夕闇色の記憶 第三十四章 未完成なパズル

 ゆなさんと僕の間には、始めからなにも無かった……そんな仙波氏(ゆなさんのお父さん)の『筋書き』が建前上は通ったこととなり……機関を出禁になるでもなく、会えるには会えたゆなさん。


 しかし……合った瞳は哀しく逸らされ……微笑み合うことも言葉を交わすことも、叶わなくなってしまった二人。

 それがいつまで続くのかも判らない……。








 そんな……哀しい関係のまま、1ヶ月以上が過ぎ去ったある日のこと。


 その日訪れた事務所にゆなさんの姿はなく、たまたま一緒に帰ることになったのは……


 まゆなちゃん。


 “ゆな”さんに『ま』が付いて“まゆな”だが……勿論何の関係も無い、偶然そんな名前。文字も全然違う。

 2つ年下の16歳……高校1年生だった。


 以前から事務所ではそれなりに仲も良く、2つ下のまゆなから僕は……「れい~」と、呼び捨てにされていた。

 僕がゆなさんと恋仲……『だった』ことと、そして……樋口さんから周知された、二人の『建前上』の残念な展開……即ち『別れた(ことになっている)』ことも、聞かされていたはずだった。






「ねぇねぇ……れいってさ……」


 下りのエレベーターを待つホールで、まゆなが尋ねてくる。


「ゆなさんと……別れたんだよね?」


 まゆなが事務所に出入りしており、尚且つ……真相を知る一部のメンバー『以外』である以上は……『建前』を貫くしかない。

 だが、溜め息は隠し切れても……ゆなさんへの断ち切れない想いは、隠し切れないものなのか……。


「ああ、まぁ……そうだけど……」


 返答が『とりあえず』のつもりなのは、すぐに伝わってしまった。


「何よその『まぁ』って。別れたんでしょ⁉」


 その時のまゆなの……まるで『回答ありき』のような強引さには……答えるしかなかった。


「うん。別れたことに……なってる」


 どこかまだ疑問譜を残すような僕の回答の曖昧さを、あえて打ち消すような……怪しげな笑顔を浮かべながら……


「ふ~ん……じゃあもう、何をしても……いいんだよね?」


「……⁉」





 その台詞の意味が理解できた時には既に……エレベーターの扉は閉まっていた。





 降下を始めたエレベーターの中で……


 獅子座の彼女の……狩りが始まる。




 一歩……また一歩……後ずさるほどに近付く吐息が……『獲物ぼく』を静かに追い詰めてゆく。


 強引さによる脅迫感と同様……否、それを更に上回っていのは……元々ハスキーボイスな故の艶めかしさが醸し出す、選択の余地を与えない……16歳とは思えない誘惑感だった。


「別れたんならねぇ……れい? ……奪ったことには……ならないわよねぇ?」


 あ……この目ヂカラ……『本気』な時の……?

 女の人の『本気』は……大人の女性でも、たとえ16歳でも……変わらないものなのか?


 『本気』を見極める『経験』はあっても……一旦、その目ヂカラに捕捉されると抵抗するだけの余裕が身についてはいなかったのは……ゆなさんへ甘えてばかりの関係に、そんなスキルが不必要だったからなのだろうか。




 『本気』の獅子座まゆなが、それ以上は下がれない位置まで『獲物ぼく』を追い詰めた時点で、既に唇は……返答を発する為の器官としての、選択肢を奪うが如く……


 隙間も無く……


 重ねられていた。


 そのまま……降りてゆくエレベーターと共に……


 唇で繋がったまま……堕ちてゆく二人。




 そんな経緯の中……


 確かにまゆなは強引だった。しかし、結果的にこの先の展開までをも受け入れたのは……それだけが……『強引』だけが理由ではなかった。


 一つは……触れ合った唇から伝わる“彼女自身”とでも言おうか……嫌じゃなかった。

 脳も心も躰も、自分自身が……受け入れてしまっている感覚が……もう最初から『拒絶』という選択肢を排除していた。

 その一つ目だけだったのであれば……ゆなさんへ対する貞操という意味では、この一回だけなら『事故』と申し開きができたのかもしれない。


 ところが……


 問題は……二つ目だった。


 いきなり迫られたこんな展開に、圧倒される鼓動は当然な反面……


 冷静にこの事態を見つめ、解析し始めている自分がいた。




 唇は、まゆなと重ね合ったまま……同時に心に響き渡ったのは、ゆなさんの言葉。


「私なんかに惑わされてないで、ちゃんと卒業しなさいよ!」


 降り行くエレベーターの中で……その解析結果が一つ、また一つと弾き出されて行く。


 ゆなさんに……惑わされずに?

 ゆなさんが、高校生としての自分の障げになったことなど、一度だってなかったじゃないか。

 ウチに初めて来たあの日だってそう……あの厳しい中学校教諭の母に、最終的に「この子をよろしく」的なことまで言われて……交際自体には、何も反対されなかった。

 僕の方が寧ろ、ゆなさんの障げになっているのではないのか? 僕との関係を貫くなら、大学院生ではいられなくなるんでしょ?


 ならもう……いいよ……。僕さえ身を引けば、ゆなさんの将来は安泰なんだ。

 これ以上、こんな哀しい関係を続けるより……ゆなさんの将来の為にも……『別れ』を確実なものにしようか……。


 ね……ゆなさん……。


 そして、目の前の……まゆなちゃん……。

 そんなに僕を好きなら……協力……してもらうよ。



 エレベーターは一階へ……扉が開く直前のタイミングで、パッと離れて先にホールへと出て行く彼女。

 そしてクルっとこちらへ向き直ると、それまでの艶めかしさはどこへやら……あっけらかんとした笑顔で、急に少女らしい台詞。


「私、恋人宣言しちゃおうかな!」


 それに対してすかさず僕は……


「宣言すれば、恋人なの?」


 僕にしては、駆け引きじみた台詞。

 それに対し、まだ余裕な様子の彼女。


「宣言の方が……後になっちゃったかな?」


「だから!」

「え……? あ……」

「だから……キスを迫って、宣言すれば……恋人なのかって訊いているんだ!」

「あ……やだ、怒った?」


 まゆなが一瞬、怯んだのはわかった。


 僕にしてみれば初めての……何もかもをぶっ壊すかのような言動。


 だが、その実……自分がその時点でしている言動に対し、気持ちの悪い違和感を感じ……彼女には謝る。


「あ、その……ごめんね。怒ってなんか……いないよ……」


 これが……『駆け引き』とか呼ばれる行為なのか?

 そんなことが、既にして出来てしまっている自分自身に嫌気がさした。


 しかし……それでもやっぱり……今、決めないとダメだ!



 この時の判断が、僕の……その後の人生の方向性を……ある程度、決めてしまったのだろう。

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