夕闇色の記憶 第四十章 そして 二度目の風が…

 罪悪感……自分自身が背負ってしまった罪。

 それは……否、それらは……ゆなさんへの裏切りと、まゆなへの過ち……。


 「自分を赦せなかった」……そんな理由で、ゆなさんを強引に立ち去らせてしまったあの日。

 少しは筋を通せたと……そう思い込んでいた僕だった。

 その当時の僕には、それがそんなにまでも卑怯な言い訳だったとの自覚は無かったんだ。



 それから暫くは、事務所へは行かないようにしていた。

 ゆなさんと……顔を合わせるのが、怖かったから。


 だからと言って、このままにはしておけない。


 『もう一人』とも……ケジメをつけなければ。




 数日後、まゆなとの連絡が取れて、会うこととなった。

 ゆなさんと別れたあの日と同じ、アールグレイにて。




 僕よりも少し遅れて到着したまゆなからは、開口一番……


「久しぶりに逢えたのにぃ……そんなに塞ぎ込んだ顔、しなくてもいいんじゃない?」

「え……? そんなに………ヘンな顔してた? ごめん……」

 

 その時の僕は、相当にムスッとして座っていたのだろう。


「ヘンな顔は元々だけど……すっごい暗い顔、してたよ!」

「……」


 席に着いたまゆなへ先ずは……


「久しぶりだね。いきなり呼び出して、すまない」

「ううん。久しぶりに逢えて、嬉しい!」


 そう言って喜んでいるまゆなへ……どう話し出したらよいかもわからず、また黙り込んでしまった。


 僕から呼び出しておいて……無言なまま話を始めようとしない僕の表情を、暫く見つめていたまゆなだったが……







「ゆなさんと……なにかあったのね?」

「!!」


 な……なんで……?

 あの日の……ここ、アールグレイでのゆなさんと、名前以外はまったく同じ台詞って……。


 この時点で僕は……まゆなに対しても、隠し事をするのをほぼ諦めたのだった。



「ゆなさんから……なにか聞いたの?」

「ううん。なんにも……」


 そうか。

 僕と『本当に』別れた件を……ゆなさんからまゆなには、まだ伝えていないんだな。

 


「まゆな……」

「ん……?」

「ごめんな……」

「またそうやって謝るし……今度は何ですか?」


 確かに……今のは唐突だった。

 落ち着いて……改めて伝えるんだ。


「先々週ね……ゆなさんとは完全に……別れたんだ」


 その告白に対しては、何も答えずに……静かな表情で僕を見つめるまゆな。


 しかし……どうしてそんなに落ち着いていられるんだ?


 確かに、あのエレベーターの夜の時点では……『ゆなさんと僕は既に別れている』との周知は偽装だった件を、まゆなはゆなさんから聞かされていたのはわかっていたが……その件を僕本人から告白されても、ひとつも動じなかったまゆな。



 だが、この時の僕にとってそれは……もう、どうでもいいことだった。


 そのまま……まゆなを傷付ける覚悟で続けた。


「ゆなさんはその日……僕の犯した過ちを、ほぼすべて赦してくれていたんだ。それでも……それでも僕は、自分自身がどうしても赦せなくて……だからもう、元には戻せなかった」

「過ちって……私とのことね?」


 その通りだったが、即答はできず……。


 まゆなは、そんな僕の返事を待っている様子だった。




 暫くの沈黙の後……再度、覚悟を決めて……


「ごめんな。だからまゆな……君とも残念ながら……」


 そんな僕の返答を遮るように……


「ゆなさんのこと……ホントはまだ好きなんでしょ?」

「え⁉」




「だってそうでしょ。ゆなさんとはキッパリ別れました……だから今後は私と心置きなく付き合えます……じゃなくて……ゆなさんとは別れた、でも私とも別れ話って……自分を赦せないとか言ってる人が、もう、それしかないじゃない!」


 答えられないでいる僕に……まゆなは呆れた顔で、ため息交じりに……


「もぉ……。いいよ、それでも。れいが自分を赦せない理由、私が作っちゃったんだから。アハハ!」

「そんな……まゆなのせいじゃなくて、あの時はその……まゆなの気持ちに僕が甘えてしまっただけで……」

「恋愛なんてそんなもんでしょ! あのあと……私たちもう、恋人同士でいいって言ったじゃない!」


 そ……それはそうかもしれないけど……。


「うまく言えないけどさ……私のせいで、れいがそんなに塞ぎ込んだ顔になるのって……私は嫌だな」

「いや、だから……まゆなのせいではなくて、その……」


 僕の言葉はスルーで続ける彼女。


「じゃあ、私も!」

「え?」

「私も……れいのこれまでの色々、全部赦してあげるから……」

「まゆな……」

「れいは勝手に自分を赦さないとか言ってるし。だったら、れいがいつか自分を赦せるようになるまで……私が責任取って、その……隣に居てあげるからさ。ね?」


 まゆな……頼む……頼むからもう、やめてくれ。

 今の僕はあの時より……あのエレベーターの夜よりも遥かに……遥かに心が弱っているのだから。


 しかしそれも……口に出せず仕舞いでいると……


「あの夜の、エレベーターの時点でとは言わないよ。でも……今日は全部話してくれたし……だったら今の私たちはもう、共犯者でしょ?」

「……」

「ゆなさんがれいを赦したから、どうだって言うの? それでも別れちゃったんでしょ? 私のせいで……れいが自分を赦せない、その同じ罪を……私たちはもう、二人で抱えてしまっているのよ!」

「!!」


 そうだ……まゆなの言う通りだった。

 その部分にはまったくの無頓着……否、無責任にも……まゆなから逃げようとしていたなんて……。


 何が筋を通すだ……何がケジメだ……。

 でも……だからと言って、僕はどうすれば……?




「もう一度言うね。私が隣に居てあげるから……同じ共犯者どうし……一緒に居てあげるから……だから……れいはそんなに自分を責めないで……ね?」


 その時の僕の心に空いていた……隙間と呼ぶには、あまりにも広がり過ぎた空洞へ……滔々と流れ込んで来たのは、まゆなの……言葉と、そして心。


 ここで僕は……再度、落ちたのだろう。




 あとから考えてみれば、エレベーターの夜と変わらない……否、明らかにそれ以上に上達したとしか思えない、まゆなの……『術中』だった。

 言い方は悪いかもしれないが……『アメ』と『ムチ』をも巧みに使いこなしたまゆな。

 しかも僕の心は……あの夜よりも遥かに衰弱しており、どこか救いを求めている状態で……相対的にも、まゆなの圧勝で終わるに決まっていたんだ。

 

 いずれにせよ、こんなシーンでまゆなが二つ年下とか……もう、何の関係も無かったのだろう。

 

 ゆなさんとは既に別れ……そしてまゆなとも別れるつもりだった僕は、その決意を翻し……まゆなとの関係を続けることとなったのだった。






 それでも……



 それでも心に常に揺蕩い続ける想いは……


 ゆなさん……僕はこれから……いったいどうなってしまうの?


 ねぇ……ゆなさん……


 教えてよ……ゆなさん……。

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