#19

クロエは今すぐ二人の男に飛びかかれ、背後から奇襲をかけられる有利な状況だと、怯えているルイに提案をする。


当然ルイにそんな度胸はなかった。


いや、むしろ男二人に非力な自分が襲いかかっても返り討ちに遭うだけだと、クロエの案を拒否する。


その間に男たちが動き出した。


一人はバスルームへと向かい、もう一人は部屋の人が隠れられそうな場所を漁り始めている。


ルイはあっという間に見つかり、ベットの下から力づくで引きずり出されてしまう。


なんとか逃げようとしたルイだったが、男の力には敵わず、顔面を殴り飛ばされて、身体を壁に押さえつけられる。


「やっぱてめぇか! わざわざ戻って来やがって、舐めてんのか!? あん!?」


男は昨夜にルイを追いかけていたインド人の一人だった。


ルイが何をしに戻って来たのかを訊ねながら両腕を掴み、彼女を拘束しながら耳元で叫んでいる。


暴力を振るわれたルイは声も出せなかった。


これまでこういう荒っぽいこととは無縁だった彼女にとって、男の圧倒的な力の前にただ怯えるしかなかった。


恐怖で何も考えられないルイの頭の中では、クロエの声が聞こえている。


《身体の主導権をワタシに》


ルイはクロエに身体の主導権を渡したところで、この状況が変えられるとは思わなかった。


たしかに川沿いでクロエが見せたダンスは見事だったが、男と女ではそもそも腕力が違い過ぎる。


だが、もう彼女に頼る以外に道はない。


ルイはわらにもすがる思いで叫ぶ。


「助けてクロエ!」


《許可をちょうだい》


「許可でもなんでもするから早く助けて!」


《了解したわ》


クロエが叫びに応えると、ルイの身体が勝手に動き始めた。


掴まれていた両腕を払って男のほうへと振り返り、左の膝蹴りから右足での上段蹴りと連続で足技を繰り出す。


腹と側頭部に衝撃が走ったインド人の男は、一体何が起きたのかわからないといった様子で吹き飛びながらも、再び襲いかかってきていた。


ルイはまた顔を殴られると思って両目を瞑ってしまっていたが、身体はクロエが主導権を持っている。


最小限の動き――ミリ単位で攻撃を躱し、隙を突いて男の手を掴んで人差し指をへし折って、怯んだところへ身体を宙に浮かせながら回転。


多くの格闘技で使われている大技――飛び後ろ回し蹴りを放った。


部屋の隅へと吹き飛んでいった男を見て、ルイはわけがわからなかった。


まさか自分が男を追い詰めているのかと、勝手に動く身体に戸惑っている状態だった。


《ちょっとクロエ、これはどうなってるの?》


「楽にしてて、すぐに終わるから」


ルイの表情が怯えたものから自信に溢れた顔へと変化していく。


その表情はもはやルイとは別人であり、完全にクロエが彼女の身体の主導権を手に入れた証拠だった。


「くそ! な、なんなんだよいきなりてめぇは!」


インド人の男は、人差し指が折られたというのに立ち上がり、苦痛で顔を歪めながらも殴りかかって来る。


だが、男の拳は当たらない。


先ほどと同じように最小限の動きで避けられ、ただ空を切るだけだ。


当然クロエはやり返している。


男の一挙一動に正確に対応し、その一発一発にカウンターを喰らわせていく。


《こっちに来ないで……。頼むから諦めてよ……》


ルイは頭の中で声を漏らしていた。


次第に顔が腫れ上がっていく男を見て、彼女は耐えられなくなっていた。


顔や口から血が吹き出しても向かって来る男に、ルイは逆に恐怖してしまっていたのだ。


しかし、クロエは容赦しない。


ルイの声が聞こえていようが気にしない。


男の動きが鈍ろうが顔が歪もうが、まだ敵意があると判断し、ひたすら叩きのめし続けている。


「ふざけやがって……。殺してやる!」


インド人の男は隠していたナイフを手に取った。


ベルトのバックル部分をスライドさせて取れるロックバックナイフだ。


その刃物は、全長約130mm 刃長46mm 重さ48gの小さなものだったが、刺された箇所によれば命を落とす可能性がある。


《ヤバいよクロエ! ナイフ、ナイフだよ!》


「大丈夫よ。何も問題はないわ」


頭の中で叫ぶルイに、クロエは動揺など微塵みじんも見せずに答えると、そのままナイフを持った男へと向かっていく。


そんな彼女に向かって、男はその腫れ上がった顔をさらに歪め、ナイフを突き出して来ていた。


このまま腹部へと刃が突き刺されると思われたが――。


「無理よ。無理無理」


やはり男の攻撃はクロエには届かず、避けながら背後へと回られる。


そして、クロエは側にあったテーブルからボールペンを手に取り、背後から男の耳に向かって突き刺した。

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