夕闇色の記憶 第二十七章 まだここに記憶の棘

 代々木公園では、普段の冷静さが多少乱れたゆなさんだったが……

 ビルの隙間に移動し、本音をさらけ出した彼女が夕闇に包まれた頃には……

 普段のままの、クールなゆなさんにすっかり戻っていた。

   



「ここの場所、好きよ」

「うん。二人で初めて、事務所から抜け出してきて……辿り着いた場所だもんね」

「今日は……キミが、来たかったから?」

「ゆなさんが……来たかったんじゃないの?」

「うん。キミとなら……どこへでも行くよ」

「アハハ! 似たような会話……前もあったね」

「フフ! あった」

「あの時は僕が……ゆなさんとならどこへでも行くって……」

「うん。言ってたわね」


「でも今回は……僕まだ、ゆなさんをどこへでも連れて行けるだけの……力が無い」

「急に現実的なこと言うのね」

「それができるくらいなら……こんなに……」


 その時はそこで、胸がつまって言葉が続かなかった。

 そんな僕を、優しく叱ってくれるゆなさん。


「もぉ、またぁ。そんなの……キミせいじゃないでしょ?」


 ゆなさんは、僕がすぐに自分自身を責めるくせを直したいらしい。


「高校生じゃ限界があるのが現実だって言ったでしょ?」

「うん……」

「背伸びしないでって言ったのも私なんだし、そのままで……いいからね」

「うん……メソメソしてごめん」

「それも……我慢しなくていい。泣きたければ泣けばいいのよ」

「ありがとう……」

「うん! 今度から私も、クールな女ぶらずにそうするからよろしくね!」


 この時、心底感じた。

 7つ年下の僕でも……ちゃんと『男』として見てくれていることを。




「ここが好きなのは、ここから見える、空が好きだからよ」

「うん。夕暮れの西の空が、夕闇色に変わるあたりが……特に好き」

「私も……同じ。その瞬間の、どこか物悲しい感じが……愛おしい。まるでキミがいつも背負ってる……闇に葬り切れない……その悲しみのように……ね……」

「ゆなさん……」


 ゆなさんのその言葉に……自分がどれだけ愛されているのかのみならず……ゆなさんが僕の心の奥底までを、どれだけ理解してくれているのかを……それまでで最も強く実感した。

 その実感が強ければ強いほど、相対的に……自らの無力さを、またも責めてしまう僕だった。


 心の奥底までをも理解しているゆなさんにとって、表情の動きなど先刻お見通しらしく……


「ほ~ら、またそんな顔して。まぁ……すぐには直らないか。アハハ!」

「ごめん……できるだけ、努めます」


 次の瞬間……二人を切り裂くように突如急降下してくるビルの谷間風が……かえって二人の距離を自然に縮め、より一層密着させて通り過ぎる。


「今夜はあんまり遅くならないうちに、帰った方がいいわよ」

「なんで?」

「せっかく、お母さまには反対されていないんだから。これ以上お預かりを引っ張ったら……『預けたはいいけど、どんだけ頂いてるんだ』なんて思われちゃう」

「あながち、間違いではないような……」

「うるさい! キミが欲しがったんでしょ!」

「ゆなさんが寝ちゃダメだとか、もっと近寄って香りをかげとか言うから……」

「プッ! 言ったわよ! 言いました! もぉ……また今度ね!」

「アハハ!」


 シリアスな空気は、思わず吹き出してしまった二人の笑い声に和んでいった。


 結局この日は……お互いの胸の内を、それまで以上に晒し合い……躰だけではなく、心も一層近づいた午後であり、夜となった。


 翌日は月曜日……ゆなさんは大学院の何かがあるようなことを言っていたし、僕も学校は冬休みだったが、その分バイトが入っている。

 いくらゆなさんが当面は金銭的な心配は無いと言っても、ふた晩続けて泊まるわけにはいかないのが現実だった。




 新宿駅……


「じゃ、また……って、今度逢うのは来年だね」

「あ……うん……」

「もぉ……大丈夫! 妹にはテキトーに言って、戻るって言ったでしょ?」


 それはわかっている。僕が心配しているのが『ソコ』ではないことを……ゆなさんだって知っているはずなのに。


「あの……来年も、逢えるよね?」

「私はそのつもりよ。キミは?」

「僕も……絶対に逢いたい!」

「じゃ……必ず逢えるよ。心配ないから……ね?」


 そう言いながら、ゆなさんからは軽いハグ。

 

 ありがとう、ゆなさん。


 僕も……これ以上ゆなさんを困らせたくはなかった。


「じゃあね!」

「うん、また来年!」


 と……ゆなさんは京王線で代々木上原……僕は山手線で渋谷方面……各々の方向へと別れたのだった。





 こうして、1985年は暮れて行く。


 世間では11月……中核派によるJRへのケーブル切断テロがあった年。

 僕にとっても前年以上に、いろんなことがあった年だった。


 年明け早々……前年末に僕の『初めてのすべて』を捧げた、めぐみさんが消えた。

 そんな悲しみから救い出してくれた、同級生の都子とは恋仲になるも……強すぎたお互いの想いと脇の甘さに拠り、引き裂かれる。

 縁に拠り再会が叶っためぐみさんとは『最後の一夜』を過ごすも、その翌日……彼女は武道館のヴァイオレット・ムーンと共に消えて行き……僕の心は千鳥ヶ淵へと身を投げたんだ。


 そんな絶望の……虚無の時期を経て、秋に出逢ったゆなさん。

 千鳥ヶ淵の底に沈んだ僕を、救い上げてれたゆなさん。

 貴女は決して、消えて行ったりしないで下さい。

 『年末年始』というトラップに……決していなくなったりしないで下さい。




 帰省だの、その当時の二人にとってみれば下らない、お互いの家庭事情で……逢えない期間……年末年始がやって来る。

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