夕闇色の記憶 最終章(第四十八章) 守る約束もなく…
「もっとはっきり言う!」
その宣言に続いたゆなさんの言葉は、まるでゆなさんから横っ面を引っ叩かれたが如くに……僕の本心を、一瞬にして目覚めさせた。
「自分の本当の気持ちと逆の方に、どんどん流されて……それを、自分の意思と力で成し遂げていると思い込んでる、キミの姿よ!」
そんな僕の『本当の姿』を……まゆなも既に知っていると言うゆなさん。
それまでの……ゆなさんとの深い仲に拠り、僕の何もかもを把握していた……ゆなさんだからこそ可能だった指摘。
その場で……僕の本心を素手で掴み出し、目の前に置き、曝け出し……並べて見せてくれたのは……結局は、ゆなさんだけだったんだ。
眼鏡の奥の瞳が、鋭く煌めく。
「本音……気付いた?」
「あ……うん……」
「じゃあ、れいくんは今から……誰を選ぶの?」
今までの自分の行動は、いったい何だったのか……。
最も深いところにあった本心は、終始一貫、ゆなさんへと向かっていたんだ。
ならば僕にとって、まゆなはいったいどんな存在だったのだろう。
「ゆなさん……」
「どうするの?」
ゆなさんと別れたあの日、既に宣言済みだったあの言葉……
「まゆなのことも、最終的には選ばないと思う」
あれは……このことだったのか。
就職を決めたのもアパートを借りたのも、まゆなのため……の、はずだった。
しかしそれは、自分が『高校生』だったが故に引き裂かれた、ゆなさんへの捨て切れない想いが……原動力として働いていたのか。
本当はゆなさんを……ゆなさんだけを……想っていたんだ。
ゆなさんの忌憚の無い指摘に深く納得したその時……まゆなへの謝罪的な気持ちは、完全に無視されていた。
そして……迷うことなくゆなさんへと、気持ちが向かっていた。
「ゆなさん……僕はどうしてあんな……でも、今もゆなさんが……」
と……自分の気持ちに正直に……手を伸ばし、机の上のゆなさんの手首に、僕の手を置いた。
何も言わず見つめ合う二人の数秒間……先に口を開いたのは、ゆなさんだった。
俯いた悲しい瞳で……自分の手首の上に置かれた僕の手を見つめ……ゆなさんにしては、か細い、震えた声で……
「触ら……ないで…・」
そう言われてすぐに、手を引っ込めた僕。
「私に……触りたかったら……」
そこまで言うと……もう激情を隠すこともなく、両手でデスクをバン! と叩きながら一気に立ち上がり……今にも泣きだしそうな瞳で僕を見おろしながら続ける……
上空175センチに君臨するゆなさんからの、最後のお告げ……
「すべて! ……捨ててきなさい!!」
これが……僕がゆなさんから賜った、最後の言葉だった。
「わかり……ました」
それだけ答え……事務所を後にした。
事務所へ行ったのもこれが最後……
そして、ゆなさんと逢ったのも……
これが……最後……だった。
結局僕は、ゆなさんというミューズのお告げの通りにしたのだろう。
就職……引越し……その元々の動機と思い込んでいたものは、すべてが崩れ落ちた。
何もかもが手遅れというわけではなかったが……アパートは契約が済んでいる。引越しの日取りも既に決まっている。
ゆなさんの言う通りに、すべてを捨ててゆくならば……特に予定を変更する理由も無く……僕は、家を出た。
そしてゆなさんに言われた通り……まゆなも……?
いや……まゆなには、捨て「られた」のか……。
結局まゆなは来なかったから……否、もしも仮に来たら来たで……これまでで最も酷い傷つけ方をしてしまったのだろうから……それで良かったんだ。
その後、割とすぐに連絡がとれたまゆなにも会い……告げられた。
「私のためじゃ……なかったんだって……知ってたよ」
当然、僕は否定できない。
「だからやっぱり、れいのトコには行けないの」
それで……それでいいんだ……。
「私は大丈夫。学校も行くし、親ともうまくやっていくから……心配かけてごめんなさい」
最初から……それが前提だったじゃないか……。
「本当にありがとう。お部屋……嬉しかった。あの日……8:2で私の勝ちだと……信じてた」
ごめん、まゆな……。ゆなさんも……同じことを思っていたんだ。
まゆなには残念だが……その想いは、ゆなさんの方が……正しかった。しかも、終始一貫して……。
「勝手なことばかり……ごめんね。ゆなさんトコに……戻っていいよ」
勝手なことばかりだったは……僕の方だったのではないのか?
まゆなにそう言われたからといって……ゆなさんにも……戻りはしなかった。
ゆなさんの言う通り、これで本当に『すべて』を捨てたのだ。
ただ、ゆなさんへの深い想い。
その想いはそのまま……否、それまで以上に育ってしまっていたのは判っていたが……
それまでの経緯を鑑みれば、そんなに安易にゆなさんへと……戻れるはずがない。
例えゆなさんがそれを望んでも……ゆなさんが、再びすべてを赦してくれたとしても……否……「例え」ではなく、実際にそうであったことはわかっていたが……それでも僕は……僕は自分自身が……赦せなかった。
僕のしてきた行動が、ゆなさんに対しての……否、ゆなさんとまゆなの『二人』に対しての『罪』と呼ぶのであれば……そんな『罪』を、更に重ねて続けて来てしまった自分自身を……赦せるはずがなかった。
だから事務所にも、今度こそは本当に……もう出入りするのをやめた。樋口さん達へきちんと挨拶が出来なかったのは、心底申し訳なかったが。
これで二人にも、会うことはない……? まゆなにも……そしてゆなさんにも……。
1986年4月、18歳………池袋のアパートで、初めての一人暮らし。
一人暮らしの出発は、やはり『独り』だった。
ゆなさんから言われた通り……すべてを捨てたのだから、当然であろう。
『孤独』から始まり、そして『孤独』で終わった……夕闇色の物語。
振り返れば……ゆなさんとの『二人』が始まった、西新宿のビル街が懐かしい。
見上げた向こうに暮れてゆく西の空は……すべてを夕闇色へと染めてゆく。
その夕闇色のすべてを味方につけて煌めいていたゆなさんが、僕だけに授けて下さった愛は……
こうして終わりを告げた。
終わりゆく愛の姿が……記憶の中で彩りを増してゆく。
それは、決して色あせることのない……
そして、決して忘れることのできない……
夕闇色の……記憶……。
夕闇色の記憶 完
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