008
ルイーズはさっと左右を見回すと「よし、監視はないな」と呟いた。そして彼女は私とアイクをじっと見つめると、ちかちかっ、と青い瞳をまたたかせた。
(視界間通信――よほど秘密にしたい話か)
私は目元に軽く力を込めると、自分の瞳を光らせた。アイクも同じようにする。秘匿通信が繋がり、電脳内にルイーズの声が響いた。
『……半年前のことだ』
ちょうどタムラ所長が赴任して、研究所スタッフの入れ替えがあったころか。私はこくりと頷き、続きを促す。青い瞳がじっと私たちを見つめた。
『フィオは研究をすべて取り上げられ、ある部署に移動させられたんだ』
『え――?』
そんなことは、どの報告書にも書いていない。聞き込みでも、そんな情報を得たという話はまったくなかったはずだ。
ルイーズは当然のように『機密だからな。君たちが知るはずもない』と苦笑した。
『ある部署、というのは?』
『実験用資材管理課、植物担当。名前ばかりの閑職さ。表向きはね』
『表向き……裏の顔があるということか』
『さあ。あいにく、そこの実態がどんなものか、私は知らない。本当に閑職である可能性もゼロではない。しかし――』
ルイーズがふっと言葉を切る。私とアイクは息を呑んで、電脳内部で耳を澄ませた。
『考えてみるといい。もし君がタムラ所長なら、あのPh_10nyをただの窓辺の花にしておくか?』
『……』
するわけがない。フィオの能力は全人類の財産だと言ったのは、他でもないあの所長ではないか。
黙り込む私とアイクから、ルイーズはすっと身を離した。金髪をなびかせて、艶然と微笑む。
『さて、私の知るところはこれくらいだな。せいぜい役に立てろよ』
『感謝する……でも、いいのか? 所長はこのことを隠したかったんだろう』
『構わない。私はあの男が嫌いだ』
きっぱりと断言すると、ルイーズは目元を険しくした。
『未知に光を当てるのが我々の仕事だ。入所以来、あの男は付けた光を消して回っている。あれも、あれが連れてきた連中も、ここの人員にふさわしくない』
ほとんど糾弾に近い口調。その強さにたじろいでいると『あのさ』と控えめな通信音声が響いた。アイク。
鳶色の瞳がすっと持ち上がって、まっすぐにルイーズを見つめた。視線が交わり、彼は表情を引き締める。
『もし、未知に光を当てた結果、起こったのが戦争だったとしても、君はタムラ所長を責めるのかい』
ルイーズは驚いたように目を丸くしたが、すぐに悠然とした態度に戻った。
『もちろんだ』
『なぜ。血が流れるんだぞ』
『我々がなにもせずとも、地上では常に血が流れている。それに流血は新たな叡智のせいではない。人類――つまり人間とアンドロイドが、その扱いに慣れていないせいだ。恐れを理由に叡智を手放していては、進化などありえない。乗り越えるべきなのだよ』
『……そんなのは……』
『アイク……?』
口元を引き結び、アイクはひどく厳しい顔だ。常ならぬ相棒の姿に、私はただ戸惑った。
上目でルイーズを睨み、鳶色を光らせてアイクは断言する。
『そんなことを言えるのは、おまえたちが、強くて長命だからだ』
『……そうかもしれんな。種族差とはそういうものだ。見える世界も信じる理想も、生命の形が違えば同じになりようがない』
『……』
悔しそうにくちびるを噛むアイク。ルイーズは不出来な生徒を見つめるような眼差しで彼を見ると、そっと微笑んだ。
『それでも、我々は君たちを愛している』
『……いずれ虐殺されるとしても?』
『ああ、もちろん』
なんのためらいもない返答。一瞬の間もなく与えられたそれに、アイクが思い切り舌打ちを打つ。しかし、彼はもはやそれ以上の追及をしなかった。
数秒の沈黙を味わうように目を伏せて、ルイーズが静かに微笑む。気が付けば電脳内は静まり返っており、ルイーズの青い瞳からは、通信光はすっかり失われていた。まばたきを一つして、私も視界間通信を終了させる。
ルイーズは小さく肩をすくめた。
「話は以上だ。あまり長話をすると、面倒な連中に見つかる」
「あ、ああ……ご協力、感謝する」
慌てて私が言うと、彼女はゆったりと微笑み、青い瞳でじっと私を見つめる。くすり、と小さな笑み。
「では、せいぜい頑張ってくれよ、ツバキ・ワイアット」
「え――」
それきり、カツン、カツン、とヒールの音を立てて、ルイーズは去っていった。豊かな金髪と、白衣をたなびかせて。
(名乗った覚えは――ない、はずだが……)
なぜ彼女は、私の名前を知っていたのだろう。彼女はワイアットに造られた最後のアンドロイドだ。その関係で、ワイアットの子孫をすべて把握しているのだろうか。子孫すべてを見つけ出すのは不可能ではないが、不自然ではある。
戸惑いと疑問に首を傾げる。隣では、アイクが感情を堪えるような目をして、じっと黙り込んでいた。
「おい、アイク? どうした」
「……いいや。なんでもない」
どこか思い詰めたような瞳。それがなんでもない男の顔か、と思う。
さっきの彼は様子がおかしかった。なにかあるのだろうか。
しかし、いくら相棒とはいえ、彼が開示しない以上、その内面に踏み込むことはできない。
どうしたものかと悩んでいると、アイクはひとつ深呼吸をして、ぱっと面を上げた。いつもとまったく変わらない、陽気な相棒の顔になる。
「悪い。うっかりシリアスになっちまった。さ、帰るか」
「ああ……その、アイク」
私はおずおずと口を開いた。アイクが首を傾げる。
「うん?」
「私はその、口下手だし、著しく短気だが……別に非情なわけではない」
「――は?」
「だからその、ええと、もし君がなにか……」
いつもと様子の違う君が、どうしても気がかりだった。無理に聞き出すつもりはないが、もし君が望むなら、いつでも話を聞いてやりたい。
ただそれだけの内容が、口下手すぎる私には、ちっとも上手に言葉にできなかった。あまりにももどかしい。
いつまでももごもごと口ごもる私に、アイクが目を丸くする。数秒して、ぶっ、と彼は派手に吹き出した。
「はっははは! なんだよツバキ。らしくねえなあ!」
「いった! 背中を叩くな! 少しは加減しろ!」
「悪い悪い。でも、しおらしいおまえなんておまえじゃねえよ。俺のことは気にするなって。ほら、帰るぞ」
「あ、ああ……」
うまくはぐらかされたような気がする。だが、今、アイクがちゃんと笑えているのなら、これでよかったのだろうか。
私は戸惑いながらも、彼と署に戻ることにした。清潔な研究所の廊下を歩きながら、少し先をゆくアイクが言う。
「なあ、ツバキ」
「なんだ?」
「……ほんと、悪ぃな」
ぽつりとつぶやかれた声は良くわからない温度を帯びていて、温かいような、それでいて淋しげなような、不思議な響きをしていた。
私は目を伏せると、かすかに笑ってささやく。
「気にするな。相棒だろう」
アイクの後ろ姿がかすかに笑った。「だな」と小さな声。見えていないとわかりながら、私はその背に向かって頷き返すと、相棒の隣を行くために、そっと足を早めた。
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