#23

外へと出たルイは、下の階に住むアパートの大家に部屋の鍵を返して、クロエに言われたまま歩き出す。


彼女が住んでいる六本木は、東京都港区の繁華街でありビジネス街だ。


すでに時間は朝の出勤時間を過ぎているため、街に人の姿は少ない。


ルイのいたアパートが街外れにあるのもあったが、これまで仕事一筋で頑張ってきた彼女にとってはいろいろと懐かしい光景だ。


仕事で海外に出かけてばかりいた彼女にとって、日本の街を歩くことだけでも感慨深いものがある。


《まずは美容院ね》


「へ?」


脳内でクロエがそういうと、ルイは呆けた顔をして言葉を漏らしていた。


なぜこんな状況で美容院なのか。


これから世界中の金持ちを相手にする犯罪組織から子供たちを救おうとしているの、ずいぶんと悠長なことを言うと、ルイは呆れている。


当然ルイは髪など切る必要はないと答えたが、クロエからするとヘアカットしないと命に関わるのだと言う。


《アナタはちょっと髪が長すぎるのよ。こないだの戦闘のときに、どれだけ邪魔だったかわかってる?》


「あぁ、そういうことかぁ」


《それに、年頃の娘が髪を伸ばしっぱなしってのもいただけないわ。髪のダメージを見るにアナタは手入れもろくしていないみたいだし。いい機会だからバッサリと切っちゃいましょう。変装にもなるしね》


クロエがまた口うるさい母親のようなことを言っている。


ルイはそんな彼女の考えを聞いて辟易へきえきしていたが、そこまで悪い気もしていなかった。


彼女はこれまで何度も美容院に行こうと思っていた。


だが、結局店のオシャレな雰囲気が苦手で、いつも男性が行くような理髪店へ行ってしまう。


理髪店には、シャンプーをうつ伏せでやる関係で女性の利用は断っているという店もあり、元来横着な性格もあってどうも髪を切ることが億劫おっくうになっていたのだが。


クロエに任せればきっと素敵な女性に生まれ変われると、その内心では喜んでいた。


それから適当な美容院に入り、伸びた長い髪をバッサリと切る。


散髪中にうたた寝をしてしまったルイは、その仕上がりに驚愕。


店内では表情に出さなかったが、美容院を出るとクロエに向かって文句を言い出す。


「ちょっとこれ切り過ぎじゃない!?」


《あら? 気に入らなかった? でもアナタは顔のラインが綺麗だから、短いほうが似合うと思うけど》


「え? そ、そうかなぁ……」


美容院の外のショーウインドーで自分の顔を見ながら、照れてにやけるルイ。


クロエがチョイスした髪型は、まるで男性かと思うほど短く刈り込んだベリーショートだった。


これまでずっとロングヘアだったルイにとってこれは由々しき問題だったが、クロエの褒め言葉にいとも簡単に気を良くする。


ガラスに映る自分の顔を眺め、キメ顔を作っては実に楽しそうだ。


「うん、よく見ると悪くないかも」


《アナタって本当に扱いやすいわね。助かるわ》


「なにそれ!? まさか嘘ついたの!? それとわたしはチョロくないし!」


《似合っているのは本当よ。でもチョロいのも事実だわ》


美容院の前でそんなやり取りをするルイとクロエ。


そんな彼女たちを見て、店の前を通り過ぎていく人たちがいぶかしげな視線を向けていた。


急に恥ずかしくなったルイは、顔を真っ赤にして美容院の前から立ち去る。


そうなのだ。


はた目から見れば、ルイが一人で喚いているようにしか映らない。


クロエの存在自体があり得ないことなので、通行人からすれば、美容院で髪を切り過ぎたことを悔やんでいる痛い女にしか見えないだろう。


ルイは今度からは気を付けようと思うと、切ったばかりの髪に手を触れる。


「でも、やっぱりいいかもこの髪型。ありがとね、クロエ」


そして、誰にも聞こえないくらいの音量でクロエに礼を言った。


礼を言われたクロエは脳内で笑い、その笑い声を聞いたルイも笑顔になっていた。


クロエは思う。


自分を再起動させてくれたのが、この娘――緩爪ゆるづめ·ルイで良かったと。


《ワタシたちって結構いいコンビかもね。ウィノナ·ライダーとアンジェリーナ·ジョリーみたいな》


「誰それ? クロエの友だち?」


《『17歳のカルテ』を知らないの? スザンナ·ケイセンの自伝小説が原作なんだけど》


「いや知らんけど」


《アナタはもう少し映画を観たほうがいいわ。ワタシの気の利いた例えもわからないんじゃ楽しめないもの》


「じゃあ、今度一緒に観よう。ポップコーン食べながらさ」


《どうせルイはお目当てはポップコーンでしょ》


「あぁ! またバカにしてるでしょ!?」


子供たちを助け終わったら一緒に映画を観よう――。


そう約束したルイとクロエは、互いに文句を言い合いながらも今夜泊めるホテルへと向かった。

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