048
無駄だとわかりつつ、それでも彼は銃を降ろさない。激情で顔を真っ赤にして、タムラ所長が私を睨みつける。
銃口を私に向けたまま、彼は大声で「騙されるな!」と叫んだ。
「今のを見たでしょう⁉ こいつは人間を愛していると言いながら、危害を加えられそうになったら抵抗したんだ! こいつの言うことは全て詭弁、アンドロイドは危機に陥ればなんだってする! この行為こそが証拠じゃないか!」
「タムラ所長」
ただ静かに、彼の名前を呼びかける。音がしそうなほど激しく私を睨む彼を見つめ返し、私ははっきりと言った。
「愛することと、なにをされても受け入れることは違う。あなたたちと対等に愛し合いたいからこそ、私は自分自身を守るんだ」
「なっ……この、言葉ばかり達者で、欺瞞ばかりの、くだらない――」
侮蔑もあらわな怒声を、澄んだ声が遮る。
『――その通りだわ』
「ミア……!」
『ツバキ。少し通信を使わせてもらうわね』
ミアはやわらかな口調で告げると、私の開いた通信に声を乗せた。
『愛する人に何をされても許すのは、誰のためにもならないわ。アンドロイドたちは、人間に虐殺されたことを許さなくていい。人間のひとりとして、私はそう思っている』
どよめきが広がる。本当にミアだ、と小さな声。ミアの生存はさっき伝播させた〝真実〟の認知によって誰もが知っているものの、こうしてじかに声を聞いて、改めて驚くものがあったのだろう。
呆然とした呟きに応えるように微笑んで、ミアが言う。
『だけどね。たとえどんなに許せなくても、愛する気持ちは消えたりしない。私は、それを知っている。アンドロイドに伝えたいわ。許せないことを恐れないで。あなたたちは間違いなく、人間を愛しているのよ』
ネットワークの向こうで、いくつものざわめきが震える気配があった。愛する人に裏切られ、傷付き、苦しんだミアだからこその言葉。それはアンドロイドたちにも届いたようだ。
ミアにうなずきかけ、私は言う。
「アンドロイドは人間を愛している――ワイアットとフィオも、心底それをわかっていた。私も同じように思う。でも、あの二人と私の間には、決定的に、異なるものがあるんだ」
ステージを見つめている群衆を、ゆっくりと見回した。
持っていた武器をどうすればいいかわからず、立ち尽くす者。反対に、恐怖と戸惑いを隠しきれず、私に銃口を定める者。判断するのが不安だから、周囲を伺って指示を待つ者。
誰もが皆、それぞれの感情を抱えている。まだ残っているいくつもの銃口を見つめて、私は言った。
「ワイアットは、アンドロイドの構造的な欠陥に気付き、それを隠すために自殺した。フィオもまたその真実に気付き、自らの後始末をミアに託して自殺した。彼らは人間を信じなかった。真実を知った君たちが我々を愛さず、虐殺に走ると思ったんだ。今、この世界で起こっているように」
ふ、と小さく息をつく。
私は顔を上げると、はっきりと言った。
「でも――私は、そうは思わない」
断言する。向けられていた銃口のいくつかが、戸惑ったようにぶれるのが見えた。
「もちろん、実際に、いま虐殺は起きている。けれど、それだけで全てがおしまいになるなんて、私は信じない」
まだ、街の煙は消えていない。人々は武器を抱えたままでいる。それでも、誰かが私の声に耳を傾けている、そのことがわかるから。希望を捨てるつもりはない。
「私たちが人間を愛するのは、ただ『そのように造られたから』じゃない。あなたたちが、それに値する存在だからだ」
そこまで言って、私は少しだけ目を伏せた。
「もちろん、アンドロイドにも、人間にも、残酷な者はいる……それでも」
落とした視線をすっと動かす。床に組み伏せられているアイクと、目が合った。
呆然と私を見上げる鳶色の瞳。彼を見ていると勝手にこみ上げてくる、綺麗な感情を噛みしめる。
口の端を持ち上げて、私は彼を指差した。
「そう、そこに転がされている男は、私の相棒なのだが」
「え」
唐突に引き合いに出され、アイクが目を丸くする。
胸のうちを満たす澄んだ感情、きらきらしたそれに身を委ね、私はかすかに目を細めた。
「彼は奇特なことに、私のことを憎からず思っているらしい」
「な――ばっ、ツ、ツバキ……⁉」
一瞬でアイクがものすごい表情になる。それがおかしくて、私は小さく吹き出した。
張り詰めていた緊張が少しだけほどけて、私は視線を前に戻す。自然と浮かぶ笑みをそのままに、続けた。
「人殺しだと知りながら、彼は私を信じてくれた。愛されれば殺されるかもしれないのに、好きだと言ってくれたんだ」
目を閉じて、透明なものが自分の内側にあるのを感じる。光り輝く美しいもの。この感情の正体を、私はもう知っている。
ゆっくりとまぶたを持ち上げた。居並ぶ人々の視線が、私のことを見つめている。向けられた銃口の数は、さっきより確実に少なくなっていた。
「アンドロイドでも、人間でもいい。今、この言葉を聞いているあなたを、私は善良だと思う。生きるに値すると信じている。誰も、憎んだり殺し合ったりなんかしたくない。私たちはただ、愛し合いたいだけだ。私は――それを信じたい」
そう言うと、私は辺りを見回した。ひとりひとり、今視界に映る全ての人と目を合わせるつもりで、ゆっくりと。
銃口が、少しずつ降ろされていく。私を見つめる眼差しから、戸惑いと迷いが取り払われて、静かになっていくのがわかる。
けれど、私の視線がタムラ所長に合わさったとき、彼はきっと私を睨み返した。乱れた頭をかきむしり、彼は呻くように言う。
「嫌だ、信じない……おまえは、不良品で」
「タムラ所長……」
「そんなはずない、私は、私の信じたワイアットの理念は……」
『――勝手に、あの人の理想を騙らないでもらおうか』
「ルイーズ……⁉」
割って入ったのは、ルイーズの声だった。目の前にすうっと、運搬用ドローンが舞い降りてくる。私とタムラ所長の間に割り込んだドローンから、ルイーズの凛々しい声がした。
『ふん、尻の青い若造が。ワイアットと会ったこともないくせに。おまえのそれは理念でも理想でもない、ただの傲慢な独り善がりだ。愛のひとつも持ち合わせない、自己都合で真理を隠したり明かしたりする男が、わかったようなことを言うな』
「な、な……ッ」
タムラ所長の顔がみるみる赤くなる。ぎりっ、とドローンごしに私を睨んだ彼の手の中で、引き金にかかった指が引き絞られそうになって、けれど。
「――う、うわッ! なにをする!」
どっ、と倒れ込む音。もみあいの気配。
さっきまでアイクを組み伏せていた狙撃手たちが、いっせいにタムラ所長を取り押さえていた。
「あ……」
一瞬で自由になったアイクが、目を丸くする。
もがき回るタムラ所長を人の群れが抑え込み、銃が奪われ、勢いよく放り捨てられた。呆然としていたアイクがはっと立ち上がり、それを拾い上げる。中の銃弾をすべて地面にばらまかれ、タムラ所長がひときわ大きな呻きを上げた。
「くそ、くそぉ……ッ‼」
組み伏せられ、地面を這うタムラ所長を一瞥して、アイクは足音も高く彼に歩み寄った。膝を曲げ、ぐっと顔を近付ける。そして言った。
「……おまえが理想を抱くのは自由だ。腹の中でなにを考えていても、誰をどれだけ憎んでも構わない。でも――銃を持って、誰かを傷付けることは許さない」
「っ……」
潰れたような声を上げ、タムラ所長ががくりと崩れ落ちる。それを見届けたアイクは小さく肩をすくめると、ステージ上の私を振り仰いだ。ひらひら、と空っぽになった銃を振ってみせる。
私は彼に頷き返すと、きっぱりと顔を上げた。すべての人の瞳を順番に見つめて、言う。
「どうか、持っている武器を置いてほしい。アンドロイドでも人間でもいい、いま隣にいる人と、話をしてほしい。そこにきっと、あなたが愛し、愛してくれる人がいる。私が願うのは、それだけだ」
――聞いてくれて、感謝する。
最後にそう結ぶと、それきり、辺りはしいん、と静まり返った。
数秒ののち、かしゃん、と音がする。狙撃手のひとりが、銃を置く音だった。他にも、ひとつ、ふたつ、と同じ音が増えていく。
その音は次第に大きくなり、街中に広がっていった。
春の風が吹き抜けて、散りかけた桜の花が、硝煙のにおいと暴動の煙を消していく。武器を下ろした人々がささやきあう声が、さざなみのように伝播する。ネットワークの向こう側で、通信の光がちかちかとまたたいている。
世界中でいくつもの残響と人の言葉が響き合い、まるでひとつの大きな声のようになり、そして――
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