#42

――貿易会社アンナ·カレーニナの本社では、国蝶こくちょう·たまきが自分のデスクに座って顔にある皺をさらに深くしていた。


それは、世界中にいる会社の顧客の富裕層らが、突然消息不明になった原因を調べに飛び立った灰寺とルイが戻ってこないからだった。


すでに彼らからの連絡が途絶えてから数日が経つ。


他の幹部たちも動き出してはいたが、一向に進展はなし。


灰寺とルイのことは見つけられていなかった。


ミイラ取りがミイラになる――。


国蝶の頭の中では、そのことわざがよぎっていた。


灰寺とルイは、おそらく顧客たちが姿を消した事件に巻き込まれたのだと、まるで子の仇を討たんばかりの表情で、彼女は激しく苛立っていた。


二人が戻らない理由――可能性があるとすれば、これまで貿易会社アンナ·カレーニナで奴隷を購入し続けていた富裕層らが、国際刑事警察機構に捕まったというものが考えられる。


調べにいった灰寺とルイも、当然関わった人間として捕えられてしまっているのだろう。


だがもしそうならば、とっくに会社へと警察が踏み込んできているはず。


ならば、別の犯罪組織の仕業か。


正直、敵対する組織が多過ぎるうえに、恨みを買っている相手も数えきれないため、その線も十分にあり得る。


国蝶は頭を悩ませながらも自分ではどうすることも動くこともできないと、ただここ数日れるしかなかった。


彼女がそうやってデスクに座って考え込んでいると、目の前に置いていたスマートフォンが震える。


そこには、灰寺の名が映っていた。


国蝶は一瞬だけホッと胸を撫で下ろしたが、安心などしている場合ではないと気持ちを切り替えた。


なぜならば、灰寺やルイが生きている可能性は、状況から考えてどうみても低い。


そうなると、今回の件の犯人が、灰寺のスマートフォンを使って自分に連絡してきた可能性のほうが高いのだ。


しかし、これで国際刑事警察機構が犯人だったという線は完全に消えた。


もし国際警察ならば、こんな回りくどいやり方などせずに、直接会社へ来るはずだからだ。


「私だ」


国蝶は電話に出ると、相手が声を出すのを待った。


だがスマートフォンから聞こえてくるのは、男たちの呻き声だけ。


状況が掴めない彼女はしびれを切らし、自分から口を開く。


「これは何の真似だ? そこに灰寺やルイはいるのか?」


国蝶の声に動揺はなかった。


さすが女手一つで犯罪組織をまとめ上げた人物といえるだろう。


彼女は漏れてくる誰かわからない男の呻き声を聞きながらも、けして取り乱すことなく状況を把握しようとしていた。


「どうした? 何か答えてみろ」


国蝶が再度訊ねると、スマートフォンから男の悲鳴が聞こえてきた。


その恐怖に怯える声は、一人、二人などというものでなく、何十人もいるようだった。


耳障りな叫びに、国蝶が顔をしかめながらもスマートフォンを耳に当ててると、デジタル加工された声が聞こえてくる。


《モウスグ……アナタノトコロへイクヨ……》


ボイスチェンジャーを使用しているのだろうその声は、男性とも女性もわからないものだった。


やは貿易会社アンナ·カレーニナに恨みを持っている相手か、敵対している組織か。


そう思った国蝶はすぐに電話を切ってからスマートフォンを操作し、本社にいるすべての人間に敵が襲撃してきたとメッセージを送った。


そして、彼女自身も敵を迎え撃つべく、座っていた高級チェアに付いたボタンを押す。


「灰寺が遊び心で贈ってくれた品だったが、まさか役に立つ日が来るとはな……」


そう呟きながら彼女がボタンを押すと、椅子の左右に付いた肘置きが開き、そこから日本刀と拳銃が現れた。


先ほど国蝶が口にしたように、この仕掛けが施された椅子をプレゼントしたのは灰寺だ。


灰寺は、もし万が一でも会長室に敵が現れたときの対処法として、椅子に護身用の武器を設置していたのだ。


当時こそ心配性の彼に呆れていた国蝶だったが、今はそんな彼の心遣いを嬉しく思っていた。


「灰寺……。ルイ……」


国蝶は二人の名を呟くと、着ていた白いジャケット脱いで日本刀を手に取った。


下に着ていたのはタンクトップ一枚だけだ。


彼女の雪のように白い肌が露出し、細いながらも引き締まった腕があらわになる。


そして、デスクの上に乗っていた大型ディスプレイに向かって抜刀。


彼女の年齢からは考えられないほど俊敏しゅんびんな動きで、モニターを真っ二つにする。


切られたディスプレイの上部が宙を舞い、その光景は、まるで一流の人斬りが一瞬で相手の首を斬り飛ばすかのようだった。


「お前たちの仇は、私が取ってやるぞ……」


そう力強く呟いた国蝶は、会長室の絨毯じゅうたんに転がった上部を蹴り飛ばし、抜いた日本刀を鞘へと戻した。


これから来るであろう敵に、憎悪をつのらせながら。

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