夕闇色の記憶 第一章 ビルの隙間に…
9月を過ぎて、18歳になっていた僕。
その人のことは……何となく気にはなっていた。
9月初旬から出入りするようになった、言論団体以上政治団体未満な出版機関。
『仙波女史』……彼女、ゆなさんは……事務所の先輩方からは、そう呼ばれていた。
長身のスレンダー美女な、ゆなさん。いつもかけている眼鏡が、気品のある聡明さを醸し出している。
実際、聡明な『女史』……大学院生……25歳。
ゆなさんに『憧れる』気持ちは、その頃既にあったのだとは思う。しかし彼女に……ゆなさんに、届くわけがない……と、思っていた。
頭脳明晰な彼女から醸し出される『厳しい生真面目さ』のようなオーラが、周囲から彼女を隔離しているかのようだった。
そんな中、ハードロックが大好きという一面もあり、僕とはとても気が合った。
事務所のメンバーの中には、他にもハードロック好きの人はいた。当然僕だけではなく彼等とも、ロック話で盛り上がっていた……と考えるのが自然なのだが……その光景は、全然見たことがなかった。
彼等と話しているゆなさんはいつも、真面目な表情を崩さず、内容も堅そうな話題だった。傍らに座らせてもらい、尊敬に近い気持ちで聞く彼女の話はとても勉強になった。
だが僕と二人の時はいつも、やはりハードロック話で盛り上がっていた。
ゆなさんが一番好きなのはディーシー/エーシーだったが……当時、特にお気に入りだったのは……その頃大ブレイク中だったダイヤー・セパレーツの【キャッシュ・フォー・ナッシング】。
ロック話で夢中な、ゆなさんの笑顔は素敵だった。眼鏡の奥の視線も、普段の鋭い厳しさが解除されたかのような……否、解放されて、それが本来の優しい彼女の瞳なのだと……僕にはそう思えて仕方がなかった。
大学院では社会科学専攻の彼女でも、ロックの知識では僕の方が長けており……時々、普段の彼女からは想像もできない天然な受け答えが返ってくる。7つ年上のゆなさんだったが、そんな時は最高に可愛く思えた。
そのうちお互いに、何かと理由をつけては事務所を二人で抜け出すことが増えた。
しかし、始めからそのように仲良しだったわけでは……勿論ない。
最初は……
「れいくん! コーヒー買ってきて! はい、キミの分の百円も」
と、周囲からも『仙波女史の舎弟』と見られているような状態だったのだが……何回目かのご命令の時、僕は遂に……
「たまには、一緒に買いに行きませんか?」
と、自然に言葉が出てしまった。
「ふ~ん……」
と……腕を組み、椅子に腰掛けた足をゆっくりと組みなおして……眼鏡の奥から鋭い視線を投げかけて来たゆなさん。
「一緒に……行きたいの?」
この時の僕は、不思議と素直に……「行きたい」と即答。
その日以来、僕は『パシリ』では無くなり『二人で一緒に』行くようになっていた。即ち……「買って来い」ではなく……「行くわよ!」……「あ、はい!」と。
『パシリ』から『お供』に出世しただけ……とも呼ぶかもしれないが、僕はそれでも構わなかった。
事務所を二人で『抜け出す』時の不思議なときめき。コンビニへ買い物に行くだけだというのに……この頃から、もう心が動いていたのかもしれない。
そんなある日の外出の建前は、事務所で使う事務用品の買出し。目的の品がいつもの文房具屋さんでは揃わず、そのまま何処へともなく足を伸ばして、散歩が始まった。
気が付くと、いつの間にか新宿へ辿り着いてしまい、高層ビル街を歩いていた二人。
見上げたビルの背景……秋の夕空はトワイライト・ゾーン。どちらからともなく微笑みあう二人。
「私達、なぜここにいるの?」
「さぁ? ゆなさんが……来たかったから?」
「キミが……来たかったんじゃないの?」
その……通りです。ゆなさん……僕の気持ちをわかっていて……?
「はい。ゆなさんと一緒なら……どこへでも行きます」
そんな想いを交わし合いながら、ステンレスの柵にもたれかかり……夕焼けが、夕闇に変わるまでの十数分間、二人は空を眺めていた。
そのまま……お互いの肘から肩の辺りが、いつしかぴったりくっついて……離れられなかった。
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