第4章

021


 ――ミア・アンジェリコは生きている。


 その仮説を証明するため、 警察は徹底的な捜査を始めた。

 国中、いや世界中で、ここ一年における義体の購入・修理の履歴が徹底的に洗い出された。フィオとミアの生活は詳細に調べられ、彼女らに関わったあらゆる人類に聴取が行われた。


 ハッキングで無自覚の〝運び屋〟にされた可能性も踏まえて、フィオやミアと接触した人類はすべて、空の義体との接続履歴がないか調査された。


「――必ず見つけ出せ! ミア・アンジェリコはどこかに潜んでいるはずなのだ!」


 ボスの怒号が飛び交う中、刑事たちは懸命に捜査を続けた。寝食を惜しみ、足と頭と通信を駆使し、あらゆる可能性を潰して回った。嵐のような職務環境に、過労で倒れる者もいた。


 しかし必死の捜索も虚しく、数日が経過しても、なんの成果も得られなかった。

 ミア・アンジェリコは、どこにも見つからなかった。



 深夜、人もまばらな刑事課のオフィス。

 革手袋の甲を額に押し付けて、私はちかちかと目を光らせていた。肘を付いただらしない姿勢のまま、尋問記録の見直しを続けている。


 しかし、いくら記録を探っても、手がかりらしきものは見つからなかった。


 あれ以来、フィオの聴取は進んでいない。

 私の手を握って涙したあの日から、どれだけ尋問を重ねても、フィオは沈痛な無言を貫くだけだった。私が記憶を差し出そうとしても、首を横に振るばかり。死んだような目をして、くちびるすら動かさず、ただ下を向いているだけだ。


 尋問は機能していない。捜査もまるで進展しない。今日もまた、どこかの地方で暴動があったという。こんなニュースも、すっかり日常になってしまった。アンドロイドに対する迫害は、激化する一方だ。

 八度目のデータの洗い直しを終え、私は深いため息を付いた。ずるずるとデスクの上に崩れ落ち、目を閉じる。


(なにも見つからない……)


 もう一度、ため息。

 仕事がまるで捗らない。原因は、フィオの尋問が進んでいないから、だけではなかった。


 他の刑事たちから、まるで情報が共有されないのだ。

 必要最低限の情報はボスから与えられるが、個々の捜査官が得た情報を、横のつながりで共有することも捜査には重要だ。


 しかし刑事課の同僚たちは、アイクと勤務歴の長い一部のアンドロイドを除いて、全員が私によそよそしかった。ミアの義体捜索が始まってからは更にそれがエスカレートし、もはやおまえは捜査に関係ない、とばかりの態度を取られてしまっている。なにしろ、あのフィオの尋問をひとりで任されたくせに、何の成果も出せなかったのだ。多少の扱いの悪さは覚悟するべきだ。


 だが、それにしたって情報を下ろさないというのはあんまりだろう。ボスにはもちろん訴えたが、多忙を理由に取り合ってもらえないままだ。結果、私はほとんど一人で捜査しているようなものだった。


「疲れた……」


 突っ伏したまま、つぶやく。そのとき、こつん、と頭に何かが当たる感触があった。顔を上げる。

 そこにいたのは、苦い笑みを浮かべた相棒だった。


「よう。だいぶ参ってるじゃねえか」

「アイク……」


 とん、と青いゼリー飲料がデスクに置かれる。私の頭を叩いたのはこれだったらしい。彼は自分のコーヒーに口をつけると、気遣うような目で私を見た。苦笑する。


「……情報が足らなくてな。こういうとき、人望のなさが堪えるよ」


 せめて、サクラがいてくれれば。

 続く言葉はかろうじて飲み込んだ。しかしアイクはすべてを察したような目をすると、ふっ、と励ますような笑みを浮かべた。


「別に、おまえの言動が駄目ってこたぁねえよ」

「なぜ。私を爆弾魔だと揶揄したのは君だろう」

「あれは言葉の綾だ。おまえは、本当に……よくやってるさ」


 じんわりと情のにじむような声音に、驚く。目を丸くする私に、アイクは目を細めて笑った。なんとなく、そわそわと居心地が悪いような気がして、下を向く。アイクがまた笑った。


 ぱきっ、とゼリー飲料のパッケージを開ける。高栄養のそれに口をつけると、アイクも同じようにコーヒーを傾けた。数秒の沈黙。


「……ミア・アンジェリコは、どこへ消えちまったんだろうな」


 ぽつり、とアイクが言った。鳶色の眉がしかめられる。


「どこか空の義体に入ってるのは間違いねえんだ。仮に他人の電脳に入り込んだとして、ひとつの電脳で自我を二つも動かしてたら、異常挙動ですぐにばれる。かといって、隠れるためにいつまでもデータ圧縮状態でいたら、ミアの魂が死んじまう」

「圧縮状態での猶予時間は、せいぜい数時間といったところだったな」

「ああ。それ以上過ぎると、分刻みで生存率が下がっていく。だからこそ、ミアは逃走に際して、相当綿密な計画を立てていたはずだ」


(……ミアの逃走、か)


 私はゼリー飲料からくちびるを離すと、ミアのことを考えた。

 捜査本部は完全に、ミアはフィオの共犯という認識で動いている。むしろ、主犯はミアのほうで、長生きしたさにフィオを唆したのではないか、という説すらあるようだ。


(だが……)


「……私は、ミアを良く知らない」


 急に話の矛先を変え私に、アイクが無言で眉を持ち上げた。続ける。


「だが、ひとつだけ――おかしいと感じることがあるんだ」


 真剣な目になったアイクが「なんだ」とコーヒーを置いた。彼の瞳を見つめ返して、私は言う。


「フィオが逮捕されたことだ」

「どういうことだ?」

「ミア・アンジェリコは己の病弱を知っていた。ミア・アンジェリコはフィオを深く愛していた。それならば――なぜ彼女は、長寿を望んだのだと思う?」

「そりゃ誰だって、早死になんか無念だろ」

「仮に早逝を嫌ったとして、だ。法を犯して身体を捨てて、社会からミアという存在を抹消されて、死ぬことすら自由にできなくなって……そうまでして生き続けたいと思うものか?」

「だって、あのフィオと結婚したんだぞ。愛する人と一緒の時間を生きたいと思うのは当然――……あれっ?」


 アイクが眉間に皺を寄せる。私は「そうだ」と頷いた。


「それならば、今の状況はおかしいんだ。現在、フィオは極めて厳しい立場にいる。このまま真相が明かされない場合、世界憲法を無視した超法規的措置――『死刑』さえ十二分にありうる」

「……フィオとミアが一緒に生きる未来なんか、とっくに失われている、ってことか」

「そうだ。こんな状況で、ミアはなんのために生きる? 愛する人を犠牲にして、身体も寿命も失って、なんのために? 私には――ミアがこんなことを望む人には思えない」


 私はミアを知らない。彼女のことなど、伝聞と記録による推測でしか語れない。それでも、あのフィオが、心から愛した人なのだ。


 ――素直で純朴な心を持った、芯が強くて優しい女性。

 それこそが本当のミアなのだと、私は信じていたかった。フィオのためにも。


 顎に手を当て、考える。私は脳裏を巡る推察を、赴くまま口に乗せた。


「これは仮説だが……ミアはなにも知らなかったんじゃないか?」

「共犯じゃないってことかよ?」

「そうだ。ミアはフィオになにをされたのか、自分の身体と魂になにが起こったのか、何一つ知らされぬまま……新しい義体に入れられて、どこかに隔離されている……つまり、逃亡犯を探すのではなく、監禁された被害者を探すつもりで動けば、あるいは――」

「……ありそうな話じゃねえか」


 アイクの瞳に、みるみる意志の光が宿っていく。その鳶色を見つめて、私は静かに提案した。


「アイク。捜査方針の変更を、皆に提案してくれないか」

「え? なんで俺が」


 きょとん、と目を丸くされ、私はかすかに目を逸らす。


「〝無能な爆弾魔〟の私が言っても……聞き入れられる気がしないからな」


 つぶやいた声は、思った以上に小さかった。ひどくよそよそしい同僚たち、冷えた疎外感を思い出して、苦笑が口に浮かぶ。


 アイクが一瞬、痛いような顔をした。けれどすぐにそれはかき消えて、彼はばしん、と私の背を叩く。身の引き締まる軽い痛みに顔をあげると、鳶色の瞳がまっすぐに私を見つめていた。


「わぁったよ。俺に任せろ、相棒」

「……頼りにしてるよ、マイバディ」


 ニッ、と笑う顔に向けて、眉を下げて笑い返す。

 私の言葉に、アイクはなにかを決意したような笑みをして、はっきりと頷いた。

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