#43

――国蝶が怒りをたぎらせている頃。


貿易会社アンナ·カレーニナの地下駐車場を一人の人物が歩いていた。


その人物の姿は、目出し帽――顔ごと覆うバラクラバを被り、身体のラインが強調された真っ黒な服を着ている。


腰回りにはミリタリーベルトを巻き、そこにはナイフや拳銃などあらゆる武器が収まっていた。


まるでSF映画にでも出てきそうな出で立ちのその人物の前には、それぞれ拳銃を持った貿易会社アンナ·カレーニナの社員たちが待ち構えている。


国蝶からメッセージを受け取った社員たちが、各自侵入者が入ってきそうなところを見張っていたのだ。


「テメェ! どこのもんだコラッ!?」


「うちが国蝶こくちょう会長の会社だって知って来てんのか!? あん!?」


着ているスーツがはち切れんばかりの屈強な身体を動かし、社員の男たちは侵入者を囲みながら声を張り上げる。


そして一斉に銃を構え、銃口をその人物へと向ける。


当然ここで待ち構えていたアンナ·カレーニナの社員たちは、荒事に慣れている人種だ。


その風貌や態度からしてわかるが、どうみてもヤクザである。


彼らは侵入者がただ一人――しかも、その着ているピタッとした服から強調された身体のラインを見て油断しているのだろう。


相手は女。


いくら武装しているとはいえ、たった女一人だ。


どう見ても自分たちの優勢は揺るがないと判断し、すぐには発砲せずに脅しにかかっていた。


彼らは生きたまま地獄を味あわせてやると言わんばかりに、侵入者の女を捕えようとしていた。


「誰に雇われた知らねぇが、うちに舐めたマネしてタダで済むと思ってんじゃねぇぞ!」


「つーか、こいつバカじゃね? 殺し屋なのかなんなのかわかんねぇけど、たった一人でって頭悪すぎんだろ?」


駐車場に女を小馬鹿にする男たちの笑い声が響き渡る。


それも当然のことだろう。


アンナ·カレーニナの社員たちの生きてきた世界では暴力でなんでも決まる。


彼らが会長である国蝶こくちょう·たまきに従っているのは、何も彼女が先代の妻だったからではない。


灰寺のように盲目的に慕っているわけでもない。


実際に国蝶は腕っぷしも強いのだ。


そのうえ知恵も回り、自分たちでは彼女には敵わないことを彼らは知っている。


数で圧倒しようとしても、結局は裏をかかれて殺される。


ならば従うしかない。


強い者こそが正義――それが彼らの生きる世界だ。


そんな男たちにとって、無策で現れた女一人などただの食い物でしかない。


もはや敵という認識すらしてない。


このバカな侵入者は、自分たちを楽しみませるための玩具だ。


顔を確認して器量が良ければそれで良し、たとえ醜かったとしても甚振ってやれるだけでも十分。


国蝶の前に差し出す前に、楽しめるだけ楽しんでやる――。


男たちは自分たちの圧倒的な優位から、すでに女を捕まえたつもりになっていた。


何のつもりなのか、それとも余程自分の実力に自信があるのかわからないが。


女がたった一人で自分たちに敵うはずがない。


これは現実なのだ。


アクション映画や海外ドラマじゃあるまいし、たった一人で集団を相手に無双などできるわけもない。


誰もそう信じて疑わなかったのだが――。


「クチカズノ……オオイオトコハ……バカニミエル……」


女がそう呟くと、男たちの目の前からその姿が消えた。


そして次の瞬間、男たちの身体に刃物の感触が伝わり、気が付けば激しい痛みに襲われる。


「え……?」


男の一人が自分の首に生暖かいものを感じ手を触れてみると、血がべっとりついていた。


いや、ついていたのではない。


それは切り裂かれた自分の首から垂れていたのだ。


彼の周囲にいたほとんど仲間が倒れている。


おそらくは頸動脈けいどうみゃくを切られたのだろう男たちは、その首から血を流し、駐車場のコンクリートの床に赤い水溜まりを作っていた。


頸動脈に刃――成人男性の首横を表面から三、四センチほど切り裂き放っておけば、およそ十二秒で失血死すると言われている。


もう倒れた者たちは、どうあがいても助からない。


まだ数人の仲間が立っているが、男は反撃する気力も逃げることも考えられなくなっていた。


「ナンニンカ……キリソコネタ……」


黒い服を着たバラクラバの女の手には、血のついたナイフが握られていた。


抑揚よくようのない声でそう言った女は、ゆっくりと打ち取りこぼした数人へと近づいていく。


それからは地獄絵図だった。


何が起きているのか理解できず、その場に立ち尽くしたままナイフをこめかみに突き刺される者。


逃げ出そうとして仲間の死体に足を取られ、転んで後頭部に刃を突き立てられた者。


反撃しようと発砲し、味方を撃ち殺しながら返り討ちに合う者など、コンクリートの床の元の色がわからなくなるほど血で染まっていく。


最後に生き残った男は、その光景を眺めていた。


震える足を動かすことなど忘れ、ただボーリングのピンのように倒されていく仲間を見ていることしかできない。


ナイフを持って次々に仲間を殺していく女の動きが、ハッキリと見えないことに男は気がつく。


女の動きが速すぎる。


一人殺すたびにわざわざ元の位置に戻るので、ゆっくり動いているように見えていただけだ。


こんな目にも止まらぬ速度で動くような奴に勝てるはずもない。


男はそう思いながら顔を引きつらせていた。


「ば、化物……」


男が半笑いでそう呟くと、視界がすべて黒ずんだ赤へと変わった。

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