夕闇色の記憶 第三十三章 私を知らないと云って

 ゆなさんから預かった眼鏡に本当はどんな意味があるのか?

 わからないまま翌日、事務所へ行くと……ゆなさん、樋口さんと一緒に、松澤さんが待ち構えていた。


 初めて会う、仙波氏(ゆなさんのお父さん)の秘書の松澤さん。この日来ることは樋口さんからも散々聞いていたので、話は直ぐに始まった。


 松澤さんからの質問も、極めて単刀直入であり、僕も簡潔に答えて済ました。


 ・ゆなさんとはどんな関係なのか? →「舎弟です」

 ・今後も、男女としての感情を持つことはないのか? →「ないです」


 『最初から、男女の関係は持っていない』という、仙波氏が用意した筋書き通りの受け答え。

 受け答えは簡潔ではあったが、その間ゆなさんとは何度も目が合い、アイコンタクトで確認し合っていることに、恐らく気付いていたであろう松澤さんも……特に何も言わなかった。


 もっと……何かとあるのかと恐れていたが、面談自体は結局それで終わりだった。


 その時のゆなさんは当然、前日とは違う眼鏡。眼鏡を複数持っていること自体は特別ではないものの、いつも眼鏡なので、まったく違和感を感じず……すっかり忘れていた。

 面談が終わり、少しホッとした僕は、ゆなさんから眼鏡を預かっていたことを思い出し、ゆなさんへ……


「あとこれ……お返しします」


 と、鞄から取出したその時……


「なにそれ? そんなの知らないわ。別の人の眼鏡じゃないの?」

「えっ⁉」


 恋仲になってから、僕にはすっかり優しくなったゆなさんだったが……そこに居たのは……以前の、周囲から自身を隔離するかのようなオーラと……そして、鋭い視線のゆなさん。


 つまり……そんな一幕を演じて見せ……それがそのまま、松澤さんから仙波氏へと報告されるのを狙って……前日、僕に眼鏡を預けたというわけか。


 松澤さんも、それがゆなさんの眼鏡であるということにはとっくに気付いている様子だったが……『筋書き』に違うような、余計なことは言わなかった。


「それでは私はこれで……また今度、お伺いします」


 と、席を立ち……『これで終わりではない』点を、匂わせておくのを忘れなかった。

 そして、立ち去り際……


「あ、それからお嬢様……ちょっと……」


 と、ゆなさんを呼んだ。


 それに応えて廊下へ向かうゆなさんは、先に松澤さんが玄関を出て、扉が閉まるのを確認すると……一旦立ち止まり、そのまま振り向かずに大きく深呼吸をした様子で……


「いい? 私は……キミのことを、知らない。キミも……私を知らないのよ!」

「それって……いつまで……?」

「わからない……とにかく……バカな行動、起こさないのよ!」

「眼鏡は……?」

「それは……キミが、持ってなさい」


 と、半分だけ振り向き……かすかな笑みだけを、見せてくれて……立ち去ってしまったゆなさん。




 その後……その『筋書き』通り、会えなくなることは……確かになかった。

 事務所へ行けば、いつもと変わらず顔を合わせる。

 しかし……目が合っても、直ぐに視線は哀しく逸らされ……微笑み合うことも、言葉を交わすことも……もう、叶わない二人だった。


 二人を引き寄せた、あの夕闇が……今度は哀しく……二人を引き裂いてゆく。


 こんなにも哀しい関係が、いったいいつまで続くのか……まったく見えないままの日々を、繰り返して行った二人だった。


 そんな、辛すぎる日々の繰り返しが僕を……大きな……大きな過ちへと導いてゆく。

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