019

 研究所の建物から、煙の筋がいくつも立ち上っている。私はパトカーから飛び出して、手近な警官に叫びかかった。


「どうなってる!」

「ガスは無力化しました! ですが、擲弾の追撃のあと、武装した人間たちが押し寄せて……」

「立て籠もったのか⁉」

「いえ、なんとか制圧班が阻止しています! それと、確保した地下ルートを使って、取り残された職員の救出も同時に行っています!」

「わかった! なら私も制圧に――」

「待てツバキ!」


 飛び出しかけた肩をぐっと掴まれ、バランスを崩す。


「なんだアイク!」

「俺たちは職員の救出だ」

「――は⁉」


 信じられない言葉に目を剥いた。


 ばっ、と研究所に目をやる。そこには、詰め寄せた人間たちと、制圧班の警官たちが激しく揉み合っていた。ぱあん、とけたたましい射撃音。一瞬だけ崩れた人垣は、またすぐに大きな塊に戻って、怒号とともにうごめきはじめた。


 アイクへと振り返り、叫ぶ。


「なぜ‼ 制圧は殺傷能力を持つ人間の役目だろう⁉ 屋内のガスは無力化されている、救出はアンドロイドに任せるべきだ!」

「普通ならそうだろうよ、でも――」

「でもも何もあるか‼」


 もう一度飛び出そうとした瞬間、ばしッ、と頭を叩かれる。ひるんだ私を、アイクが「馬鹿‼」と羽交い締めにして引きずった。


「何する!」

「おまえはフィオの取調官だろ⁉ おまえだけは替えがきかないんだ! おまえが死んだせいで、人間とアンドロイドが戦争になったらどうする⁉ 制圧は他に任せて救出に回れ‼」

「ッ――」


 はっ、と目を見開く。たしかに――その通りだった。

 すとんと抵抗を失う私に、アイクがため息をつく。はあーっ、と長い息の音とともに、鳶色の瞳が薄く細められた。


「おまえに渡した銃、見てみろ。護身用のちゃちなヤツだろ? ほら、防護服着るぞ。あっちだ」

「……わかった」


 小走りで装甲バンに向かい、装備を受け取る。手早く防護服を付けながら、もどかしさに舌打ちした。こんなものを着る暇があったら、早く仕事にかかりたい。


 アイクがまた、ぴしりと頭をはたいてきた。


「ちゃんと着ろ。まだガスが残ってないとは断言できねえだろ」

「どうせアンドロイドだけを狙ったガスだろう」

「人間にも完全に無害だと、証明されたわけじゃねえ」

「……」

「ふてくされるな。ほら、出るぞ」


 無言でアイクのあとに続く。

 彼の言葉は正しい。だが、心が納得するかどうかは別だった。すぐそばで、暴力に晒されている仲間がいる。それなのに助けに入れないなど、なんのための刑事かと思う。


 私はくちびるを噛み締めて、前線への未練を振り切って建物の裏門に回った。バリケードや装甲車がなんとか繋いだ細いルートを辿り、研究所の敷地内に出る。


 厳重に守られた中央の地面に、マンホールがひとつ、ぽっかりと空いていた。入れ替わり立ち替わり、防護服の警官が飛び込んでは、ぐったりした職員を背負って戻ってくる。


 蒼白で運ばれていくアンドロイド職員を見て、アイクがきつく眉を寄せた。


「運動機能と通信機能をマヒさせるナノマシンガスだ。かわいそうに、後遺症が残らなきゃいいが……」

「そのために、迅速な処置が必要なんだ。早く助けよう」

「ああ」


 表門のほうで、何度か高い破裂音が、立て続けに響き渡る。猛々しい怒号と、ぶつかりあう暴力の気配。心臓が嫌な鼓動を打ち鳴らす。


 頼むから、どうか全員、無事でいてくれ。そう祈りながら、私は地下へ続く穴へと飛び降りた。



 研究所内部は、思ったほど破壊されてはいなかった。しかし撃ち込まれたガス中和剤により、あちこちに赤い粉末が飛び散って、いっそ凄惨な光景だった。


 窓から距離を取り、逃げ遅れた職員を誘導しつつ奥へ向かう。だが職員の半数近くがアンドロイドなため、自力で逃げられない状態の者も多くいた。


「ひどいな……」


 運ばれていくアンドロイドたちに、顔をしかめる。アイクは後遺症を心配していたが、この惨状では、命があるだけでありがたいと言える。


「くそっ、とんでもねえなこりゃ」


 アイクがしゃがみこんで、ぐっ、と倒れたシェルフを押し上げる。その下から手が覗いているのに気付き、慌てて加勢した。


 ギッ、と音を立てて棚が上がる。現れた男性をアイクが引っ張り出す。他に人がいないことを確認して手を放すと、けたたましい音を立ててシェルフが床に落ちた。


 アイクが手際よく彼を背負いあげる。要救助者を確保したことを知らせると、鳶色の瞳が私を見た。


「俺が運ぶ。おまえは救助を続けてくれ」

「わかった」


 それだけ言い交わし、私はさらに奥へと向かう。電気の消えた施設内部を、いくつも順番に覗いて回った。


 その中の一室、広い倉庫を確認しているとき。通路状に入り組んだ棚の隙間から、ちかっ、と一瞬なにかが光った。

 はっ、と光の出どころを探す。大声で叫んだ。


「警察だ! できるなら返事をしてくれ!」


 呼びかけながら、ゆっくりと奥に進んでいく。棚の向こうで再び、ちかちかっ、と光がまたたいた。最奥の壁際だ。


「――見つけた! 今救助に行く!」


 動きにくい防護服を振り乱し、走る。赤い粉が血痕のように飛び散る倉庫内、その奥で、見覚えのある金髪が床に広がっているのが見えた。中和剤や埃、人工血液で汚れた白衣。投げ出された脚の先のヒールパンプス。


(あれは、電脳医の――)

「ルイーズ‼」


 叫んで、駆け寄る。倒れ込んだ彼女を抱き起こすと、ちかちかっ、と独特のリズムで瞳がまたたいた。モールス信号。口を動かすことができないようだ。

 明滅の信号を読み取って、私は彼女に返事をした。


「……ああ、礼には及ばない。意識を保つのもつらいだろう。もう大丈夫だ、今は眠るといい」


 ルイーズは運動系も通信系も麻痺してしまったようで、まばたきすらできずに目を見開いている。眼球を潤す涙液が、目尻から幾筋もこぼれていた。


 力ないルイーズの手をぎゅっと握って、抱き起こした彼女を励まそうとする。赤いくちびるが不規則にわなないて、ふたたび、ちかちかと目が光った。目を凝らし、またたきの言葉を読み取る。意識がおぼつかないらしい、ルイーズの言葉はどこか支離滅裂だった。


「ぼんやりとしか見えないのか。よくがんばった、あと少しの辛抱だ。大丈夫、すぐに処置できる。さあ、一緒にここを――えっ? ああ、君のことは知っている。声だけではわからないか? 私だ、ツバキ・ワイアット――」


 その瞬間。

 ぴくん、と腕の中の身体が反応した。なんだ、と目を細める。


 途端、ルイーズの腕や脚はいきなり不規則な痙攣を起こし、もがくような仕草を見せ始めた。


「なっ……おい、大丈夫か!」

「――ぁ、あぁ、あ――」


 引きつった、風切り音のような唸り声。あきらかに尋常ではない。私は頬を引きつらせ、防護服から追加の中和剤を取り出そうとした。しかし。


「――き、ぃあっ、と――」

「うわ……ッ⁉」


 びゅッ、となにかが眼前を通り過ぎる。眼球のすぐそばを切り裂いたのは、ルイーズの手の中で鋭く光るなにかだった。


「ルイーズ⁉ どうした!」

「……っ……う、ぅうう……!」


 明らかに不自然な動きで、ルイーズが立ち上がる。その手には、落ちていたガラスの破片。


「ぅぁ、あァあぁ……‼」

「ルイーズ、待っ――ぐッ‼」


 獰猛な光をびかびかと目の上に湛えて、ルイーズが襲いかかってくる。


「ルイーズ、おいルイーズ‼ しっかりしろ!」

「っ……!」


 叫び声はまるで届かない。ルイーズは異様な体捌きで、私の目を狙ってガラス片を振り下ろした。とっさに腕で防ぐ。びッ、と防護服の端がちぎれる、嫌な感触がした。


(くっ、動きが読めない……!)


 意識が朦朧としているせいか、ルイーズの動作はあまりにも不自然かつ不規則で、まるで予測がつかない。あちこち切りつけられ、殴りつけられ、反撃の隙がまるで見つからなかった。傷付いたボディの状態をまるで無視した、滅茶苦茶な動き。


「――ぅうぅぁああッ!」

「くそ……っ!」


 だめだ。これ以上は、ルイーズの身体が保たない。

 とっさに銃を取り出し、構える。肩でも脚でも撃ち抜いて、とにかく動きを止めなければ。そう思ったのに。


(っ……くそ、くそっ、なぜ……!)


 照準が定まらない。どうしても、引き金を引けない。ルイーズの動きが不規則過ぎるのだ。どこに当たるかわからない。


 ――大丈夫、アンドロイドの肉体は強靭だ、大抵の場所は撃たれても問題ない。


(わかってる、わかっている――でも!)

 万が一、目や耳といった、電脳破壊に繋がる部位に当たってしまったら。


 強烈な躊躇と、恐怖にも似た怖気。襲いかかる暴力の中、永遠とも思える逡巡の果てに――


「――畜生ッ!」


 私は銃を放り捨て、ルイーズに組み付いた。ざぐッ、と背中にガラス片が突き立つ嫌な音。防護服を突き抜けたらしい、じんとした痛みが皮膚に走る。


(大丈夫、アンドロイドに殺しはできない、たいした怪我じゃない……!)


 腰に組み付き、重心を崩そうとする。ぐら、とルイーズの上体が傾いた瞬間、思い切り足払いをかけた。


 ぐるん、と視界が回転する。どさッ、と倒れ込む音。私はルイーズに乗り上げると、身体全部を使って彼女の動きを封じ込めた。


「はあッ、はあッ、ぐ……ッ‼」

「ッ……っ……‼」


 鼻先が触れそうな距離で、体重ごとのしかかって、それでもルイーズは抗ってくる。激しい揉み合い。その中で、ルイーズの目がぢかぢかと激しく光っている。


(なにか……言っている――?)

 私は賢明に目を凝らし、暴れ狂う身体を全身で抑え込みながら、必死でルイーズの言葉を読み取った。



 ――嘘つき。

 ――あの人の名を汚すな。



(――なんのことだ?)

 うわごとめいたモールスは、ただそればかり繰り返している。錯乱していることは明らかだった。


「ルイーズ、しっかりしろ! おい‼」


 取っ組み合いながら叫ぶが、ルイーズの意識は戻らない。アンドロイドは強靭だ。それは腕力という意味も含む。重い一撃を何度も食らい、このままでは私の体力が尽きるのも時間の問題だった。


(くそっ、なんとかしなければ――あっ)


 きらっ、と目の端でなにかが光を反射する。ルイーズの左手、その小指のストレス管理リングだった。


(そうだ、これなら……!)


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