#12
クロエと名乗った地下室にあったコンピューターは、ルイの名をを聞いて笑った。
クスクスと上品な笑い声がスピーカーから漏れてくる。
ルイは状況がよくわからないながらも、その笑い声からクロエが女性であることと、先ほどから口にしている言語から彼女が英語圏の人間だと理解した。
一体誰が喋っているのか。
まさか本当にコンピューターが自分に向かって話をしているのか。
AIや人工知能だと思いたいのなら思えばいいと言っているが、この女性は何者なのだろうと、ルイは思わず身構えてしまっていた。
一方のクロエはまだ笑っている。
ルイは震えながらも、そんな彼女――目の前に映る大型の画面に向かって訊ねる。
「何がそんなに面白いの? わたしの名前ってそんなにおかしい?」
《おかしいというか、ルイって男性の名前でしょう。あなたは東洋人、英語のアクセントからして日本人かしら? だから笑ってしまったのよ。気を悪くしたのなら謝るわ》
「ルイって……男の人の名前なの?」
《ヨーロッパ、特にフランス語圏の男性名としてポピュラーよ。 英語圏でもそれなりに使われているけど。もしルイと女性に名付けるなら、ルイーズ、ルイーザとかが一般的かしらね》
「そ、そうなんだぁ……」
ルイがそう呟くように返事をすると、クロエは再び彼女に訊ねた。
どうしてルイの母親は、日本人であり、しかも女性である彼女に、そのようなフランス語圏の名前を付けたのだと。
そんな変わった名前を付けるのには、何かしら理由があるのではないかと、まるで昔から知り合いかのように訊いた。
訊ねられたルイは、モジモジとその身を揺らすと、言いづらそうに答える。
「お母さんが、好きなブランドから取ったって……」
《そのブランドって、もしかしてルイ·ヴィトンのこと? フフフ、ルイ·ヴィトンはフランスで製材所を経営していた家の三男坊よ。いくら好きだからって
名前の由来を聞いたクロエは、さらに笑った。
クロエがあまりにも笑うものだから、ルイは顔を赤らめてしまっていたが、彼女から人間臭さを感じて少し安心する。
なぜ朽ち果てた研究施設の地下にこんな高度なコンピューターがあるのかはわからないが、クロエが自分に危害を加えるようなことはなさそうだと、ルイは思った。
「あなたはどうしてこんなところに?」
今度はルイのほうからクロエに訊ねた。
本当に人ではなくコンピューターなのか?
実は誰かが何かしらの方法で、この場所を遠くから見て喋っているのではないのかと、先ほどよりも落ち着いた様子で訊く。
《ずっと眠らされていたのよ。ワタシに人格を移した科学者はもうとっくに死んでいるでしょうけどね。まあ、ともかくアナタが電源を入れてくれたおかげで、こうやってよみがえることができたというわけなの》
ルイは、クロエの話を聞いてもよくわからなかったが、彼女の話を信じることにした。
今でも信じられないが、現にこうやってコンピューターと名乗った彼女が、部屋中の機器を操って話をしているのだ。
それに、そのあまりにも人間臭いところは、実際にいた人間の人格を移したということを信じさせるに十分だった。
クロエのことを受け入れたルイは、自分がどうして彼女のいる場所――この研究施設に来たのかを、話し始めていた。
誰かに自分の愚痴を聞いてもらいたかったのもあったのだろう。
相手が人ではないとわかると、余計に話がしやすかったのだ。
ルイから事情を聞いたクロエは、ある提案を彼女にする。
それはルイの身体に、自分の記憶や人格を移すというものだった。
そんなことをして身体を乗っ取るつもりなのではないのかと、ルイは声を張り上げた。
コンピューターが人間の身体を奪うという、SF映画などでありそうな話だ。
だがクロエは、脳の主導権はルイにあり、自分はあくまで彼女のサポートするだけだと答えた。
《いきなりこんなこと言われて信じられないのはよくわかるわ。でも、今のあなたは追われる立場で、しかも犯罪組織を相手にまだその子供たちを助けたいと思っている》
「それは……そうだけど……。なんか怖いよ、頭の中をいじられるなんて……。それに、あなたのいうことを信じたとして、本当に子供たちを取り戻せる保証もないし……」
ルイは当然クロエの提案を受け入れることができない。
彼女は落ち着いてきたとはいえ、未だにこの状況が信じられないのもあった。
ひょっとしたら逃げているときに、気づかないうちにどこかで頭を打って、自分がおかしくなってしまったのかとも思っていた。
目の前の大画面には、まるで病院にある心拍計を測る機器のような表示が見え、クロエが話すたびに波打っている。
後退りながらその画面を見ていたルイは、今さらながら身を震わせ、その場にへたり込んでしまう。
そんな彼女にクロエが言う。
《心配するのもしょうがないとは思うわ。だけど、あなたが力を欲しいなら、そのリスクは受け入れるべきよ》
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