#10
――時間も深夜となり、ホテル内も静まり返る。
食事を取るような気分でもなかったルイは、ずっと自室の湯船に浸かっていた。
灰寺のにやけ顔と、舞台の上で見せたガウリカとラチャナ子供たちの表情が頭から離れない。
割り切るべきなのだろうと思いながらも、脳裏に浮かぶそれらが彼女の心を揺さぶっていた。
たしかに考え方によっては、家族に見捨てられた子たちを救ったということになる。
山に捨てられて野生動物の餌になるところを、金持ちの家に住まわせてやるということになる。
しかし、もしその子たちの買い手が人間的におかしい人物だったら?
子供たちの人生は、一生苦しいものになるだろう。
いくら事情があるからといって、人身売買に手を出すような輩たちだ。
己の欲望を未成年にぶつけるような
「わたしだって……もし日本に生まれていなかったら……」
そう呟いたルイは、ゆっくりと湯船に顔を沈めていく。
すっかり温くなった湯の中で息を止め、母親のことを考える。
女手一つで自分を育ててくれたことには感謝している。
だが、それはあくまで建前だ。
本当は母のことは好きではない。
ルイの母親は、いつも自分のことばかりで、酒と男のことしか頭にない女だった。
彼女が小中高とろくに友人がいなかったのは、母親のせいだ。
小学生のとき、毎日同じ服を着て登校すれば、汚いとからかわれて当然。
中学生になって周囲が流行やオシャレに興味を持つようになっても、無料の動画サイト――しかも母親が指定した英会話チャンネルしか見せてもらえない。
高校生になる頃には、完全におかしな奴というレッテルを貼られていた。
田舎というのはコミュニティが狭いのだ。
イジメられなかったのは運がよかったとしかいえないが、そういう家庭環境もあって、ルイは寂しい青春時代を過ごした。
これがもし発展途上国でのことだったら?
ルイは自分でも馬鹿げていると思うが、きっと母は自分を捨てるか売り飛ばすだろう。
たとえ日本でも、国から支給される援助や、別れた旦那から渡されていた養育費がなければ、とっくに児童養護施設へと送られていたはずだ。
「やっぱりおかしい……おかしいよ……」
ルイは湯から顔を出すと、急に立ち上がって浴室を出る。
バスタオルで身体を拭き、消臭剤の匂いが残るリクルートスーツに着替える。
そして部屋を出て、静まり返ったホテル内を歩いて行く。
彼女はいろいろ考えて決意した。
自分が捕まってもいいから、子供たちを助けたいと。
ルイはホテル内を進んでいく。
子供たちが監禁されているであろう場所は想像がつく。
まさか灰寺も、自分が子供たちを連れて逃げるとは思ってもいないだろう。
しかもデリー警察の本部は、このホテルがあるニューデリーの側――コンノートプレイスのジャイシンマーグに位置している。
そこへ子供たちを連れていき、事情を説明して保護してもらえればいい。
その後にどうなるかはわからない。
おそらく自分も灰寺が言っていたように、組織の一員として処罰を受けるだろうが、ルイは湧き上がる感情を抑えられなかった。
子供たちを救いたい。
ガウリカとラチャナを
そう思うと、ルイは自分では信じられないほど大胆な行動を取っていた。
海外で捕まった人間がどうなるか、今後の自分の人生など知ったことか。
ここであの子たちを助けなければ一生後悔する。
あの子たち――ガウリカやラチャナたちは自分が海外で生まれたときの姿なのだと、ホテル内にあるパーティールームへと向かう。
恐る恐る中へと入り、まだ完全に片づけられていないイベント会場を通り抜け、舞台にある楽屋へと入る。
当然鍵がかけられていたが、外から開けられるタイプだったので、簡単に中へと入れた。
「みんな起きて! 早く逃げるんだよ!」
楽屋の中では子供たちが雑魚寝していた。
服もイベントのときのような上品なものではなく、どこにでも売っていそうなTシャツに短パン姿だった。
ベットもソファーもなく、床に横になっていた子供たちにルイが声をかけると、彼ら彼女らは目を擦りながら起き上がる。
「お姉ちゃん……?」
ガウリカとラチャナが気が付くと、ルイは二人の手を取った。
そして、彼女は再び子供たちに声をかける。
明日には皆日本へと連れて行かれる。
そこでまた今夜のようなことをやらされて、金持ち連中に売られてしまう。
その前にここから逃げるのだと、ルイは必死に状況を説明した。
だが、子供たちは誰一人として彼女の後について行こうとはしなかった。
沈んだ顔でルイから目をそらし、ただ黙っている。
「みんな売り飛ばされたいの!? いいからわたしについてきて! 早く逃げないと見つかっちゃう!」
ルイが声を張り上げると、子供たちの中で一番年上に見える少年がルイの顔を見上げた。
彼は無愛想な表情のまま、ルイに向かって口を開く。
「逃げるって……どこに?」
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