夕闇色の記憶 第四十六章 すべてはただ 心に描いて…
空き部屋での物音に気付いた隣の住民のおじさん。
それまでの二人の行為も、全部丸聞こえだったのだろう。
正確には、隣には障害のあるおばさんが住んでいて、そのおばさんのお父さんの依頼で、面倒をみに来ているのがそのおじさん。真偽の程は判らないが、大家さんからは、そう聞いた。
その時点ではそんな事情は当然知らず、普通に隣の住民だと思い、挨拶。
「4月から引っ越して来ますのでよろしくお願いします」
と、きちんと挨拶はしたものの……さっきまで二人が何をしていたかは明白だったからか、方言ではっきりとはわからなかったが……「昼間っからいちゃついてんじゃねぇ!」みたいなことを吐き捨てて去って行った。
「びっくりしたぁ……なんかやな感じね」
「周りの住民のことまでは、調べずに借りちゃったからなぁ……」
「じゃ、近所のお店とか、これから調べに行こうよ!」
常に前向きなまゆなに促されるまま……階段を下り、来た時と反対の方向へと探索を始めた。
角を曲がってすぐに、銭湯を発見。
「お風呂屋さんがすぐ近くにあって、よかったぁ!」
「うん」
「お金が無くて、ごはんを食べられなくても、お風呂はきちんと入って、綺麗にしていようね」
「そうだね」
もう既に、困窮した生活感の絵が浮かび、具体的な提案にまで至る、現実的なまゆなに……済まない気持ちと……『ごはんより清潔』という同じ価値観を共有している喜びを感じていた。
いや……しかしこのまま、まゆなのペースで進んではいけないんだ。
「コインランドリーもお風呂屋さんの隣~。便利~!」
あの部屋はあくまでも、まゆなが家を追い出されるという、最悪のケースに備えて……だったはず。
「お風呂屋さんの次は、八百屋さん、探そ! さっきも言ったけど、スーパーの野菜は高いからね」
それともこのまま彼女のペースで……いいのだろうか。
それにしても、まゆな……なぜこんなにしっかりしているんだろう?
明治通りへ出て、駅と反対方向へ。するとすぐに……
「あった~八百屋さん! もう最高~!」
何がどう最高なんだか……僕の方がまだ、実感がわかなかった。
確かにこの後の実際の生活は、まゆなの言った通り……野菜はその八百屋さんで買っていた。
パスタもスーパーより安かったから、そこで買っていた。
正確には、パスタとは呼ばない、デュラムセモリナ100%ではない粗悪品……だから安かったのだろう。
ボカルノ……違和感を感じながらもその後数年間、その粗悪品を食べ続けた記憶。
「池袋って、渋谷のハンズあったよね?」
池袋に『渋谷の』ハンズは無いだろ。
その辺はいちいち突っ込まずに答える。
「ハンズ行きたいの?」
「うん! これからの生活に必要な物とか、見ておこうよ!」
「買えないけど、見るだけでもいい?」
「わかってるってぇ……これからの参考よ、あくまで」
どうしたものか……もう同棲するのが前提のような、まゆなのこの温度。
『これからの生活』が、決して裕福では有り得ないことを、既に覚悟している現実的なまゆな……。
それでもこんなに嬉しそうに、そんな現実をも楽しみに期待しているかのようなまゆなに……言えなかった。
「残念ながら、一緒に暮らすのは、親御さんとの関係が最悪になった場合の滑り止めだ。学校は辞めずに、ちゃんと行くんだ」
なんて……言えなかったんだ。
しかしそんな心配も……その後、予期せぬ理由で回避される。
それは、その時点に於いて……『三人』の中では、未だ僕だけが気付いていなかった、自らの深層心理。
その日生まれて初めて、自分の血液型がA型だと知る。
ハンズの前に、献血の車が停まっていて……まゆなも生まれて初めての献血で、B型と判明。
「てっきりれいもB型かと思ってたら、Aだったのね!」
そう言われた記憶。
但し……『池袋にて』の二人の記憶は……この日が最後だった。
それは……自分では終わらせたと思い込んでいたはずの、ゆなさんへの捨てきれない想いが……
まゆなには、常に……見えていたらしい。
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