#5

次の仕事とはインドの首都ニューデリーへ飛び、そこで小規模なイベントを終えてから日本で行われるパーティーに商品を運ぶというものだった。


インドでは、イギリスによる植民地化を始め、イギリス英語が普及し始めた影響もあり、英語は公用言語として使われている。


インド英語と呼ばれるイギリス英語――ヒンディー訛りの英語はヒンドゥー·イングリッシュ、略してヒングリッシュと呼ばれていて、英語が話せれば大きな街ならば会話に困ることない。


英語が話せるルイにとっては、他のアジア圏よりも彼女に向いているといえるだろう。


なんでもそのイベントやパーティーは、今後の会社の業績を左右するほどの重要なものらしく、ここで活躍すれば出世は間違いなしだと、灰寺は語っていた。


話を聞いたルイは、頭の中にあったモヤモヤを振り払って背筋を伸ばす。


国蝶こくちょう会長や灰寺の期待に応えるためにも、ここで頑張らねばと、必ずインドでの仕事を成功させることを心に誓う。


「まあまあ、なにか怖がらせるような言い方しちゃったけど、緩爪ゆるづめくんは普段通りやってくれれば問題ないから」


「はい! わたし、頑張ります!」


「うんうん。いいね。お互い頑張ろう」


「はい! 絶対にこの仕事を成功させてみせます!」


その後、現地での流れを打合せし、数日後にはインドへと出発。


成田空港からインディラ·ガンディー空港へと飛行機で行き、そこで担当者だという現地のインド人たちと合流。


まずは荷物を下ろすために、宿のあるコンノートプレイスへと向かう。


事前にインドがどのようなところを調べていたルイだったが、コンノートプレイスは彼女の想像とはかなり違っていた。


ルイの調べたインドは、道という道は人で埋め尽くされており、さらには牛などがそこら中にいて、衛生環境があまりよくないと聞いていたが。


表の通りはきちんとブロック分けされていて清潔さがたもたれていて、レストランやショップの場所もわかりやすく、観光客には過ごしやすい場所に見えた。


だが、初めての土地は油断ができない。


特にインドではエリート層など近代的な考えの持っている人たちを除いて、女性の人権は極端に低く見られているため、悲惨な性的暴行のニュースを多く聞く。


特に欧米人や日本人の女性を娼婦と同じように思っているインド人もいるといい、未婚の女性とわかると猛烈にアプローチしてくるようだ。


ルイは想像していたよりも環境がよかったとは思いつつも、キリッと表情を引き締める。


「ホテルに着いたら、そこからトラックに乗り換えるから。乗り心地は最悪だから覚悟しておいてね」


「大丈夫ですよ、それくらい。わたしだってもう立派な貿易会社の社員ですから」


「ハハハ、七つの海を股にかけってか。ホント頼もしいねぇ、緩爪くんは」


今回は灰寺も一緒だ。


余程の事態が起きない限りは、仕事は上手くいくだろう。


ルイはそう思うと、観光客で賑わう街並みを、車の窓から眺めた。


それから車はホテルに到着。


受付でチェックインをしてから部屋に荷物を置き、外にいた現地のインド人たちが用意してくれた大型トラックへと乗り込む。


ルイたちを乗せたトラックは、近代的なコンノートプレイスの街並みを出て、山岳方面へと向かう。


大人数で賑わっているのは変わらないが、次第に道行く人たちの服装が変わっていることに気が付く。


日本人とそう変わらない格好から、みすぼらしい装いボロボロ服を着た人たちが増えてきた。


さらには牛が数頭道端で寝そべっており、そのふんの臭いなのか、異臭もし始める。


ルイが聞いていたインドの光景だ。


トラック内ではエアコンが効いていたが、それでも暑い。


灰寺はホテルチェックイン時に半袖の柄シャツに着替えていたが、ルイはリクルートスーツのままだったのもあって、こんなことならば夏服を用意してくればよかったと後悔する。


トラックを運転している現地のインド人たちも、皆タンクトップに短パンといった格好で、ルイだけなんだかおかしな格好だ。


だがルイは、そんな自分の服装よりもおかしなことに気が付く。


それは、インディラ·ガンディー空港へと迎えに来てくれ、そして今トラックに一緒に乗っている現地のインド人たちの身体にはびっしりと刺青が入っていたことだ。


見るからに堅気の人間には見えないが、それでもうちの会社と繋がっているのだから問題はないだろうと、その不可解さを飲み込む。


これまでルイが仕事で訪れた国でも、現地の協力者に刺青の入っている人間はいたのだ。


こちらでは日本とは違って、ファッション感覚で刺青を入れる人間が多いのだろう。


ルイは、まだまだ自分は遅れているなと、彼らのことを犯罪者扱いしたことを内心で詫びる。


世界はもうグローバル化している。


国と国を分けている隔たりが小さなっているのだから、いつまでも古い日本の価値観でいたら貿易会社の仕事は務まらない。


自分は先ほど灰寺が口にしていた通り、七つの海を股にかけた人間なのだ。


ルイは考えを改めていると、トラックは街を越えて人里離れた道を突き進む。


自然の多い、まるでサバンナかと思う道を駆け、ルイが見たこともない鳥たちの姿が前に入る。


「あーそうだ。緩爪くん」


野生動物たちが見えてくると、隣に座る灰寺が声をかけてきた。


ルイは「はい」と返事をすると、彼はいつも通りにニッコリと笑みを浮かべて言う。


「ここら辺はトラとかも出るから、もし車から出ても独りで行動しないでね」


「トラですか!? 野生の!?」


「そうそう。あと野良ゾウとか出るよ。前に来たときは村が一つ潰されたってニュースになっていたっけ」


「野良ゾウ……」


インドでは、たびたび自然保護区から迷い込んだと思われる野生のゾウが暴れ、死亡者や重軽傷者が出る事件が起きる。


ゾウは大人しい動物だが、その大きな身体からは考えられないほど臆病で、人の悲鳴や大声に怖がって暴れることがあるのだ。


そして恐ろしいことに、ノロノロと動きが鈍く見えるゾウの足は速い。


力はその身体から理解できると思うが、ゾウの歩行速度は、一説によると時速四十キロにまで達するという。


もしそんな速さで、しかもあの大きさで追いかけられたら、必ず踏み潰されてしまうだろう。


ルイはそのことを想像すると、野良ゾウという冗談めいた言葉の響きを聞いても笑えなかった。

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