007
所長室を出て、廊下を歩きながら、アイクがぽつりと呟いた。
「色々つついてみたけど、とくに収穫もなかったな」
「……いや」
私は小さく首を振る。鳶色の瞳が「え」と丸くなった。
「あの所長、フィオの逮捕を嘆いておきながら、妙に嬉しそうだった。なにかあるのかもしれない」
「なにかって?」
「なにかは、なにかだ。それを調べるのが我々の仕事だろう」
それもおそらく秘密裏に、と付け加える。
「ボスがわざわざ私たちをつけた理由は、きっとそこにある」
「うげえ……」
アイクが顔をしかめた。面倒くさいことに巻き込まれちまった、と顔に書いてある。私は小さく笑うと、ぽん、と彼の肩を叩いた。
「まあ、これも仕事だ。せいぜい気張れよ、相棒」
「わかったって……ああもう、ちょっと待ってくれ」
アイクは軽く眉間を揉んで、うんうん唸っている。どうやら電脳内でさっきの尋問の情報を整理しているらしい。数秒そうしたのち、彼はふうっ、と大きく息を吐いた。
「よし、っと」
「脳内デスクは綺麗になったか? なら署に戻るぞ」
「んー、おう……なあツバキ」
「なんだ」
妙におずおずと呼びかけるアイクに、眉をひそめる。
彼は「あのさ」と前置きすると、意を結したように尋ねた。
「……この研究所について、おまえ、なにか心当たりはないか」
「なぜ?」
「いやだって、〝ワイアット〟研究所だぞ。ここはアンドロイドの創造主が創設したって言うけど、おまえと何か関係があるんだろ?」
「……ああ、そんなことか」
ぽん、と両手を打ち合わせる。
私は苦笑して「別になにもないさ」と笑った。
「関係らしい関係といえば、アンドロイドの創造主は私の遠い祖先らしい、ということくらいだ。名前以外に繋がりはほとんどない。彼についても、教科書以上のことなんてほんの少ししか知らないぞ。なんでも、ずいぶん情の深い男だったらしいが――」
「――まったく、その通り」
ハリのある女性の声。はっ、と私たちは振り返った。
長く伸びた廊下の向こうから、カツン、カツン、とヒールの音がする。現れたのは、豊かに波打つ金髪をなびかせた白衣の女性だった。
艶のある赤い唇が笑みの形を作り、理知的な声が言う。
「アンドロイドとは、ワイアットという稀代の天才がたったひとりで創り上げた、新種の機械生命だ」
唐突に現れた女性の存在に私とアイクがぽかんとしているのを気にもせず、彼女はすらすらと続けた。
「かつて人間に絶望したワイアットは、自らの手で〝本当の人間〟を造ろうとした。だからこそ、アンドロイドは髪の一筋から呼気のひとつまで、可能な限り人間に似せて造られている」
「あ、あなたは……」
私の問いに答えず、彼女は微笑んだ。
「アンドロイドは、彼の信ずる祈りに基づいた、人間とはかくあるべし、という理想を詰め込んだ存在。限りなく人間と同じでありながら、その醜い部分だけを美しくブラッシュアップした生命だ」
「は、はあ……」とアイクの声。彼女は続けた。
「ワイアットはとても情の深い男だった。アンドロイドを心から愛していた。その人権が守られ、幸福に生きられるよう、彼はあえてアンドロイドに弱点を与えたのだ」
「弱点……?」
ぽつり、と私はつぶやく。彼女はまるで出来のいい生徒を見つけた教師のように「ああ」とうなずいた。
「明晰な頭脳と強靭な肉体を持ちながら、それらと不釣り合いなほど繊細な精神のことだ。アンドロイドは愛に溢れ、慈悲深く、弱者のために身を尽くすが――対人ストレスで容易に死亡してしまう。まさに致命的な弱点だな」
それは確かに、誰もが知るアンドロイドの弱さだった。
金髪の女性は微笑んで続ける。
「彼はアンドロイドに弱点を与え、人間と能力的バランスを取ろうとしたのさ。おかげで、人間はアンドロイドを恐れずに済んだ。脅威的な強さを持つにも関わらず、自分たちが愛してやらねば死んでしまう存在。そんな健気な生命は、恐れるより共存したくなるだろう?」
そういう――ものなのだろうか。私にはよくわからない。
戸惑っている私を見て、彼女は小さく笑った。
「現実はどうあれ、ワイアットはそう考えたんだ。そして、彼はアンドロイドの理論をほとんど残さず自殺した。アンドロイドのためにね」
「アンドロイドの、ため……?」
思わず疑問の言葉が口をつく。だって、創造主はアンドロイドにとって父のようなものだ。自殺してしまうことが、アンドロイドのためになるとは思えない。
しかし彼女は静かに首を振った。金髪がふわりと揺れる。
「それこそが、最後の仕上げだったのさ。彼の自死により、アンドロイドの電脳は完全なブラックボックスとなった。人間の脳と同等の〝神秘〟が生まれたんだ」
――神秘。
目を細める私に、彼女が笑う。
「いくら身体を乗り換えようと、たった一つのボディにのみ自己同一性を生じさせる特定の働き――魂とよばれるそれが、アンドロイドにあることは間違いない。だが、ワイアットの死後いくら研究しても、魂の正体はわからなかった。その正体不明な神秘性こそが、アンドロイドを機械とは違う、一個の生命とみなす根拠になっていた。人間と同等の神秘をその電脳に宿す生命体――それこそがアンドロイドなのだよ」
そこまでを一気に言うと、彼女はふっ、と息をついた。
青い瞳が私たちを見て、くちびるに楽しげな笑み。呆気に取られる私たちに向かって、彼女は凛とした声で言った。
「私はHd_6En4.013_ Louis、電脳医ルイーズ。おそらくは君たちが探している、フィオとそれなりの交流があったアンドロイドだ」
「な――」
なぜ、私たちがフィオのことを調べていると知っているのか。疑問が顔に出たらしい、ルイーズは楽しそうに笑った。
「こんな機密まみれの研究所に、知らない顔が二人。それも応接用の所長室から出てきたんだ。タイミングからして、刑事と考えるのが自然なことだろう?」
「それは、たしかに……」
アイクが目をぱちぱちさせている。
ルイーズは、私とアイクを見回すと、楽しげな声のまま言った。
「実は、二日前に退院したばかりでね。フィオの電子尋問に参加していたんだ。それで電脳をやられた」
「えっ、アンドロイドが……⁉」
驚くアイクに、ルイーズは「そうさ」と笑う。
「まあ、サポートの医療スタッフとしてだがね。私は、あのワイアットが自らの手で造ったアンドロイド、その最後の一人なのさ。ずいぶん長生きしたから、心のほうも多少はタフでね。といっても、ガラスハートがアクリルハートになった程度だが」
「じゃあ、フィオの尋問中になにか見たりは――」
勢い込んで尋ねるも、彼女は残念そうに首を振るだけだった。
「不自然なほど、なにも。もしかしたら、事件前から尋問を見据えて、電脳にプロテクトをかけていたのかもしれない」
「……計画的な犯行……」
周到に準備された犯行なのはわかっていた。ミアの耳に突き込まれたのは、フィオが独自に生成した強力な腐食液だ。あんなものをブーケの中に仕込んでいた以上、衝動的な殺人のはずはない。しかし、こんなところまで入念に対策していたとは。
顔をしかめる私に、ルイーズは言う。
「さっきまで、フィオの再尋問の手配をしていたのさ。友人とまではいかないが、知人以上ではあった同僚のことだ。できるだけの協力はさせてもらうよ」
「あ、ありがとうございます」
アイクが軽く頭を下げた。私も同じようにする。
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