夕闇色の記憶 第三十六章 砂のよう形ない愛に

 翌週……学校が終わり夕方、いつも通りに事務所へ行くと……まゆなが来ていた。


 ゆなさんは……来ていない?


 何となく電話もしづらく、あの夜以来の対面だったまゆな。

 お互い、まず何を言ったらよいかわからず、見つめ合ってしまった数秒間。


 そこへちょうど、廊下からゆなさんが……来ていたのか。


 相変わらずいつも通り、クールに知らんぷり?

 いや……まゆなと僕で、なにゆえ見つめ合っていたかには無関心を装っているようでもあったが……一瞬こちらをキッと睨み、椅子の上に鞄を、叩き付けるように置いた。


 いつもはそんなこと、しないのに……。

 そのまま、また廊下へ出て行く。


 もしかしてゆなさん……直感で何となくわかるの?


 この時、睨まれたその一瞬以外、ゆなさんを直視出来なかった僕。

 まゆなはまゆなで、何となくばつが悪そう。


 まゆなは……前提として、ゆなさんと僕が『もう完全に別れた』と思い込んでいるようだったが……『そのように思い込んでいた』のはその実、僕の方だったことも……後に判明する。

 まゆなに対しても、そしてゆなさんに対しても……『そのように思い込んでいた』のは……僕だけだったんだ。





 しかしさすがに『元カノ』の前で、あの夜の話は始められなかったのか、ゆなさんが廊下へ出た隙にまゆなからは……


「外……出れる?」


 その日のエレベーター内では、あの時のような大胆さはなく、どこか緊張気味な様子だったまゆなと……マンションの外へ。

 メンバーには見つからなさそうな場所まで移動し、話が始まる。


「あの時……勝手に帰ったりして、ごめんね」

「いや……そんな、あの……」


 そう答えつつ甦ったのは……あの朝シーツに残っていたまゆなの痕跡……否、傷跡。

 僕に罪悪感を募らせるには、充分な物的証拠だった。


「ホントにごめん。知っての通り、親が結構厳しいから……でもぎりぎりセーフだったの」


 そう……だったね、まゆな。

 16歳……ご両親が厳しいと、何かと事情は聞いていたし、わかる。

 日付が変わらないうちに帰宅して……正解だったよ。



 それでも明るく続ける彼女。


「せっかく願いが叶ったのに、それがきっかけで外出禁止にされたら堪んないからね!」


 願いが……叶ったのか……。まゆな……僕、どうすれば……?



 その時の僕の心情は……それはそれは酷いものだった。


 ご両親……親が厳しい……ゆなさんと同じく。

 改めてそう聞いたのにも拘わらず……「また引き裂かれるのか……反対されたらどうしよう……」などと『危惧する』気持ちが全く湧かなかったのを覚えている。


 そんな僕の心理には、構わずマイペースなまゆな。


「今度こそ、宣言してもいいんでしょう?」

「……?」

「私たちさ、もう……もう、恋人だよね?」


 なんて……可憐なのだろう。

 そして僕は、なんて……なんて最低なんだ……。

 だからといって、こうまでなって「ダメだ」なんて……言えるわけがない。


「うん……いいよ」


 躊躇しつつも、そう答えるしかなかった。


 一層、嬉しそうな笑顔になるまゆな。


「今度私も、れいンち連れてってね!」

「うん……え? 私……も……?」


 一瞬「あ、しまった」のような顔になるも、怯まないまゆな。

 表情を改め……少し、挑むような目つきで……


「私もお母さまに……お願いされたい。れいを……よろしくって」


 それってあの日の……ゆなさんと母の一幕?


「なんで……知ってるの?」

「知ってるってぇ? 何を?」

「あ……いや……」

「さぁ……? 何のことかしら……んふふ~♪」


 表情が猫の目のように変わるところが、誰かに似ている。



 私は何でも知ってるのよ……とでも言いたげな表情で、それ以上は答えない。

 僕も、それ以上追究するのが恐かったのと同時に……自分にはそんな資格が、無いように思えて口をつぐんだ。






 とにかくけじめを……つけなきゃ。


 けじめ……?

 目論み通り、進んではいるはずじゃないか。自分が身を引けば……ゆなさんの将来は、安泰なんだ。

 しかしその目的のために、まゆなを巻き込んでしまった。

 誰かを愛することでしか、ゆなさんから身を引く決意もできなかった自らの弱さ。


 誰かを……? 愛する……?


 勿論……誰でもよかったわけでは決してない。

 しかし……まゆなを『好きになってしまったから』等の理由ではなく……あの時、エレベーターの中で迫って来た彼女を……都合よく利用してしまったのではなかったのか。

 それは確かに、少しでも好きな気持ちが無ければ、当然ホテルまでは行かなかった。

 だがそれは……まゆなの恋心に甘えてしまった……だけではなかったのか。

 その甘えてさせてもらえた気持ちを……『愛』だか何かと、勘違い……しただけだったんだ。


 と……当時は決して、そこまで整理された状態で気付いていたわけではない。

 ただただ、その『責任』のようなことを感じていたんだ。

 そう……この時点ではまだ、まゆなに対して『恋愛感情』が、あったのか、無かったのか……それを圧倒的に上回っていたのは……『罪悪感』……。


 『罪悪』なのであれば、当然償わなければならない。

 本来なら、ゆなさんに会わせる顔など無かったが……やはり先ずは、ゆなさんへのけじめをつけなければ。

 しかし、ゆなさんは……僕とまゆなとのことを、まだ知らない。


 知らない……はずだった。


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