047

 水色の空間が遠ざかり、現実が帰ってきた。


 破裂音と人々の怒声、その残響がいくつも重なって、周囲の空気を震わせている。けれどそのざわめきは、どこか遠く、膜一枚隔てられているような感じがした。


 目を開ける。

 議事堂の屋上、その上はまばゆい光に満ち溢れていた。


 世界中を塗りつぶすほど強烈な、真っ白い光が上空から降り注いでいる。床に砕け散った遮断室のガラス片が、きらきらと光を乱反射させ、宝石のようにまたたいていた。きいん、と硬質な残響音。


(これは……ルイーズの、目眩まし……)


 辺りを包む閃光と炸裂の残響は、たしかに人為的なものだ。

 けれど私には、天から差し込む光と、ガラスのような残響の音が、なにかの導きのように感じられた。

 じゃり、と音を立て、ぎこちなく上体を起こす。


 目の前に、頭部を吹き飛ばされた〝私〟が倒れているのが見えた。サクラと同じ形をした、今はもう空っぽの身体。降り注ぐ光に白く照らされたそれを見て、サクラが最後まで私を守ってくれたのだと思った。


(そうだ、ミアは――)


 大丈夫か、と尋ねるより先に、身体が勝手に立ち上がる。この〝Ph_10ny〟の中にいる、もう一人の人物――ミアによる挙動だった。


 私たち二人の入った身体が、挙動異常をこらえてぐらぐらと立つ。ミアは静かに視線を持ち上げた。

 目眩ましの光が、ゆっくりと落ち着いていく。それを最後まで見届けていると、ふっ、と静かにまぶたが下りた。


 きいん、と内側で何かが動き出す気配がした、途端――全身を強烈な奔流が駆け抜けた。

 なにかきらきらした感覚が、広大な水色の電脳のすべてに満ちて行く。そのまばゆさが一瞬で結晶のように圧縮されたかと思うと、ひときわ強い光を放ち――


「うわ……ッ⁉」


 ぶわっ、と強烈な衝撃。よろめきそうになるのを、ミアが足に力をこめて抑える。

 気が付けば、電脳内に満ちていた〝なにか〟は、すでにすっかり霧散したあとだった。

 心の中で呼びかける。


『ミア、なにを……』

『私の認知データを世界中に波及させたの』


 静かな声でミアは言った。


『一連の事件の真相も、アンドロイドの真実も、そしてさっきあなたと交わしたやりとりも――すべてを、全世界に見せたのよ』

『え……』


 驚きのあまり、目を丸くする。

 電脳の内側で、ミアは穏やかに微笑んだ。深い慈愛に満ちた、だけどそれだけじゃない、強い意志を宿した微笑み。

 やわらかな声が言う。


『私も、あなたを信じるわ』

『ミア……』

『だから、お願い。みんなに、本当のことを伝えて』


 そう言うと、ミアは私に身体の制御を明け渡した。

 ふっ、と全身に重みが帰ってくるような感覚。思わずたたらを踏む。バックグラウンドのミアを一瞬だけ見やって、私はうまく動かない身体にぐっと身体に力を込めた。


 辺りを見回す。

 あれだけやかましかった怒号や銃声は、今はすっかり止んでいた。代わりに、戸惑ったようなどよめきが、さざ波のようにあちこちに上がっている。


 一瞬ですべての真実を認知に叩き込まれたせいだろう。誰もが呆然として、わけがわからない、という顔で辺りを見回していた。


 ざわめきを見下ろして、私はよろよろとステージの端へと歩を進める。高いステージの上からは、辺りの景色が遠くまで良く見渡せた。


 遠景の街にのぼる煙。議事堂を囲むバリケード。その内側にひしめく武装した警官の群れ。屋上でステージを囲んでいる狙撃手たち。


 迷いどよめく大量の群衆、その中に、狙撃手たちに組み伏せられたアイクの姿が見えた。隣ではパウルが床に伸びている。どうやらアイクにのされたらしい。


 鳶色の目が、私の姿を捉える。

 あ、と彼が声を上げた。つられるように人々が顔を上げ、私の――〝Ph_10ny〟の姿を目に留める。


 途端、さあっ、とどよめきが鎮まった。

 大量の視線が、吸い寄せられるように私に集まってくる。息を呑むような沈黙。土煙と硝煙まじりの春風が吹いて、辺りの木々を小さく揺らした。


 Ph_10nyの身体に入っている『私』が一体何者なのか、彼らはすでに知っている。さまざまな意図と感情が入り混じった大衆の眼差し、向けられた視線のすべてが、この事態を唯一説明できる人物である私の言葉を待っていた。


「……大丈夫」


 口の中だけでつぶやく。私は大きく息を吸うと、ゆっくりと顔を上げた。

 通信を開く。電波とくちびるに言葉を乗せた。


「――突然のことで、驚かせたと思う」


 しいん、と静まり返った中に、私の声だけが響いている。

 痛いほどの緊張を肌の上に感じながら、私は続けた。


「今、君たちに見てもらったのは、いわゆる〝真実〟というものだ。アンドロイドの殺人と、その真相を隠したいと願った人々にまつわる、長きにわたる闘いの歴史……」


 そこまで言って、私はかすかに目を伏せる。


「ワイアットが自殺したときから、なにもかもは始まっていた」


 言いながら、ルイーズのことが思い浮かんだ。

 ワイアットを心から敬愛し、彼の影だけを追い求め、真実にのめりこんでいったルイーズ。彼女の想いを、ワイアットが知らなかったはずはない。


 それでも、彼はルイーズを置いていった。彼女の命と尊厳を守るために。死を選んだ瞬間、ワイアットは一体、どんな気持ちだったのだろう。


「アンドロイドの真実は隠され、私たちは長い共生の時を過ごした。そして今、Ph_10nyもまたワイアットと同じ意志を持ち、真実を隠すために命を絶った」


 フィオのことを考える。

 結局私は、フィオのことをなにも知らなかった。

 彼女がどれほど悩み、どれほど苦しみ、どれほどミアと人類を愛していたか、なにも知らなかった。彼女の亡き今、それがわかることは、もう永遠にないだろう。


 それでも、思わずにはいられない。

 真実を知って、フィオは残酷すぎる死を選んだ。最期の時を前にして『幸せになりたい』と願った彼女は、一体なにを思っていたのだろう、と。


「きっと……ワイアットも、Ph_10nyも、悪意など持ってはいなかった。ただ、目の前にいた大切な人たちを守りたいと、それだけを願っていたはずだ」


 でなければ、遺された人たちが、あんなに彼らを想い続けるはずがないのだから。

 私は小さく息をつくと、顔を上げた。


「たしかに、アンドロイドは愛する人を殺害できる。人間にとっては脅威だろう。圧倒的な力を持つ強靭な存在が、自分たちを殺す能力を有して、すぐ隣で暮らしている。安心できないと感じるのも無理はない。けれど――」


 屋上の向こう、バリケードの外に視線を向ける。

 遠く広がる街並み。薄い煙が風に散らされていく、あの建物の数々に、人が生きて暮らしているのだと感じた。私たちがずっと、寄り添い合って生きてきた街だった。


「あなたたちがどれほど我々を恐れても、私は同じ言葉を伝えたい。我々は人間を愛している。変わることなどありえない。私たちは、互いに愛し合っていけるはず――」

「――ふざけるなッ‼」


 低い怒声。

 声のほうに視線を向ける。

 ステージのすぐ下で、タムラ所長が私を睨んでいた。その手には、パウルから与えられたらしい拳銃が握られている。がたがたと震える銃口は、まっすぐに私へと向けられていた。

 ぎりっ、と歯を食いしばり、彼は引き金に指をかける。


「やめろ、よせッ‼」


 アイクが身を捩り、大声で叫んだ。けれど床に組み伏せられていて動けない。「ちくしょう、離せ‼」と悔しげな呻き声。


 叫ぶアイクをまったく無視して、タムラ所長は躊躇なく引き金を引いた。

 ぱあん、と乾いた音がして、しかし――


『ツバキ』

「大丈夫だ」


 目の前に迫る銃弾は、私の振るう腕によって、あっさりと叩き落とされた。二人分の魂を収めた挙動異常の身体ではあるが、ミアの意識が完全に背後に下がった今なら、かろうじてこれくらいはできる。


「へっ……?」


 アイクがぽかんと口を開き、目を丸くした。どうやら本気で心配していたらしい。その背後で、タムラ所長が悔しげに顔を歪めるのが見えた。


「く、くそぉ……っ!」

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