#45
その言葉の後、国蝶の左手が女の被っていた目出し帽――顔ごと覆うバラクラバへと伸びていった。
彼女の手がバラクラバへと触れる瞬間、女はようやく口を開く。
「ヤトイヌシナド……イナイ……」
女の返事を聞き、国蝶の手が止まった。
男女の区別は難しいほどデジタル加工されたような声。
国蝶は左手を戻し、女の額へと拳銃を突き付ける。
「雇われていないだと? なら今回のことはお前の単独か? なぜうちを狙ってきた? まさか復讐とかいうなよ」
「フクシュウナドデハナイ……」
女は、再びボイスチェンジャーで変えたような声で答えた。
国蝶は、女の一挙一動に警戒しながらも思考を巡らせる。
雇い主はいない。
復讐でもない。
ならば、なぜこんなことをしたのか。
この女は殺し屋ではないのか。
いや、ここまで来るまでにアンナ·カレーニナ社員らを皆殺しにした女の実力は普通ではない。
まるでプログラミングされたコンピューターのように正確無比な女の動きは、とても素人とは思えない。
一体何が目的なのだと、国蝶は考えても答えが出ないことに思考を巡らせながら表情をしかめる。
すると、両手を上げていた女の身体が突然震え始めた。
これまで飾られたオブジェのように制止していたその身体が、まるで何かに怯えるように身震いし始めている。
違和感を覚えた国蝶は、女の額に突きつけていた拳銃の銃口を押し付ける。
「どうした? 今さら怖がっているのか? お前はなんなんだ? 金でもない、恨みでもない。一体お前はなんのために――ッ!」
「やめて……」
銃口を押し付けた国蝶の言葉を遮って、震える女が声を漏らした。
その声はデジタル加工などされておらず、普通の人間の喉から出る音声だった。
状況が飲み込めない国蝶を置いてけぼりにして、女は言葉を続ける。
「もう……やめて……。こんなこともう……したくない……」
国蝶は女の声に聞き覚えがあった。
いや、聞き覚えなんてものではない。
このところずっと傍にいた人間の声だ。
聞き間違えるはずがない。
「ま、まさか……お前は……?」
国蝶が激しく動揺していると、女の身体の震えが止まり、彼女の拳銃へと手が伸びた。
すぐに反応した国蝶は引き金を引いたが、すでに照準をずらされてしまったため、女から狙いがそれる。
しかし、国蝶は再び狙いを定めて拳銃を発砲する。
それでもすでに拳銃と彼女は手を掴まれてしまっているため、女には当たらない。
至近距離で銃を撃ちながらもすべて外れていく。
遠目に見れば、まるで二人の動きは激しいダンスを踊っているようだった。
国蝶が何度も銃口を女に向ければ、女はその銃口をそらすために彼女の手を取って振り回している。
取っ組み合い最中、女は拳銃の弾倉を抜いて反撃に出る。
ゼロ距離からヘッドバットを放ち、怯んだ国蝶の顔面へ左右のジャブ。
さらには腹部へ左の膝蹴りから、まるでバレリーナのように足を高々と上げて右足の回し蹴りを喰らわせた。
その一分の隙もない完璧なコンビネーションを受けた国蝶は、会長室の壁まで吹き飛ばされる。
だが、これでは終わらない。
女は壁に叩きつけられた国蝶を追撃。
右のローキックから入って左右の足を使い、中段、上段と蹴り分けて彼女をさらに追い詰める。
「このぉぉぉッ!」
国蝶もやられっぱなしではない。
彼女は規則的に放たれる蹴りを掻い潜って女の懐へと入り、そのまま身体を掴んで一本背負いを繰り出す。
ペルシャ絨毯が敷き詰められた床に、女の背中から叩きつけられるからと思われたが、彼女は投げられた瞬間にするりと国蝶の手をすり抜けて着地。
崩れた態勢でいた国蝶の胸部付近を蹴り上げ、後方に宙返りしながら彼女の
サマーソルトキック自体は見せ技としての要素が強く、相手にダメージを与える技ではない。
だが、勢いよく顎を蹴り抜かれた国蝶は、その衝撃で血を吐きながら、はるか後方へと吹き飛ばされてしまった。
しかし、それでも国蝶は立ち上がる。
目に入るすべての物が二重に見え始めても怯むことなく、ベルトに刺していた鞘から日本刀を抜く。
いくら刃物を出したとしても、今が国蝶を仕留める絶好の機会だったが、女は動かない。
ファイティングポーズすらも取らずに、その場で身を震わせ始めた。
そんな女の姿をなんとか見据え、国蝶が声をかける。
「お前は……ルイ……ルイなのか?」
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