第5章

029

「……よう。顔色は悪くねえみたいだな」


 ゆるゆると顔を上げる。

 無機質なコンクリート壁に囲まれた部屋の中。かたん、と椅子を引き、正面に座った人影を見て、私はぽつりとつぶやいた。


「……アイク」

「驚いたろ。ワイアット研究所の地下にも、尋問用の設備はあるんだぜ」

「……」


 ちら、と視線を横へと投げる。壁際にずらりと並ぶのは、電子尋問に使う機材だった。

 机越しに座るかつての相棒を見やる。私は力なく笑った。


「だが、君が来たということは、ああいう機械の出る幕はないんだな。会話による古典的尋問を行うわけだ」

「……だな」


 アイクが皮肉げな笑みを浮かべる。その表情はどことなく投げやりな雰囲気を漂わせていた。

 ぎしり、とアイクが椅子に背をもたせかける。私は机の上で両手を組み合わせると、鳶色の瞳を見つめ返した。


「で、私になにを聞きたい? 人殺しの感想か?」

「そういうのはよせよ」

「なぜ?」

「あれはどっちかというと事故だし……そもそも、らしくねえだろ、んな物言い」


 押し殺した声に、思わず吹き出す。


「おや。君に私のなにがわかる? たかだか半月の付き合いの〝相棒〟くん」

「……っ」


 ぴく、とアイクが肩を揺らした。苦々しげに眉をひそめる仕草。

 相棒の様子に、私は自虐的に笑った。


「君とはもっと、長い付き合いだと思ってたよ。まさか、20年以上収監されて、シャバに戻ったのがフィオの事件の翌日、君とはそこが初対面とはな」

「……色々事情があったんだよ」

「だろうな。ところで、君の正体は?」

「ただの公安職員さ。おまえを外に出すのに、監視役が必要ってことでな」

「なるほどな。私の知らないところで、警察は外の組織ときっちり連携を取っていたというわけか」

「そういうこった」


 ため息混じりにアイクが言う。それきり、沈黙。

 二人分の呼吸音と、うっすら漂う監視通信の気配。試しにどこかと通信を試みるが、そもそも通信機能が起動する気配もない。当然か。


 ふーっ、と長いため息が聞こえて、顔を上げた。がしがしとアイクが頭を掻きむしる。鳶色の瞳が、上目遣いに私を見た。


「……怒らねえんだな」

「烈火の如く怒ったほうがよかったか? たしか『刑事課の爆弾魔』だったか。まったく、ずいぶん知った風なあだ名を付けてくれたものだ」

「……っ」


 痛みをこらえるような顔をするアイク。思わず口元が歪んだ。


「なぜそんな顔をする。これじゃあ、どちらが取調官かわからない」

「……うるせえよ」


 ぼそりとつぶやき、アイクはそっぽを向く。ちっ、と舌を鳴らすと、彼はがたりと椅子に座り直した。


「なら、まっとうなやつを始めるぞ。……おまえ、どこまで記憶が戻ってる」

「おおむね全て、と言っていいだろう。ここ――ワイアット研究所から出された前後のことは思い出せないが」

「それはこっちの記憶処理の結果だ。問題ない」

「なるほど」


 それならば、私の記憶は完全に戻っていると考えていい。


「まあ、私が知っていることなど、そもそもほとんどないわけだが」


 ぽつりと呟く。アイクの返事はない。続けた。


「私が知っているのは、この手でサクラを殺したこと。サクラの事件は隠蔽され、私の身柄はワイアット研究所の預かりになったこと。この20年ほど、私はここでアンドロイドによる殺人の解明に付き合っていたが――」


 そこまで言って、口元に皮肉げな笑みが浮かぶ。

 付き合っていた、という協力的な言葉を選んだものの、実際の私は単なる実験サンプルだった。いくら死なせてくれと懇願しても生命維持を優先され、私の意志などお構いなしに尋問と実験が繰り返された。


「……献身的な〝協力〟にも関わらず、事件は今も未解決。サクラを殺せた理由はわからないまま、私は今も、お役御免になる日を待ち焦がれている、というわけさ」


 お役御免、すなわち私が死ぬ時、とわかっているのだろう。アイクがぎゅっと眉を寄せた。


「……死にたがりかよ」

「ああ。自分で選んで迎え入れた、最愛の家族を殺したんだ。許されるべきじゃない」


 大勢の後継機の中で、サクラを選んだのは私だった。教育係かつパートナーとして、生活を共にする人物だ。生半可な気持ちで決める相手ではない。


「不思議だったんだ。なぜあんなに、フィオを許せないと感じたのか。でも、許せなかったのはフィオじゃない。私自身だ」


 握りしめた手が、ぎり、と小さく音を立てた。その左手に、アイクの手が重ねられる。彼は強引に私の指をほどくと、小指のリングを確認した。


「……ひっでえランプの色。でも、まだ大丈夫そうだな」

「ああ、そういうえばこいつもテスト機だったか。ベータ版のソフトウェアが今も余計な仕事をしてくれている」

「お前の命を守ってるんだよ」

「頼んだ覚えはないがな」

「……そういうこと、言うな」


 黙って笑う。私はアイクの手を振りほどくと、赤い明滅を繰り返すリングを見下ろした。

 私はアンドロイドの安全性検証のための希少なサンプルだ。死なせてはまずい。だからこそ、私のリングには最新鋭の研究成果が詰め込まれていた。


 小さくため息をつき、顔を上げる。


「ところで。ある程度の事情は、説明してもらえるんだろうな」

「ああ。上の許可なら得てる」

「さすが天下の公安職員。権限が強烈だ」

「茶化すな。とりあえず、軽く答え合わせといこうか」


 ぎしり、とアイクが座りなおす。私も軽く居住まいを正した。


「フィオが左遷された話は聞いたよな」


 うなずく。


「あの後、フィオは実験用資材管理課の『植物担当』になった。この言葉の意味、今ならわかるだろ」

「ああ」


 サクラ殺害後、ワイアット研究所に収監された私を管理していたのは実験用資材管理課だ。そこの『植物担当』とは、つまり。


「……彼女は、私の担当官だったんだな」


 ぽつり、とつぶやく私に、アイクは「そうだ」と言った。


「フィオは半年間、おまえの解析をしていた。といっても、直接顔を合わせたことはほとんどなかったけどな」

「どうりで、フィオは私を知っていたわけだ」


 アイクがうなずく。背もたれから身を離し、彼は机に片肘を乗せた。


「ミア殺害事件が起こった日の朝。ここ、ワイアット研究所でも事件が起こってたんだ」


 ちら、とアイクを見やる。彼は目元を引き締めて続けた。


「おまえの〝中身〟が、綺麗さっぱり書き換えられていた」

「私の……」

「おまえは、自分は人間で、人を殺したことなどなく、今も中央警察の刑事をしていると思いこんでいた。実際、OSもすべて人間用のそれに置き換わっていたんだ。何が起こったかわからなかった。とんでもねえ技術だよ」

「……犯人はフィオだな」

「ああ。今ならわかるよ」とアイクがうなずく。


 事件前夜、フィオは園芸倉庫に侵入して、二時間もそこに滞在している。あの倉庫には、私の収監室に通じる隠し通路があった。フィオはそこから侵入し、私の中身を改竄、施設脱出後、侵入の痕跡をログごと消したのだろう。


「その改変騒ぎが落ち着く間もなく、ミア殺害事件が起こった。フィオの身柄は即座に確保されたが、厄介なことになっていた」

「厄介なこと?」

「ああ。記憶の一部が失われていたんだ。今までの研究内容や、彼女の知る機密事項、さらにミア殺害事件についてまで。重要な部分ばかりが、ごっそりとな。事件の真相を隠すためだろうが」

「だから彼女は、何を聞いても『わからない』と言い続けていたのか……」


 アイクがうなずく。


「おまえも、フィオも、一番大事な記憶が消えている。そこで上の連中は考えたのさ。フィオとおまえをぶつけて、記憶を取り戻させることはできないかって」

「じゃあ、私とフィオの尋問は……」

「言っちまえばただのお飾りだな。事件解決なんか当てにしてねえ。ただおまえかフィオの記憶が戻れば、それで良かったんだよ。本気の尋問は警察や公安がワイアット研究所と手を組んで、しっかり別口でやってたのさ」

「……そういうことだったのか……」


 刑事課での、強烈な疎外感を思い出す。そもそも私は、捜査員としてカウントすらされていなかった。だからあんな扱いだったのか。

 鳶色の瞳がじっと私を見つめて、静かなささやきが落ちた。


「失望したか?」

「いや。君は自分の仕事をしただけだ」

「……そうかよ」


 アイクがかすかにつらそうな顔をする。そういうところが君らしい、と思って、だけど私は何も言わなかった。しょせん半月の相棒だ。わかった顔はできない。

 ちっ、と小さく舌打ちして、アイクは続けた。


「だが、事件は杳として進展を見せなかった。とうとうワイアット研究所までテロの標的になっちまって……そんなとき、フィオから取引の提案があったんだ」

「取引?」

「ああ。『私は記憶を取り戻した。Qia_9X_Tsubakiの命を差し出せば、アンドロイドによる殺人のからくりを話す』と」

「それで、か……」


 フィオに襲われたときのことが蘇った。まるで私の気を引くように、大きなケースを持って取調室からやってきたワイアット研究所の連中。拘束も監視もなく、自由の身で座っていたフィオ。


「……やはりあの襲撃は、すべて仕組まれていたんだな」


 アイクがうなずく。


「今までおまえが大事に保護されていたのは、サンプルとしての希少性ゆえだ。だが、ミアの事件で殺人アンドロイドは二体に増えちまった。フィオの自白で謎が解けるなら、一向に記憶の戻らない一体目のサンプルくらい捨ててもいい。上はそう判断したってわけさ」

「だからフィオが私を襲っても、助けがこなかったのか……」


 アイクがかすかに黙り込む。ぎし、と背もたれに身を預け、彼は後頭部で両手を組んだ。


「ま、なにも知らされてなかった俺がうっかり救助に入っちまって、段取りをパァにしちまったんだけどな」

「なぜ、君は襲撃の予定を知らされなかったんだ?」

「……さあな」


 鳶色の目が歪み、口元に投げやりな笑み。「なんにせよ」とアイクは続けた。


「おまえは記憶を取り戻した。サンプルとしての価値は復活したわけだ。おめでとう」

「まるでめでたくない口ぶりだな。事実、その通りだが」


 サンプルとしての生活は、望んだものでも、満足のいくものでもなかった。むしろ逆だ。今さら、あの暮らしに戻りたいとも思わない。死ねるものなら死にたかった。


 アイクが痛ましげに目を細める。沈痛な口元から、ふーっ、と息が吐き出された。


「で。なんでQia_XX_Sakuraを殺せたか、心当たりはあるか」


 無言で首を横に振る。小さく「そうか」と返答があった。

 ちらりとアイクを見て、言う。


「ただ、考えていることはある」


 ぴくり、とアイクが眉を持ち上げて、私を見返した。


「アンドロイドは自分〝以下〟の弱者を無条件で保護する。つまり、圧倒的強者への正当防衛なら、危害を加えられるということだ。そこになにか、秘密があるのかもしれない」

「正当防衛……」

「それ以上は、まだわからないがな。なんにせよ、死にゆく私には関係のないことだ」


 そこまで言うと、アイクは「そうかよ」と絞り出すようにつぶやいた。がたり、と椅子を鳴らして立ち上がる。


「俺の権限で、おまえの処遇は明日の朝まで保留にしてある。それまでに殺人の謎を解き明かせなきゃ、おまえの命はフィオに差し出される」


 押し殺した声でそう言うと、アイクは最後にぼそりと、


「……よく考えろよ、ほんとに」


 すがるような声でささやいた。

 どこか弱々しい態度に、眉をひそめる。


「アイク。君はなぜ、私を――」

「知らねえよ」


 掠れた声で吐き捨てると、アイクは「聴取は終わりだ」と吐き捨てて、そのままコンクリートの聴取室を出ていった。ばたん、とドアが閉まり、直後に自動ロックの施錠音。


 ひとりきり、冷えた部屋の中に取り残される。


(……アイク)


 胸の奥が小さく軋んで、ため息をついた。理由はわからない。私はちらりと辺りを見回すと、カメラがある辺りに向かって「終わりだそうだ。迎えを頼む」とつぶやいた。

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