#50

――ルイの故郷から都内――六本木へと戻った国蝶は、貿易会社アンナ·カレーニナのビルへとやって来ていた。


数週間前に惨劇があった社内も今ではすっかり片付けられ、まるで何事もなかったかように静かだ。


現在貿易会社アンナ·カレーニナは休業中であり、海外へと輸入輸出も止まっている状態だ。


当然従業員などおらず、電気すら通っていない。


国蝶は、社内に入るとまず分電盤のある部屋へと向かった。


それからブレーカーを入れて社内に電気を通すと、エレベーターへ乗り込む。


重力を感じながら国蝶は壁に寄りかかる。


あんな母親に会いに行かなければよかったと心の底から後悔し、国蝶は顔を上げながら両目をつぶっている。


「もう、疲れたなぁ……」


うんざりした顔で、そうポツリと漏らす。


ルイのせいですべてを失った国蝶だったが。


彼女はルイのことを恨んでなどいなかった。


むしろ、なぜルイがあんなに追い詰められていたのか。


一緒に暮らしてどうして気付いてやれなかったのかと、国蝶は自分の非があると思っていた。


二重人格のようになっていたルイは、余程のストレスを抱えていたに違いない。


家でも職場でもずっと笑顔を見せていたのは、心配させまいとした彼女の優しさだろう。


それなのに自分は――。


国蝶は、ただ自分のルイに対する配慮が足りなかったと嘆いていた。


エレベーターの到着を知らせる音が鳴り、扉が開く。


フラフラとまるで泥酔したかのような足取りで、国蝶はエレベーターから出て廊下を歩いて行く。


そして、ある部屋の扉を開けて中へと入っていた。


そこには貿易会社アンナ·カレーニナの心臓――量子コンピューターがあった。


無数の配線に繋がれた近未来的なタワーのミニチュアのような外観したコンピューター。


国蝶は、それに倒れるように寄りかかる。


「私には、もう……こいつだけだ……。こいつだけが残った……」


今にも消えてしまいそうな声で呟いた国蝶。


その目には涙が流れていた。


本社にいた社員はすべて殺され、亡き夫が先代のとき自分を慕っていてくれた灰寺も死んだ。


そして、その犯人は自分の娘のように思っていたルイだった。


そんな彼女ももういない。


自分が殺したのだ。


会社も死んだも同然だ。


アンナ·カレーニナはもう終わりだろう。


仕事が立ち行かなくなるのは当然だが、世界中の裏社会でその名が通っているだけに、もう面子は保てない。


身内に、しかも素人の小娘ただ一人に壊滅的な被害を受けたのだ。


この世界は噂が出回るのも早く、一度ケチがつくともう信用はされない。


舐められたまま仕事を続けても喰い物にされるだけだ。


ここで死のう――国蝶はそう思いながら量子コンピューターに寄りかかっていると――。


《ありがとう。あなたが起こしてくれたのね》


突然彼女に声がかけられた。


国蝶はどこから声が聞こえてくるのかと、周囲を見回すが人の姿はどこにもない。


ただ部屋にあったスピーカーから、デジタル加工された女の声が聞こえてくるだけだ。


「あなた……誰……?」


恐る恐る訊ねると、ボイスチェンジャーを使用したような女の声が返事をする。


《ワタシはクロエ。今アナタの目の前にあるコンピューターの中で生きている者よ》


女の声――クロエは、戸惑っている国蝶へ言葉を続ける。


《急で申し訳ないんだけど、ワタシからアナタへ、とってもいい提案があるわ》


〈了〉

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クロエ·エフェクト~起動した彼女~ コラム @oto_no_oto

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