028
――ぱん、という音で目が覚めた。
裸のまま、ゆっくりと身を起こす。白い朝の光が満ちる室内、辺りには私たちの服が乱雑に散らばっていた。
床で眠ったせいだろう、身体の節々がかすかに軋む。ぼんやりと目を擦り、私は辺りを見回した。
すぐ隣に、オノが横たわっている。その手には銃が握られていた。
(銃……?)
ぱち、とまばたきをする。銃口からは、うっすらと煙が立ち上っていた。ゆるゆると視線を動かす。
オノのこめかみには、赤黒い穴が開いていた。
じわじわと、赤い液体がフローリングに広がっていく。硝煙と血液と体液が混じり合って、湿気じみた独特の臭気がむわりと広がる。
「え……?」
真っ白い朝日の中、こめかみの穴を呆然と見つめた。
意味がわからない。目の前の光景が理解できない。現実を、まるで認識することができない。
(なにが、起こって――)
そのとき。
がちゃり、とリビングのドアが開いた。
「……ねえ、鍵くらい――ひッ⁉」
聞き慣れたサクラの声が、びくっ、と痙攣じみた呼吸に遮られる。
あ、と口を半開きにして、私は呆然とサクラを見た。
サクラは、ドアの前に立ち尽くしていた。いっぱいに見開かれた桜色の瞳が、愕然と私を見つめている。長いまつ毛が小刻みに震えて、瞳孔がきゅうっと散大するのが、いやにはっきりわかった。
反射的に、サクラの瞳を注視する。なめらかな彼女の虹彩、その中に映り込んだ私の姿が、勝手に鮮明化されていく。
一糸纏わぬ身体。乱れた髪。湿った肌。上気した頬。あきらかな情交の痕跡。
(あ――)
すうっ、と目の前が真っ暗になった。現実が、圧倒的な質量をもって、私の上に降ってきた。
「……私は、なにをした……?」
ぽつり、と震えるつぶやきが聞こえる。
なにをした。シスを殺し、サクラを悲しませ、私たち家族をばらばらにした男と、私は一体、なにをした?
呆然と視線を滑らせる。隣に転がる、銃を握ったオノの自殺死体。
やつれきった頬、暗く色濃い隈、はっきりと憔悴を示す顔色とは反対に、口元はどこか安堵のように緩んでいて――
「――ッ……‼」
反射的に、死んだ手から銃をむしり取っていた。
まだ熱い銃口をこめかみに押し当てて、ほとんど同時にサクラが飛びついてくる。
「――やめてッ‼」
「離せ‼ 離してくれ‼」
「絶対にいや‼」
夢中だった。自分がなにをしようとしているかもわからなかった。
赦したのだ。私はあの男を赦し、そして、あろうことか愛したのだ。
絶望的な事実が私を打ちのめした。絶対に許されないと思った。アンドロイドに自殺はできない。そんなことはわかっている。それでも、止められなかった。
サクラが銃を奪い取ろうとする。激しい揉み合い。めちゃくちゃな争いの中、トリガーにサクラの指先が引っかかった。
ぱん、と破裂音。左の小指がリングごと吹き飛ぶ。焼けつく痛み、電脳がアラートを打ち鳴らし、複数の警告表示が一気に噴出する。
我に返ったサクラが「あッ」と青ざめて、怯んだ。その隙に銃を握り直し、けれどサクラはすぐさま腕に組みついてくる。
捜査用アンドロイドが2体、本気で揉み合っているのだ。自分の身体がどう動いて、なにが起こっているのか、まったくわからなかった。
「もうやめて‼ 大丈夫だから‼」
「嫌、いやだ、私は、私は――ッ‼」
ふたたび、乾いた破裂音。
その瞬間、私にまとわりつく重みが、一瞬で消えた。
え、と口がうっすら開く。認識が妙に鮮烈で、辺りがスローモーションのように感じられる。
ぐらり、とサクラの身体が傾いだ。重力にまかせて、ゴトン、とサクラの頭が背後に倒れ込む。頭蓋がかすかにバウンドして、着地。
「あ、え……っ?」
まばたきを繰り返す。全身を投げ出すように横たわったサクラの、形がおかしい。銃を持ったままの手でごしごしと目を擦って、もう一度サクラを見る。
サクラは――眼窩から頭を吹き飛ばされていた。
「え――?」
意味が、わからなかった。
なにが起こっている? なぜサクラが死んでいる? 死ん――死んでいる? 本当に?
(うそだ、だって……)
そんなこと不可能だ。私はアンドロイドで、サクラもそうだ。私たちには自分以下の存在を守る機能がある。演算の結果、正当防衛以外で相手が死亡しうるとわかった瞬間、我々の身体機能は自動的にフリーズするはずだ。それなのに。
「……なぜ、……なぜ、なぜだ……」
ぶるぶると全身が震える。銃が手から滑り落ちる、ゴトッ、という重い音。
愕然と両手を持ち上げ、自分の頭をがしりと掴んだ。あらん限りの力を込めて、ぎりぎりと絞め上げて――けれど一定負荷を超えた瞬間、ぎしり、と自動で手が止まる。
もう一度繰り返す。結果は同じ。自殺できない。もう一度。死ねない。もう一度。やはり死ねない。
「どうして……どう、して……ッ」
目の前のサクラの死体が信じられない。現実が受け入れられない。なにひとつわからない。サクラは起き上がってこない。何度やっても自殺できない。なにもかも取り返しがつかない。現実は二度と戻ってこない。
絶叫する。
どうして。どうして。どうして。どうして。
私の身に、何が起こったんだ。
それから、銃声による通報を受けた警察が押し寄せても、私の身柄が拘束されても、私がワイアット研究所に収監されて、20年以上の歳月が流れても――あの問いかけの答えが返ってくることは、二度となかった。
※
「……そうだ、私はアンドロイドで、かつてサクラを殺害した……」
ぽつっ、とつぶやきが落ちる。
逆光を背負ったアイクが、ぴくり、と肩を震わせた。
ゆるゆると顔を持ち上げる。「フィオじゃない」と私は言った。
「初めて、人を……生きた誰かを、殺したのは……」
カツ、カツ、と靴音を立てて、アイクが近寄ってくる。呆然と立ち尽くす私の前に立つと、アイクは一言、
「そうだ。人類史上初の殺人アンドロイドは、おまえだ」
はっきりとそうささやいた。
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