夕闇色の記憶 第三十八章 赦されたとしても…

「説明したところで、いまさらなんだけどね……」


 溜め息が刹那の念を、心から醸し出すようなゆなさんの……儚げな表情が、何かを諦めているように見えた。


「作戦と言ってもね……そんなに複雑なことじゃないの」

「……?」

「キミが高校生なのを理由に、父が交際に反対してるでしょ?」


 確かに……仙波氏は『反対』を通り越して、二人へは……「最初から何も無く、これからも何も無い」風に振る舞うようにとの『沙汰』を出していた。


「高校生じゃなければ……いいのかなって思ったの。幸いにも、もうすぐ卒業じゃない?」

「うん……」

「就職するにしても、大学進むにしても、もう高校生ではなくなるんだから……父も少しは、見方を変えてくれるかな……ってね。」


 それってまさか……。


「だから、暗黙のメッセージとして……『私に惑わされずにちゃんと卒業しなさい』って……言ったのよ」


 あれが……そうだったのか……。


「春までのことだし……それまで従うフリして待っていればいいだけだったのに……甘かったなぁ……」


 決して僕を責めているわけではないと言いたげに、視線を天井へと逃がすゆなさんの……切なげな表情が、かえって反省の念を掘り起こす。


 あの時の……

「バカな行動、おこさないのよ!」

 というゆなさんの言い付けは、そうした意味だったのか。


 そんなゆなさんの言い付けも守れずに……僕はなんてバカなんだ。

 春まで……卒業までおとなしく待っていれば、また活路が見出だせたかもしれなかったのに……。


 何が「ゆなさんの将来の為」なんだ。誰が「身を引く」だって?

 ゆなさんの『冷たさ』は演技だったとも気付けず……寂しさに耐え切れなくなった……だけじゃないか。

 そんな時に……その時点では、真相を知らずに迫って来たまゆなに……靡いてしまっただけじゃないか……。

 ゆなさんだって同様の、いやそれ以上の……寂しさに耐えていたはずなのに……「退路を断つ」なんて、後からカッコつけた言い訳だったんだ……。




「てっきりキミもそのへん、わかっているんだと思ってたけど……考えてみたら説明も打ち合わせも、何もしてなかったしね」


 それは……そうだけど……。


「ちゃんと説明もしないで、キミもわかっているもんだと思い込んで、勝手にツンツンして、冷たく扱って……私が悪かったわ。ごめんなさい」

「違う……ゆなさんが悪いんじゃない……」


 とっさに答えてしまった……本音ではありながらも、偽善を繕う言葉で……。


「いいよ……私のミス……。もう、戻れないんでしょ?」


 確かに……いまさら誰が悪いか決まったところで、もうゆなさんと、元には戻れないんだ。


「だって……僕にはもう、その資格が……ないよ……」

「そうかな? そんなこと、誰が決めるの?」



 この時のゆなさんが、始めから諦めモードに見えていたのは……僕のその『言い訳』を『決意の強さ』だと受け止めていたから……?

 それとも、去り行く僕を決して追わない……プライド?


 実はそのどちらでもなかったことに気付いておらず……まだ……ゆなさんの本当の大きさがわかっていない僕だった。



「ねぇ……一つだけ恨み言……言ってもいいかしら?」

「はい……」


「退路を断ったって……言ったよね?」

「あ……うん……。でもそれは……今、考えていてその……」


 『それは後から取り繕った言い訳だった』とは、即答できなかった。


 構わずに進めるゆなさん。


「確かに、全部話せって言ったの、私だけどね……」

「うん……」

「もぉ……バカ正直!」

「ごめんなさい……」

「まゆなのことが好きになっちゃったから、とかさ……」

「え?」

「寂しかったから浮気したんだ、とか……言ってくれればさ。嘘でもいいから……」


 ……前者は別として……後者は……その通りです。


「キミが単純に浮気したとか、心変わりしたとかなら……所詮それまでの男って、簡単に嫌いになれたのに……ズルいよキミは」


 ゆなさんごめん……心変わりはしていないけど……確かに僕は、ズルいのだろう。

 しかし、うまく言葉にならず、結局答えられない。


「もう……戻れないのかなぁ……ねぇ……そんなの、誰が決めたの?」


 戸惑いと諦めがくっきりと浮かび上がるゆなさんの表情に……謝罪と反省とが、愛しさへと姿を変えて……今にも言ってしまいそうだった。


 こんなことになっても、本当はゆなさんだけが大好きで……ゆなさんの作戦通り、4月まではおとなしくしているから……大学へ進んだら、改めてお父さんへ許しを請いに伺いたい……。

 まゆなとのことは、彼女は彼女で何とかするから……もう一度やり直して下さい……。


 などと、今にも……話し出しそうだった。


 だが……またも台詞を飲み込んでしまった僕。

 

 ここまでのゆなさんの言葉や態度、即ち……「誰が決めるの?」等々に拠り、ゆなさんは僕のバカな行動のすべてを赦して下さり……『元の鞘』を望んでいるのは明らかだったと言うのに。


 こちらから改めて、赦しを乞う言葉を伝えれば良かったものを……この時の僕は、いったい……いったい何に拘っていたのか? 自分でもわからなかった。


 わからないままに……またも、自分を責める台詞を言い始めた僕。


「ごめんなさい……。ゆなさんの『作戦』を改めて聞いて、わかったよ……。自分の……愚かさが……」

「キミは、愚か者なんかじゃないよ」

「ゆなさん……」

「ただ少し……融通がきかない人……かな?」

「……?」


 何を言われているのか……その時は、わからなかった。


 続いて……


「もぉ……可愛くないなぁ。もっと……少しは自己チューに行動しなよ」


 そんな……そうしたから、こうなったんじゃないか。

 その時、口に出さずともそう思ってしまった僕は、まだ何を言われているのかがわかっていない。


 因みに……ゆなさんからの、この「少しは自己チューに行動しなよ」とのアドバイスが、後に僕を救うことになるが……それは、この数年後の話となる。




「もう一ついい?」

「はい……」

「フラれたのは、私なんだけどね……」

「……?」

「知ってるよ。キミの気持ちの中では、ホントは私の勝ちなんだって」

「はい……僕の負けでも何でも、甘んじて受けます」

「違うわよ。キミに対してじゃなくて、ね……」


 ……?……僕に対してじゃなければ、誰……あ! まゆなに……対して?


「気づかないフリして……このままキミの描いた筋書き通りにしてあげようかとも、思ったんだけど……」


 僕の描いた筋書きなんて……既にぐちゃぐちゃになりました……とは口に出せないまま。


「フラれっ放しじゃ悔しいから……最後に大人げない、見苦しい私も見てもらおうかな……ってね」

「ゆなさん……」


 これでわかってしまった。

 ゆなさんは、大人げなくなんかない。見苦しくなんかない。


 僕からの答えを何ひとつ引き出すまでもなく……僕のゆなさんへの想いはまったく変わっていないことを完全に察知し……僕のこんなにもバカな行動は既に赦しており、これまで通りに続けたいと言う自らの意思を……「ホントは私の勝ち」との言葉に凝縮し、僕へと伝えたゆなさん。


 包み込む大きさ……その寛容さ……何もかもがゆなさんの……圧勝だった。


 なのに……なのに僕は……そんな大きな……本当に大きな存在であるゆなさんを僕は……失う選択をしてしまったんだ……。


 あの時どうして……そんなにまで自分を赦すことが、できなかったのだろう。

 どうして……。


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