#4

ルイと灰寺がそんな冗談を交わし合っているうちに、車は本社のビルへと到着した。


地下駐車場へと車を停めてエレベーターへと向かうと、その前でガッチリとしたスーツ姿の男たち整列して立っていた。


スーツがはち切れんばかりの肉体を持った男たちは、灰寺のことを見ると一斉にその頭を下げる。


まるで軍隊のように統制のとれた動きを見せると、再び顔を上げて灰寺へと挨拶をした。


「はい、ご苦労さん」


そんな彼らに手を振り、いつも通り気さくに進んでいく灰寺。


ルイはペコペコと頭を下げ返し、大袈裟な男たちの迎えの挨拶に委縮しながらも、灰寺の後を追ってエレベーターに乗る。


それから最上階へと上がり、貿易会社アンナ·カレーニナの会長である国蝶こくちょう·たまきがいるという部屋へと向かう。


外からも見ても凄かったが、建物の内装も想像していた以上に豪華で、まるで映画に出てくるようなセットようだ。


場違いだとは思いながらも、ルイは恥ずかしい姿は見せられないと、背筋を伸ばして表情を引き締める。


「そんなに緊張しなくていいって。会長は礼儀作法に関しては古風なところがある人だけど、普段通りの君なら問題ないから」


「は、はい!」


灰寺が気を遣って声をかけてくれたものの、やはり緊張してしまう。


これから会う国蝶·環は、都内にこれだけの高層ビルの本社を持ち、さらには世界を相手にビジネスを成功させている人物なのだ。


つい数週間前までフリーターで貧困層だったルイからすれば、まさに生きている世界が違う人間だ。


そんな人に呼び出されたのだ。


妙な挨拶をして機嫌でも損ねたらと思うと、ルイが冷や汗が止まらなくなってしまうのもしょうがない。


エレベーターが止まり、灰寺の後をついて行く。


そして、灰寺は部屋の扉の前で足を止めると、ガチガチに固まったルイに振り返って微笑んだ。


「ここだよ。さあ、もっとリラックスして。君がそんな怖い顔してちゃ、痛くもない腹を会長に探られちゃうだろう」


そういった灰寺は、扉の前で中へと声をかけ、部屋の中へと入る。


ルイはゴクッと唾を飲み込むと、彼の後に続き部屋へと足を踏み入れた。


「会長、お疲れ様です」


先ほどの出迎えてくれた男たちのときとは違って、深々と頭を下げる灰寺。


その姿を見るだけでわかる。


たとえ社歴が長い相手でも気さくな態度で接する灰寺でも、会長である国蝶·環の前では、礼儀正しくしなければいけないということが。


エレベーターで聞いていた通りだと、ルイも彼に続いて九十度に頭を下げる。


「それで、こちら話していた緩爪ゆるづめです」


灰寺が頭を上げて話し始めたと思うと、ルイもその顔を上げる。


彼女が顔を上げると、そこには窓から外を見下ろしているパンツスーツの女性が立っていた。


「その子が緩爪·ルイ……」


窓からルイたちのほうを振り返った上下白のスーツを着た女――国蝶こくちょう·たまきは、そう呟きながら視線を彼女へと合わせた。


ルイは国蝶と目が合うと、挨拶をするもの忘れて固まってしまう。


彼女から見て、国蝶の年齢は四十代後半くらい。


まるで肉食獣を思わせる鋭い目つきと、大人の色気を感じさせる妙齢の女性に映っていた。


そんな国蝶のことを見つめ、固まったままただ立っているだけのルイの肩を灰寺がポンと叩く。


緩爪ゆるづめ·ルイです! 今年で二十一になります!」


どうして年齢を口にしてしまったのか。


ルイは他にもっということがあっただろうと、自分の対応能力アドリブのなさに後悔した。


そんな彼女の挨拶を聞いた国蝶は、再び窓から外を見下ろす。


ルイは焦る。


変なことを言ってしまったのか。


女性である会長に年齢のことを口にしたのが不味かったのかと、冷や汗が止まらなくなっていた。


「若いわね。灰寺から話は聞いてるわ。うちは女性の社員が少ないから、あなたには期待しているわよ」


「ありがとうございます。ほら、緩爪くんも」


「あ、ありがとうございます!」


固まっているルイの代わりに灰寺が国蝶に礼を言い、自分と同じように頭を下げるように彼女にうながした。


慌てて頭を下げたルイ。


それから灰寺は、再び会長に頭を下げてから国蝶に声をかけ、ルイを連れて部屋を出る。


そのままついて来るように言われたルイは、灰寺と共にエレベーターへと乗り込む。


「やったじゃないか、緩爪くん。これで君も正規社員だ。おめでとう」


「へッ? いや……その……ありがとう……ございます……」


普段のヘラヘラした表情に戻った灰寺は、国蝶がルイのことを気に入ったのだと話し始めた。


だが先ほどの会話から、どうしてそんなことがわかるのかが、ルイにはわからない。


期待していると言ってもらえたのはたしかだが、そんなの社交辞令だと彼女は思っていた。


しかし、長年国蝶の部下をやっている灰寺にはわかるらしい。


なぜならば国蝶は今までに、一度も新人に期待していると口にしたことがないからだそうだ。


これはわが社アンナ·カレーニナ始まって以来の快挙だと、灰寺はルイのことを絶賛する。


「これは今のうちに、君にびを売っておいたほうがいいかもねぇ。数年後は僕の上司になっているかもしれないし」


「そ、そんな! わたしが灰寺さんより偉くなるなんて考えられないですよぉ」


「まあまあ、いいからいいから」


いくら褒められてもルイは困惑しっぱなしだ。


いろいろと思い返しても、自分が会長に気に入られる理由がわからない。


ルイは国蝶がいっていた言葉を思い出し、自分が女性だからかとも考えてみるが、いまいち納得ができないままだった。


「それじゃ早速未来の上司に、次の仕事のことを伝えておこうかな」


灰寺は、まだ頭の中がこんがらがっているルイを見て意地悪く笑うと、次の仕事の話を始めた。

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