#47

ルイはクロエという名を叫ぶと、その場で立ち尽くしたまま話を始めた。


自分は国蝶を殺したくない。


たしかに彼女がこれまでしてきたことは悪いことだが、国蝶は自分に優しくしてくれた。


国蝶は根が善人だということが、ここ数日一緒に暮らしてみてわかった。


彼女にも事情があったのだと、会長室にはルイと国蝶しかいないというのに、誰かに泣きながら訴えかけていた。


すると、次の瞬間にルイの表情が変わる。


さっきまで泣き叫んでいたいたのが嘘かのように、無感情な冷たいものへと変わり、同じ顔だというのにまるで別人のようになる。


「カノジョガイルカギリ、コレカラモセカイジュウノコドモタチガバイバイサレルワ」


男なのか女なのかわからないデジタル加工された声が、ルイの口から発せられるとその声にノイズが入り、やがて声の輪郭がはっきりしてくる。


「それはアナタがもっとも阻止したかったことでしょう? ワタシはアナタの望みを叶えるためにやることをやっているだけ」


ルイの表情に再び感情が戻る。


「そうだけど! そうなんだけど! だけど殺す必要はないじゃない!? なんでこんなことを……どうして皆殺しにする必要があるんだよ!?」


怒鳴り上げた後、彼女の顔が冷たいものへと変わる。


「たとえ警察に突き出しても、国蝶こくちょう·たまきは捕まらないわ。彼女には国家権力、国際警察さえ黙らせる力がある。根こそぎ断つにはこれしか方法がないのよ」


「だからって!」


ルイは声を張り上げると、倒れていた国蝶へと近づき、彼女の喉元を両手で絞めつけ始めた。


苦しそうに呻く彼女を見ながら、ルイは必死で泣き叫ぶ。


「やめて! お願いだからやめてよッ!」


ルイの両手の力が緩む、国蝶はなんとか彼女から逃れると、這いつくばりながら距離を取る。


「抵抗しないで。アナタの心はもう限界が来ている」


表情が口を開くたびに変わる。


泣き顔から無表情を行ったり来たりと、ルイの顔は、演技とはとても思えない表情筋の動きを見せていた。


「ワタシに抗えば壊れてしまうわよ」


「もうやめて!」


「お願いしているのはワタシ。ルイ、ワタシはアナタのことが好きなの。これ以上は危険よ。アナタの精神が――」


「うわぁぁぁッ!」


ルイは、自分の口から発せられる言葉を遮って咆哮ほうこうした。


涙を流しながらその場で暴れ始め、ペルシャ絨毯の上に落ちていた拳銃を手に取る。


そして、自分のこめかみに銃口を突き付けると、躊躇ちゅうちょなく引き金を引いた。


響き渡る銃声。


だが、弾丸は彼女の頭を撃ち抜かなかった。


寸前で手が動いて銃口がずれ、ただ額をかすめただけだ。


流れる血が涙と混じった顔で、ルイは再び国蝶のもとへと近寄って来る。


そして、とても女性とは思えないほどの力で彼女の身体を強引に起こし、喉元を右手で掴みながら壁へと叩きつけた。


だが、そこまでの力がありながらも、国蝶の喉を締めるルイの手からはためらいが感じられた。


ただされるがまま国蝶には、それが先ほどから泣いているルイのせめてもの反抗だと理解できた。


しかし、徐々に力は込められていく。


このままでは絞め殺される。


国蝶にはルイが精神病患者にしか見えなかったが、それでも彼女の中で、自分を助けようとしている人格がいることがわかった。


だが、安心している余裕などない。


どうすることもできない。


国蝶にはもう反撃するほどの体力など残っていないのだ。


なんとか握っていた日本刀も、今にも手から落としてしまいそうだった。


そんな国蝶の目の前では、ルイがまだ自分と言い合いを続けている。


「自殺なんて無理よ、無理無理。そんなことはさせないわ。だってワタシはアナタのことが大好きなんだから」


「大好きならやめて! わたしはもう、こんなこと望んでないッ!」


「いえ、やめないわ。絶対にやめない。ワタシはね、ルイ。アナタとの共存生活で、人間がいかに醜いかを知ったの」


もう一人のルイが自分へと語りかける。


貿易会社アンナ·カレーニナの社員として世界中を飛び回り、この世がいかに不条理であるかを知ることができた。


ルイが気に入っていたガウリカとラチャナ子供らを救うために、オークション会場にいた富裕層らを皆殺しにして理解した。


それは、富を持つ者が貧者を甚振いたぶるというものだった。


それがこの世界の摂理。


表面的には誰もが平等だとうたっておきながらも強者が弱者を叩き、虐げられた弱い者はさらに弱い者を叩く。


そんな世界は不条理だと、泣いているもう一人のルイへと言葉を続ける。


「ワタシは確信したわ。こんな世界は正さねばならないってね。その世界の王に相応ふさわしいのはアナタよ、ルイ」


「わたしはそんなこと望んでない! 子供たちを助けられればそれでよかったんだよ!」


「それでは何も変わらないわ。アナタがしようとしていることは、砂漠に咲いた花に水をやっているだけ。それじゃ花はすぐに枯れてしまう……。またどこかで同じことが起きるだけよ」


「でもこんなやり方は間違っているよ!」


「ワタシは間違えないわ。それは、アナタが一番よく知ってるでしょう、ルイ?」


言い合いは平行線のままだったが、国蝶の喉を掴む手の力は、次第に上がっていった。

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