#46
歪む視界を定め、視線を女へと向けた国蝶。
彼女は、両手に日本刀を握ったまま言葉を続ける。
「答えろ! お前はルイなんだろう!? なぜこんな真似を……。なぜ私にこんなことをするんだ!?」
先ほど――女が怯え、デジタル加工されていない声を発したときに気が付いたのか。
国蝶は女の正体が、灰寺と共に連絡が取れなくなった
聞き間違えるはずがない。
まだ日こそ浅いが、これまで自分の娘のように思ってきた人物の声だ。
国蝶とルイは、同じ屋根の下で寝起きし、食事も互いに作ったものを口にする――まるで家族のように暮らしていたのだ。
しかし、だからこそ国蝶は理解できない。
ずっと目をかけてきた人間が、なぜ自分に
だが、国蝶が訊ねても女は答えなかった。
やがて女の身体の震えは止まり、日本刀を構えている国蝶へと向かってくる。
女の何かが切り替わった――そんな雰囲気を感じながらも、国蝶は思う。
不味い、今攻められたら不味い。
国蝶は視界こそしっかりと見えてきていたが、まだ足のほう万全ではなかった。
今の彼女は、先ほど顎に喰らったサマーソルトキックのせいで、まるで生まれたての小鹿のようにプルプルと震わせている状態だ。
とてもじゃないが、女のプログラミングされたような正確な動きにはついていけない。
このままでは確実にやられる。
事情も何もわからぬまま殴り殺される。
国蝶は死ぬことを恐れてはいなかったが、なぜルイと思われる人物が、貿易会社アンナ·カレーニナに――自分に襲いかかって来るのかだけは知りたいと、震える足を強引に抑え込んだ。
すり足で間合いをはかり、剣道の足さばき――歩み足、送り足、開き足、継ぎ足を使って、殴りかかってきた女の拳を避けていく。
けして姿勢は崩さず、ただ相手を見据え、ときには肌に触れる空気の流れを感じて動きを読む。
躱しながら深く呼吸をし、女の猛攻を捌く。
国蝶は経験でわかる。
格闘技をやっていたわけではないが、いくつもの修羅場を潜り抜け、その目で見て、その身体で体感しているので理解している。
人間はいつまで攻撃を続けられない。
それは、たとえコンピューターのように正確に動ける者でもだ。
国蝶は、女の攻撃を避けながら、反撃の機会をうかがっていた。
相手はここまでずっと戦い通しのはずだ。
いずれ体力が尽きて動きが鈍る。
その瞬間に剣を打ち込む。
とはいっても国蝶もギリギリだ。
彼女の身体ももう限界がきている。
後のない、まさに崖っぷちの状態。
自分が倒れるか、女の動きが鈍るか。
国蝶は賭け出る覚悟を決め、ひたすらチャンスを待つ。
結果はすぐに出た。
女の動きが鈍り、被っている目出し帽――バラクラバから荒い呼吸が漏れ始める。
そして、振るっていた腕が止まる。
ここが勝負どころだと、国蝶はこれまで温存してきた体力を振り絞り、握っていた日本刀を前へと突き出した。
「はぁぁぁッ!」
剣の心得がある者ならば、国蝶が打った突きの美しさが理解できただろう。
とても身体に限界が来ている人間の動きはと思えないほどの見事な刺突。
だが、当たらない。
女の身体には届かない。
鈍っていたはずの動きは俊敏さを取り戻し、国蝶の放った刺突を避けられた。
突きを躱した女は距離を詰め、国蝶の眼前へと近づいた。
色のない瞳が彼女を見つめ、次の瞬間に国蝶の脳に衝撃が走る。
そして、その衝撃は身体にも響き渡る。
攻撃を避けて近づいた女が、頭突きから腹部に膝蹴り、さらにそこから肘打ちで国蝶の顔面を打ち抜いた。
握っていた日本刀がペルシャ絨毯の上に転がり、国蝶は吹き飛ばされたが、彼女は手を伸ばしていた女の被っていた目出し帽――バラクラバを掴みながら吹き飛んでいった。
女の素顔が
国蝶は倒れながらも、再び落としてしまった日本刀へと手を伸ばしながら顔を上げると、そこには彼女の予想していた人物――
やはり彼女だったかと、国蝶は顔をしかめて睨みつけたが、ルイの表情を見てそんな怒りも驚愕で吹き飛んでしまっていた。
「泣いている……のか……?」
国蝶を殺そうと襲いかかってきたルイの両目からは、涙がこぼれていた。
色のない瞳は涙で
顔に被っていた布が涙を吸わなくなったのもあって、その
国蝶には何が何だかわからなくなっていた。
ようやく襲撃者の正体――ルイの顔を見ることができたというのに、彼女がこれまでしてきたこととは正反対といっていいほどの悲しみを、その顔をから感じさせている。
散々貿易会社アンナ·カレーニナの社員たちを殺し、今まさに国蝶の息の根を止めようというのに、これはどういうことだと、国蝶は日本刀を握るもただ床に這いつくばって、ただルイのことを見上げることしかできなかった。
ルイはそんな国蝶を見下ろしながら、突然誰かに向かって叫ぶ。
「もう……やめて……。もうやめてよクロエッ!」
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