夕闇色の記憶 第四十一章 尋問の枕詞

「あのね……」

「ん?」

「いまさら白状するんだけどね……」


 まゆなのこのフレーズは、これが初めてではなかった。

 自分自身が何かを一つ白状することで、僕の本心を探る時の枕……いわゆる、軽い尋問開始。

 彼女がそんな枕詞から始める尋問は、文字通り……枕の上での時間が常だった。




「あの時さぁ……」

「どの時?」

「エレベーター……」

「ああ……」


 また……あの時の話か……。


「知ってたよ。ゆなさんと、まだちゃんと別れていなかったって……」


 今更……「なぜ知っていたんだ、誰に聞いたんだ」なんて……尋ねるつもりも無かった。


 構わず続ける彼女。


「でも、れいってさ……いっつも辛そうな顔してたから……見てらんなかった」


 二つ年下だが、まゆなはいつからか僕を呼び捨てに……それは、エレベーターでの出来事の、少し前からだったような記憶。




 「見ていられなかった」


 それは……『同情心』と呼ぶのか『哀れみ』と呼ぶのか、それとも……年下でも関係なく涌現した『母性』なのか……?





 ゆなさんとは既に別れ、そしてまゆなともケジメをつけようとしたあの日……。

 あの日のまゆなは、それ以前……具体的にはエレベーターのあの時よりも、内面が一回りオトナになっていたのだろう。


 ゆなさんと僕が、今度こそ『本当に』別れたことを察知し……

 まゆなとも別れを告げようとする僕の言葉を遮るように……


「ゆなさんのこと……まだ好きなんでしょ?」


 それをわかっていた上で、アメとムチを使いこなし……


「ゆなさんがれいを赦したから、どうだって言うの? それでも別れちゃったんでしょ? 私のせいで……」

「れいがいつか自分を赦せるようになるまで……私が責任取って、隣に居てあげるから……れいはそんなに自分を責めないで……ね?」


 そんな『二度目の風』は……『一度目』よりも、強烈に僕を……まゆなの中へと、吹き飛ばしたのだった。

 但し、ここで言う『僕』とは……ゆなさんへの捨てきれない強烈な想いを内在させた……矛盾に満ちた『僕』ではあったが……。






「まゆな……ごめんな……」

「なんでれいが謝るの? 全部……赦してあげるって、言ったでしょ?」

「だって……」


 そこまでで、答えを続けられずに詰まってしまった僕。


 するとまゆなは……どこか不満そうな、そして「わかっているんだからね」とでも言いたげな視線を投げかけ……


「れい、今謝ったのってさ……あの時のことをじゃないんじゃない?」


 そこまで言うと、何も答えない僕に……


「もういい……」


 と、尋問は中断……白く美しい背中を向けてしまった。




 まゆな……君との関係も終わらせようとしたあの日……僕のゆなさんへの想いはまったく変わっていない前提で君は……「いいよ、それでも」と……。

 だが、やはりそれは……過ちだったのではなかったのか?


 あの日は……君の意外な余裕で再スタートした二人だったけれど、最近は……『不満』とそして……『不安』を隠せなくなっているのが、僕には垣間見えるんだ。


 だからと言って、再度僕の方から別れを告げるには、あまりにも……僕はあまりにも、君に対して……いわゆる『深入り』をし過ぎていたのであろう。



 そんな気持ちで見つめていたまゆなは……背中がとても綺麗な女性だった。

 それまでの、スレンダー系な彼女達とはタイプ・ルックス的には異なり、僕が付き合うにしては珍しく……否、初めての……いわゆるグラマラス系。

 もちろん『そうした意味』でスタイルも良く、美人で可愛いが……特に背中が美しい。


 当時の実家の、自分の部屋のベッドの上。そこで愛し合った女性は……生涯、まゆなだけだった。

 なぜならこのしばらく後の4月1日、僕はアパートを借り実家を出た。それ以来、何かで立ち寄る以外、戻り住むことは無かった。

 そしてその後、実家は建て直され……実家に於ける僕の痕跡は、120%消滅した。

 それ故……今はもう無くなってしまったあの部屋の、あのベッドで……愛し合った女性は、永遠にまゆなだけ……。


 愛し……合った……?


 その時点で、僕はまゆなを愛していたのか……どうなのか……?

 そこまで『深入り』してしまったのは……少なくとも『好き』だったから。 

 ゆなさんとはハッキリ別れた……にも拘わらず、いつまでも引きずる……のは仕方ないとしても……まゆなを、空回りする責任感とは関係なくきちんと『好き』にはなっていたのだろう。


 改めて考えると、心とは都合のいいものだ。

 理屈で言えば……その人を好きだから、心も欲しければ躰も欲しい。これは正しいのだろう。

 一方……躰で関係を持ったから、好きになる……この順番は、如何なものか。


 だがしかし……結果として、きちんとステディになったのであれば……それもありなのだろうと、自分を納得させる。

 まゆなに対する『恋愛感情』があるのか無いのかさえも、ハッキリしない状態で始まってしまった頃に比べれば……遥かにマシなのだろうと。


 そんな風にして、まゆなとの『短い』恋を僕は……『先』どころか『今』さえ見えていないまま、続けていたのだった。


 この『先』の……想像もしていなかった展開もまた、知らないままに。

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