うっすら映り込んでいる。
相棒の目を睨みつけ、私はきっぱりと断言した。
「世界平和? アンドロイドが人間を殺せた理由? そんなものどうだっていい。私はただ、刑事として完璧な調書を作り、あの女を検察に引き渡すだけ」
アンドロイドと人間が戦争になろうが、フィオが人間を殺せた理由にどんなカラクリがあろうが、そんなのは全部どうでもいい。重要なのはただ一点、あの女は家族を殺した大罪人である、それだけだ。
「絶対に――あの殺人者を、正しく裁いてやる」
アイクがなにかを言いかけて、けれどそのまま黙り込む。私は彼を見据えて、ぐっとくちびるを引き結んだ。かけてほしい言葉などなかった。
尖りきった決意を胸に、きつく両手を握りしめる。握り込んだ黒手袋がこすれて、ぎちり、と軋むように不快な音を立てた。
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