夕闇色の記憶 第三十七章 アールグレイで追い詰めて…

 もう、ゆなさんには戻れない。


 その理由をゆなさんは、まだ何も知らない……はずだったのに……。



 まゆなとのことを、ゆなさんに隠すつもりはなかった。ただ、どんなタイミングで、どう話せばいいのか……。


 その機会は、意外にも向こうからやって来る。





 事務所のマンションの玄関から出て来たゆなさんと鉢合わせ。

 周りに人がいないことを確認したゆなさんは、僕の耳元へ口を近付けひとこと……


「アールグレイ……目立たないように、なるべく奥の席」


 それだけつぶやくと、足早に外へ。

 

 喫茶店で待っているから来いと……意味はそれで合っていた。事務所のマンションの一階にもカフェはあったが、少し離れたアールグレイで密会というわけか。

 ゆなさんから預かったままの眼鏡はいつも持ち歩いていたから、返すにはいい機会だ。


 いよいよだな……。

 もう、刺されてもいいや……くらいな気持ちで店へと入った。

 もしも本当に刺されていたら『ゆなさんの将来の為』も何も無くなるが……刃傷沙汰のような空気は無く……僕が席に着くと、どこか嬉しそうなゆなさんだった。


「こうして二人でって、久しぶりね」

「お互い知らないふりしろって……言うから……」

「父のことは……悪かったと思ってるわ」

「ゆなさんの……せいじゃないからさ……」


 またしばらく沈黙。


 ゆなさんの目を、まともに見れない僕。


「何か話すこと……あるんでしょ?」

「うん……たくさんある……」

「そんなにあるの? 耐えられるかしら?」


 そう言いながらも笑顔で促してくれるゆなさんに……申し訳がなくて……自分が許せなくて……また黙り込んでしまった僕へ……ゆなさんは、優しく訊いてくれる。


「まゆなちゃんと……なにかあったのね?」


 やっぱりゆなさんには……わかるのか。




「ゆなさんて何でも……知ってるんだね……」


 まだ、目を合わせられない。


「あっさり……認めるわねぇ」

「隠すようなら……最初からしません」

「ふ~ん……でもキミのことだから、何か理由が……あったんでしょう?」


 ゆなさんどうして……どうしてそんなに……優しいの……?



「理由があれば……許してくれるの?」

「許すと言えば、理由を付けてくれるの?」


 優しい瞳から一転……眼鏡の奥からの鋭い眼差しを投げかけられたその時の僕は……もう、泣きそうだった。


「ごめんなさい……生意気……言いました……」


 向き直って、改まった様子で続けるゆなさん。


「たくさんあるって、言ったよね。あったこと全部……したこと、起きたこと、思ったことと、その理由……言い訳でも何でもいいから、全部! 話しなさい!」

「はい……」


 ありがとう、ゆなさん。申し開きの機会を……与えてくれるんですね。でも……言い訳や正当化なんてする気は……1ミリも無いよ。



「先々週くらいの……帰りがまゆなと一緒になって……エレベーターでいきなり……」


 ひと通り、そのままを話した。




 僕さえ身を引けば、ゆなさんの将来は安泰だと考えたこと。

 それを確実に実行し、完墜する為に、まゆなと関係を持ち、退路を断つ。

 そんな勝手な都合に巻き込んでしまったまゆなに、処女を捧げさせてしまったこと。

 その罪悪感が……愛に変わり始めているかもしれないこと。


 だけど……その「かもしれない」ものは『愛に似た何か』であり……まゆなに対する『恋愛感情』も、あるのか無いのかさえ判らない……だからこそ僕はまだ、本当はゆなさんが好き……ゆなさんだけを、変わらず愛していること……


 その想いだけは……胸に納めておいた。




「それだけ?」

「うん……」

「ホントに? どこか、隠してない?」


 ダメか……ゆなさんには……隠し通せないのか……。

 

 それでも……ここでバカ正直を晒したら、退路を断った意味が無くなるからと……苦しい言い逃れ。


「多分……言い忘れてることが、無ければね」


 ゆなさんはすぐには応えず……お見通しの時の眼差しで、僕を暫く見つめていた。

 そして……そっと口を開くと、小さく溜め息。


「そうね。まぁ……いいわ。だいたい一致してるし」

「?……一致って?」

「聞いたのよ……本人からも」


 なに……? どういうこと? ……あ!


「本人て……まゆなから?」

「あの子、いい度胸してるわ。まぁ、妹分だからね。いずれわかることなら、隠すこともないって……報告してきたわ。キミの話と、一部を除いてほぼ一致」

「一部って……?」

「それまで嬉しそ~に話していたのがね……急にブルーな顔になって……」

「なんて?」

「いいの? 言っちゃっても……」


 ゆなさんの言う、その『一部』とは……僕が今、胸に隠そうをした、ゆなさんへの想いのことなのは、聞かなくてもわかっていた。


 現実に刺された方がマシかと思いたくなるほどの痛みが……胸に何本も突き刺さる。


 それでも、逃げるわけにはいかない。


「聞きます……」


「じゃ、言うけど……キミのね……」


 唇を噛んで、一旦台詞を飲み込んだゆなさん。ゆなさん自身も、どこか躊躇いがち……?


「キミの……私に対する気持ちが、一つも変わっていないんじゃないかって……まゆなはそう言ってたのよ!」

「……!」


 予想された通りの回答とはいえ……刺さった棘は、何度も僕の胸をえぐる。


 まゆな……それに気付いていた上で……。

 それにゆなさん……どんな思いでそれを聞いたことか……。


「だから私もまゆなに話したの。キミとのことを」


 え? それって……。


「キミとあの時点で、どんな状況になっていたか……それはなぜだったのかをね」


 つまりまゆなは……ゆなさんと僕が、まだはっきりと別れたわけではなく……ゆなさんのお父さんの通達に従って、他人のフリをしているという事実を知っているということか。


「で……どうなの? 実際のところは……」


 ゆなさん……わかっている上で、訊いて……どうしようというの?

 返答次第では、僕のバカな行動を赦してくれるの?

 もしも赦されたとして、僕は、何をどう選べばいいの?


 その時の僕はもう……『泣き出しそう』を、既に通り越していた。

 そんな僕の戸惑いは、やはりお見通しだったのか……急に優しい口調に戻り……


「あのね……れいくん……ごめんね、追い詰めるようなこと言って。わざわざ訊くまでも……なかったよね」


 そんな……ゆなさんが謝ることじゃないよ……。


「私も……言葉が足りなさ過ぎたかなぁ。キミにはもう少し……説明しておけばよかった」

「説明……?」

「ありがとう……。キミのその……『ゆなさんの将来の為作戦』で、総崩れになっちゃたけど……」

「……?」

「私の作戦も、あったの……聞いてくれる?」


 そう言って目を伏せながら、話し出したゆなさんの作戦とは……。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る