夕闇色の記憶 第二十二章 誓いの湖

 朝……?


 外の空気とはほぼ遮断されたこの部屋で、陽射しから時間を推し量ることはできない。随分と長く、深く眠っていたような目覚めだった。


 そんなに眠ったの? 何時? チェックアウト、間に合うのかな。


 終わってすぐ寝るなと言っても……ブランディティーを飲み終えてからは、シャワールームで……そのあとまたベッドで……。

 交わした約束の、数も覚えていないほど愛し合い……そしてやっと、眠る資格を得たのだろう……。




「おはよ……」


 昨夜からの秘められた残り香にも負けることなく、漂ってくるゆなさんのいい香りと、けだるくも優しい声。

 香水の類はつけていないと言っていたが……いつも、ゆなさんからはこのいい香りがしていた。


「おはよう。先に……起きてたの?」

「うん。キミの寝顔……ずっと見てた。でもね……」

「ん?」

「ドラマや歌詞の中でそんなシーンてよくあるけど……」

「……」

「あんまり面白くなかった。フフッ!」

「悪かったね、イケメンじゃなくて」

「あ、そんな意味じゃなくてね……」

「じゃ、なぁに?」

「ごめんね。起きて、動いているキミの方が……好き」


 そういう……意味だったのか。


「ゆなさんて……いい匂いする……」

「そう? じゃ、もっと近くで確かめて」

「いいの……?」

「また訊くし……フフッ! ほら……おいで」


 先に起きていたのに、眼鏡は外したままなゆなさんの……

 香りに引き寄せられるように、差し延べられた腕の中へ……

 抱き寄せられるままに唇を求め合い……

 くちづけで発行される許可証をもとに、また谷間へと降りて行く……。


「もぉ……だめよ……」


 そんな台詞は建前である証拠に……優しく抱き寄せてくれる、細い腕。


「近くで確かめてって言ったの、ゆなさんだよ」


 谷間から丘を登ったり、降りたり……。

 また丘の頂上にある目印を目指し……冒険は続けられる。

 一旦降りた谷間はそのまましばらく平原へと続き……

 不意に現れた茂みに足をとられているうちに、垣間見えたオアシスは、罠……?

 更に深い谷底への入り口……。

 急な崖へと落ちて行かないように、手を差し伸べてくれるの?


 そんな甘い期待などを遥かに追い越して……

 谷底へ突き落とすように……まるで、二度と登って来れなくさせるかのように……

 細い腕からは想像もできない力強さで……谷底の泉水へと押し付ける。

 暫くは、そこから移動することを許さない……両腕に沈め込まれた冒険者。


 わかりました。一生、この泉水だけを飲んで生きてゆきます。

 その瞬間、まるで心の中での誓いが伝わったかのように、急激に起きる地殻変動。

 と、同時に……溢れ出す泉水からは、更に大量に供給される誓いへの答えが……余震を繰り返す。


 泉水は……湖へと優しく姿を変え……自然な仕草で、顔を浮かび上がらせることを許可し……引き寄せる。

 水面を撫でるオールは、滑らかにボートを移動させているつもりでも……

 湖の圧倒的な『意思』には逆らえず……またも湖底へと沈み行く。


 ロックされ、制御を失うオールは……くちづけよりも甘い、湖の精の統制下。

 湖の精が操る錬金術により……プラチナに変えられ……ダイヤモンドへと変えられ……翡翠へと変えられ、そして……その硬度を無視した優しい妖力で……

 激しく脈打たれ、飛び散り……飲み込まれてゆく定め……。




 朝、目が覚めて最初に……

 聞いた声が……漂う香りが……合わす瞳が……通わす想いが……繋いだ手が……

 触れた唇が……交わる愛が……

 ゆなさん……すべて貴女だなんて……

 こんな……こんな幸せを、僕は貴女から…


 賜ってしまって、本当に良いのでしょうか。


 そして、これが貴女と……

 「おやすみ」と「おはよう」が……『昨日』と『今日』が手を繋いだ……『最初』にして『最後』の朝?


 そうなることをまるで、覚悟したかのように……『昨夜の二人』に負けじとばかりに……

『今』というこの瞬間のお互いを、もっと欲深く占有し……もっときつく抱きしめ……もっと奥深くで昇りつめれば……

 『永遠』という宇宙空間へと辿り着き、二人は……暮らしてゆけると思いたかったんだ。

 繋いだ手を……離さずにいたかったんだ……。



 その湖の水面下で静かに進行していた……『永遠』を断絶させるための動きを……二人は、まだ知らない。

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