夕闇色の記憶 第六章 疑惑の二人

 事務所を抜け出し、新宿方向へと向かうも……開かずの踏切に足止めされた、ゆなさんと僕。

 『あの夜』の出来事についての、会話が始まっていた。


「私は……遠慮なんかしないわ」

「……?」

「キミが……高校生でもね」


 いまひとつ、何の話かわからなかった。


「でも、キミを含めて、組織に高校生を出入りさせている以上、責任もあるのよ」


 あ……それは確かに……『大人の事情』ですか。


「だからこそ私は、遠慮しない。キミの、ご両親にも……組織のみんなにもね」


 機関を「組織」と呼ぶゆなさん……何となくカッコイイな。


「だって元々、真面目に付き合うつもりだもん。誰にも恥じる要素はないわ。私はね……」


 それは僕も……いつだって本気です……と、すぐに言葉にならない。


「キミは……どうなの?」


 高校生が大人の女性と付き合う大変さは……経験上、自分なりにわかってきたつもりだったが、大人の側はもっと大変なんだな。そう思うと……


「僕も、真面目にが……いいです」


 と、答えるだけで精一杯だった。

 それでも、わかってくれたのか……嬉しそうなゆなさん。クールな眼鏡の奥の、僕だけが知っている優しい瞳。


「良かった。キミのことは信じてたけど、はっきりさせたかったんだ。だからまだみんなには……勘繰られても否定してあるの」


 え??? 否定も何も、まだ誰も知らないはずじゃなかったの?


「ヘンでしょ? 恥じることないとか言っといて……」

「いや……ヘンってことないけど……でも僕もあの翌朝、甲斐さんに訊かれて、何でも無いって答えといたよ」

「知ってる。甲斐さんから聞いたわ。寒かったからって……一応、ただの優しいおねえさんってことになってるらしいわね!」

「甲斐さん以外、誰か気付いてるの?」

「さあ……? でも結構みんな、疑惑の眼よ。高等部はどう?」

「ううん……誰にも言われない」

「確かにあの夜、高校生組はキミ以外全員帰ったしね。でも、青年団はみんなよく観察してるわ。そんな大人を、私が代表して間違いを犯しちゃうなんてね……アハ!」

「間違い……?」


 そう聞いて、突然湧き上がる不安感……。

 間違い……だったの? じゃあ、またいずれ、いなくなっちゃうの?


「あ……ごめん! ごめんなさい……言葉の綾と言うか……どうしよう、私……」


 よっぽど不安な顔をしたのか……かえって彼女に余計な心配をさせてしまったようだった。


「ホントにごめんね……間違いのわけ、ないじゃない。ね?」


 そう言って笑顔を作りながら……またそっと、右手の指を握ってくれる。あの夜握り締めてくれたのと、同じ指を選んで。

 同時に、あの夜の柔らかい唇を僕の耳元まで近づけ……指を更に強く握り締め、囁く。


「倍にして返してあげるって……言ったでしょ?」


 そのまま同じ距離で僕を見つめるゆなさん。眼鏡の奥から罠を張るようなその視線に……簡単に捕らえられてしまう僕だった。


 と、その時……僕の背景で開く踏み切り……ゆなさんは僕の肩越しに何かを発見?

 突然警戒するような表情になると同時に、パッと手を離し距離を置くゆなさん。

 何となく事態が判り、僕も振り返り……二人で見据えた同じ視線の先……踏み切りの向こうから渡って来るのは、紛れも無く……甲斐さんだった。


 しまった……この道、新宿側から来るメンバーの、当然通り道。

 甲斐さん、どの辺りから見ていたんだろう?


 挨拶だけで、甲斐さんはニコニコしながら事務所の方へ去って行く。

 踏み切りで見た光景を、みんなにどう報告されることやら?


 しかし、考えてみれば……僕はゆなさんの希望通りに真面目に答えたし……彼女は彼女で、遠慮もしないし、恥じることもないと言う。

 ならば……


「僕、ゆなさんさえ構わないなら……みんなに知られてもいいと思う」


 そういう僕に、静かに微笑みながら、しかも厳しく諭すように……


「さっきも言ったでしょ。キミのことは、信じてるって。あとは私の……ちょっとした問題なの」

「ちょっとした……問題……?」


 ゆなさんは視線を遠くへ……独り言のように、ため息まじりで……


「あーあ……もっと……はっきりしたいな……」


 この『ちょっとした問題』と『はっきりしたい』の具体的な意味はこの時点ではわからなかったが……その謎をちらつかせながらもゆなさんは、僕を次の段階へといざなうのだった。


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